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塔の上の錬金術師と光の娘   作者: 雪白楽
第5章―追憶の旅路―
258/277

01 灼熱の都へ ⑥


 *



「ナサニエル」


 過去を辿ろうとすれば、思い返されるのは母のことよりも真っ先に、あの鮮烈な記憶が呼び起こされる。初めてその名を呼ばれた日、私が『私』になった日。


 あの暗い路地を駆け抜け、忌み呪う言葉を振り切って、甘やかな歌声に導かれるままに。鮮やかな蒼と、爪弾(つまび)かれる懐かしき調べ。その瞳が私を見て、柔らかな笑みを浮かべる。


 ただ、その瞬間へとたどり着くまでには、いくらか私のことを説明する必要があるだろう。私は流れ者の踊り子である母と、あろうことかエルディネの筆頭貴族であるギルフォード公との間に生まれた落とし子であった。彼らがどうして出会い、結ばれたのか、私は知らない。ただ父も母も確かに互いを愛し合い、その関係性に私の存在が障害となったことは事実である。


 母の妊娠が発覚すると、公爵家は母に端金(はしたがね)を渡して都の外へと追いやった。母は都から少し離れた寂しい漁村で私を産み、身一つで育てながらまた流れ者となった。物心ついた頃の記憶に刻み込まれているのは、暴力の匂い。私を守ろうと抱き締める母と、守り切れずに蹴り転がされた時に噛み締めた、砂と血の鉄臭さ。


 呪われた血。破滅の一族。悪魔の落とし子。


 ここに告白するならば、私はスプリガルの血を引いている。生まれ落ちた時よりその身を呪われ、本当の意味で死ぬことを許されない。そんな呪いを心臓に宿し、いつしかその噂は母と私を暴力という形で飲み込むようになっていった。


()められたら(しま)いよ」


 私に人の殺し方を教えた男は、幾度となくその言葉を繰り返していた。確かに私達の生きる世界では、舐められたが最後で貪り尽くされて死ぬ運命だった。簡単に死ねればまだ楽だったろうに、私達は滅多なことで死にはしない身体を持っていたが故に、私が向けられるのと同等以上の暴力を覚えるまでは苦難の時が続いた。


 命は紙切れ一枚よりも軽く、返り討ちにした者の数が両手の指では数え切れなくなり、旅の一座から番犬として飼われ始めて一年ほど経った頃、都から(つか)いが来た。その時に初めて、私は自分が高貴なる血とやらを引く者だということを知った。


 流行(はや)(やまい)で子息が次々に(たお)れ、公爵家が御家断絶寸前まで追い込まれたが末に、生まれるよりも前に捨てた隠し子を拾い直すなどということが、現実に自分の身に起こるなど考えたこともなかった。ただそれも、運良くと言うべきか私の上が一人生き残っていたようで、あくまで「予備」として王都に呼び戻された私達は、結局のところ王都の貧民街でこれまでよりも幾ばくかマシなだけの生活を送り始める。


「……ごめんなさい」


 母が肺の病に(かか)ったのも、その頃だった。病に斃れてからというものの、すっかり気の弱くなった母は、なにかにつけて私に謝るようになった。貧乏なこと、苦労をさせていること、もうすぐ死んで独りにするだろうこと……私を、産んでしまったこと。


 (まと)わりつくような死の気配と、その(かす)れた謝罪を振り払うように、私はナイフ投げの大道芸で日銭を稼ぐか、くだらない喧嘩に明け暮れていた。新参者の私は当然ながら目をつけられて、袋叩きに遭うこともあった。ただそれを返り討ちにしているうちに、誰も私に余計な手出しをしなくなって。


「子供の顔をした悪魔め」


 そう言われようと、生きるためならば何にだって手を染めた。そうして王都の裏社会に片足を突っ込み始めた頃、唐突にその日はやって来た。


「――――」


 声が、聞こえる。


 このゴミ溜めに相応(ふさわ)しくない、どこまでも透き通った歌声。王都一の吟遊詩人もかくやと言うような竪琴の調べが響き、風に乗って裏路地を駆けて行く。


(……どこの馬鹿が迷い込んだ)


 聞いたことのない声に、普段ならば面倒事に関わるまいと捨て置くものを、その時は何を思ったのかフラフラと足が声の方へと向いていた。


 狭い場所に家々が張り出し、小汚い洗濯物のはためく路地の奥。どこから来たのか誰かの家の裏口に上がり込み、そこで『彼女』は唄っていた。




 夕餉(ゆうげ)の煙 星降る夜

 その手を取り家路へと

 やがて帰りつく場所

 あなたと共に――




 私と同じ薄汚れたスラムの子供に囲まれて、天の御使(みつか)いが竪琴(たてごと)を爪弾いている。空の青を溶かし込んだような髪が光を浴びて、煤汚(すすよご)れ一つない花びらのような口元が優しくほどけて言葉を紡ぐ。この世に美しいものがあることを初めて知った子供の私は、ただ(ほう)けて立ち尽くすことしか出来なかったのを良く覚えている。


 淡い睫毛(まつげ)がゆるりと瞬いて、私を見上げる。小さく見開かれたその瞳も、また鮮やかな蒼に染まっていて。その視線で私の存在に気付いた子供達が、怯えたように顔を引き()らせてほうぼうに散って行く。その様を少し驚いたように見送った彼女は、私に向き直って困ったように微笑(ほほえ)んだ。


「……悪い、邪魔をした」

「つまり、彼らはあなたが来たから逃げたということ?」


 鈴の鳴るような声で落とされた言葉に、私は彼女の眼前にある見窄(みすぼ)らしい自身を、生まれて初めて恥ずかしく思いながら頷いた。


「ああ、俺は恐れられている」

「同じ子供なのに?」

「同じ子供だからな」


 私の言葉に納得のいかない顔で黙り込んだ彼女は、次の瞬間こちらへと足を踏み出した。どんな屈強な男相手にも一歩も退かない私が、(おそ)れと共に後退(あとずさ)った瞬間でもあった。


「私は……アリス。あなたの名前は?」







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