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塔の上の錬金術師と光の娘   作者: 雪白楽
第4章―真実の書― 地下迷宮篇
249/277

03 たどり着けない場所 ⑥


 *



 ライとの短い旅は、本当に楽しかった。


 私に対して貴族であることを隠さなくなったライは、当たり前のように転移門を使って王都までひとっ飛びし、残りの道のりは馬に揺られながら沢山のことを話してくれた。これまで旅した国の話、出会った人々のこと、きらびやかな王都とそこに潜む影、貴族の裏話なんて聞いてはいけないようなものまで。


 夜はライがいつも(たずさ)えている竪琴(たてごと)爪弾(つまび)き、陽気なおとぎ話や時には静かな叙事詩を歌って。あまりに冷たい夜には、手を取り合って温かくなるまで踊り明かした。


 そんな風に彼が気づかって甘やかしてくれたのは、私が緊張しているのを見抜いていたからなのかもしれない。だって、どこかに『帰る』のなんて初めてだった。森と塔とを行き来するのとはワケが違う……この長くて短い学院生活の中で私は手紙さえ送らなかったし、エルもそうだった。そうして私は初めてエルの目が届かない場所で、自分でもはっきりと分かるくらいに決定的に変わってしまった。


(……ライが見間違えるのも、当然)


 まだ幼さは残るけれど、背も髪も伸びて少しだけ頬がそげて。他人を疑って、誰かを信じて、他人を押しのけて、誰かと支え合うことを知った。きっと旅立つ前の私が見たら、誰だか分からないくらいに、私は世界に変えられた。


 だからエルがどんな風に変わったのかを想像するのが怖くて、今はただ変わらないはずのあの場所で、おかえりと抱き締めて撫でて欲しかった。ただそれだけのことが、私達の出会いがどれだけの奇跡だったのかを、今なら分かる気がするから。


 そんな風に、少しだけ怯えを残して足を踏み入れた早朝の村は、何一つ変わらずにシンと静まり返っていた。早くから起き出す粉屋のおかみが、私達をみとめて『朝から嫌なものを見た』とでも言うように目を背ける。くたびれた(うまや)の戸が軋んで、遠くに仲間の遠吠えが聞こえる。そして丘の上には、あの塔が(そび)え立っていた。


《……俺は、先に森へ行く》

《兄さん》


 ロロ兄さんは、地面に降り立った私の背中を押すように、そっと鼻面(はなづら)で私に触れた。


《お前も帰るべき場所があるだろう……森で待っている。行って来い》

《ありがとう》


 アッフ、と小さく吠えて駆けて行く兄さんを見送る。厩に馬を繋いで戻って来たライと無言で丘を登りながら、ただエルの静かな魔力を感じていた。



 ギィ、と。

 静寂の中に戸の軋む音が響き、ハッとして顔をあげる。塔から出て来た黒い人影が、真白い朝焼けの中でぼんやりと浮かび上がる。


「エルっ……!」


 駆け抜ける風の中で、涙が(はじ)けて流れていく。


 朝日に瞬いて細められた瞳が、やがて私をみとめて見開かれる。


「姫、様……?」


 私を呼ぶはずだった唇が、別の『誰か』を呼んだ。


 ただそれだけで、世界の砕け散る音が聞こえたような気がした。


「ッ、まずい……リア、離れるんだっ!」


 ナイフを振り抜いたライが、強張(こわば)った表情で私を突き飛ばす。抜き身の刃が銀色から虹を反射するように光り、初めてそれが魔法さえも切り裂くミスリル製であることを知った。


 突き出されたナイフに悲鳴をあげそうになるけれど、それがエルに届くことはなかった。



 ぐぉん――

 世界の歪むような音と共に、ナイフは弾かれて柔らかな粘土みたいに曲がってしまう。そんな信じられないような光景の中で、エルが崩折(くずお)れるのを見た。


「エルっ?」


 思わず伸ばした指先の向こうで、エルが私を拒むようにその身を丸めた。


「違う……だが、あの時……私は何を見ていた」

「――エル、私の声が聞こえる?」


 心臓を抑えて激痛に耐えるように顔を歪めたエルは、どれだけ呼びかけても応えてはくれなくて。ただ何かを探すように虚ろな瞳を彷徨(さまよ)わせながら、言葉の断片だけを落としていく姿はひどく痛々しかった。


「でも、鳥は届いていた……確かに……でも、そうか……」

「エル」


 私の知らないエルが、ここにいる。


 集まりつつある膨大な魔力の渦の中で蹲るエルは、手負いの獣みたいに荒々しい怒りと、壊れそうなほどの哀しみに満ちていた。何かに……エルに阻まれているような、そんな圧を感じながらも堪えきれずに手を伸ばす。


「リア、駄目だッ」


 ライの止める声も遅く、確かに指先がその頬に届いた。


「私に、触れるな――ッ!」


 見開かれた瞳を染めて行く痛みから、混沌の力が世界を貫くがごとく天まで噴き上がる。


 空間を切り裂くように、黒水晶の花が、咲いた――


「エル、目を覚ましてっ……!」


 その姿を覆い尽くして行く黒く禍々しい宝石に、どうにか触れようと手を伸ばすほどに侵食は早まって行く。


「リア、今は駄目だ……あいつはもう、君の知るネイトじゃない。逃げろっ!」

「嫌だ、エルが……エルがいなくなっちゃう」


 駄々をこねる子供のように泣き叫びながら、どれだけエルの名前を呼んでも、私を拒むような水晶の成長は止まらない。ライに引きずられて、少しずつエルが遠ざかっていく。



「エル――!」



 黒く染まり行く世界の中で、絶望の(まなこ)が私を見上げる。


 その奥底には、ただ果てない後悔と……追憶の朝焼けだけが滲み、消えて行った。






 第三章・完




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