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塔の上の錬金術師と光の娘   作者: 雪白楽
第5章―追憶の旅路―
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01 灼熱の都へ ⑧

 

 それからというもの、私達はどちらからともなく落ち合い語らうようになった。


 彼女が本当に高い身分の人間なのだと理解したのは、幾度となく貧民街を訪れる彼女が常に五体満足であること、それは私に気配を悟らせない腕の立つ護衛がついていることを意味していたからだった。彼女自身にも護られているという意識はあるらしく、いつも自然体で警戒心もなく、のびのびと過ごしていたように思う。


 片時も警戒心や猜疑心(さいぎしん)を手放すことのない私から見れば、そんな彼女の天真爛漫(てんしんらんまん)さは新鮮に映った……きっと、それだけではない。くるくると変わる表情や、話してみれば機知に富み、私の素性を知りながら色眼鏡で見ることもない。



 ナサニエル、と。


 彼女だけが知る名前で呼ばれる瞬間が、いっとう好きだった。私が誰かから愛される日が来るなど想像もつかなかったが、少なくとも彼女がそう祈って想いをこめてくれた日のことをより近く感じられたから。


 分不相応だとは、分かっていた。それでも彼女との時間を手放したくなかったから、見て見ないふりをしていた。


「ナサニエル、外の世界のことを話して?」


 きらきらと星のように瞳を輝かせて強請(ねだ)られれば、いくら自分が歩いて来た道のりのことを思い出したくもなくても話さざるを得なかったし、彼女に肯定されればこの救いようのない過去も少しは悪くないもののように思えた。


 彼女は一度も都の外に出たことがないらしく、外界の出来事であればどんなことでも知りたがった。私が旅芸人の一座の露払いとして見てきた景色のこと、農夫や商人のこと、物流や特産品のこと、異国の風土のこと、吟遊詩人が歌う噂話や夢物語のことまで。


 それは決して美しいことばかりではなかったのに、アリスは興味深そうな顔で聞きながらあれこれと私に質問した。生憎と言うべきか、ただの貧民の子供には分からないようなこともあって、それが悔しくて彼女からも話を聞いて勉強するようになった。


 いま思えば、子供二人が政治について語り合っているところなど、滑稽で幼稚なものであったに違いないが、私達にとっては大事な時間だった。


「……いつか私を外に連れて行ってくれる?」


 ある日、彼女に珍しくおずおずと尋ねられたその言葉に、私は即答することが出来なかった。彼女はおそらく貴族の娘で、私も公爵家の血を引いてはいるものの、正統な後継者ではない単なる『予備』として貧民同然の生活をしている。


 そんな身分差と彼女の生活を思えば、アリスを外に連れ出すなんてことが現実的に考えて出来るはずもなかった。それを彼女も分かっているのか、私がよほど困った顔をしていたのか、すぐに「ごめんなさい」と苦笑してみせた。


「変なことを言ったわね、忘れて……」

「連れて行く」


 咄嗟(とっさ)に口走っている自分がいた。彼女は驚いたように目を見開いて、初めて見る疑い深いような表情で私を見つめた。


 それでも私は単なる口約束でも、その場限りの誤魔化しでもなく、本気で彼女をこの狭い鳥かごの中から連れ出そうと心に決めた。


「熱砂の国、花の都……誰も見たことのない白銀の森へ、アンタを連れて行く」


 私の言葉に、これまで語ってきた外の世界のことを彼女が思い返しているのが分かった。その蒼玉の瞳が瞬くたびに、見たこともない異国の景色が過ぎていって。


「約束する」


 そう言って小指を差し出した時、彼女の中の何かが柔らかく壊れる音を聞いた。


 アリスは私の知らない痛みを堪えるような表情で、ぼろぼろと涙を流しながら、一つの声もこぼすことなく、縋り付くように小指を絡めて約束を交わした。


 その夜、母が死んだ。


「済まない、遅くなって」


 私達がいつからか示し合わせていた約束の日、いつもの路地裏に現れた私を見て、アリスが心配そうな表情で尋ねた。


「何が、あったの」


 母のことは語らないつもりでいたのに、その決心は一瞬にして崩れ去っていた。そんなにも分かりやすい顔をしていたのかと苦笑して、自分でも思っていなかったことを切り出した。


「何も、残らなかったんだ」


 彼女はいつの間にか私の隣に来て、私の手を握ってくれていた。だから迷い子になりかけた言葉も続いて、もう止めることが出来なかった。


「それまで、なんとか話せていたのに……呼吸が止まって、冷たくなって、端からボロボロと崩れていって。(すく)っても掬っても止められなくて、もう二度と返事は帰ってこなくて。やがて全部灰になった身体は、風も吹いていないのに散って消えてしまって……何も、残らなかったんだ」


 気付けば手が震えていた。指先をすり抜けていった死の感触が、ざらついたその灰の冷たさが、まだ残っているような気がして。


「あれがスプリガルの()(ざま)かと思うと、怖くなった」

「……お母様を、亡くしたのね」


 そう呟き、アリスはより強い力で私の手を握った。まるで私を、引き止めるみたいに。


「明日、父親に会うことになった。これまで一度も顔を合わせたこともなかったのに、母が死んで俺を繋ぎ留めておけるか不安になったんだろう……そんなことしなくても逃げやしないのに」


 逃げたところで、どうもなりはしない。


 どこまで行っても、この……例えようもない焦燥感からは、逃げられない。





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