03 たどり着けない場所 ④
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「ライ――!」
パタパタと駆け寄って、いつものようにギュウと抱きつこうとして、止めた。
シエロの言葉をまだ上手く飲み込んでもいないのに、彼のくれた温もりが残る手で誰かに触れるのは、なんだか不誠実であるような気がした。
私の声に振り返ったライは、少しだけ窶れた顔を驚きの色に染めた。
「……リア?」
「他の誰だと思ったの?」
笑ってその場でクルリと回ってみせれば、ライは最初に見せた戸惑いの色を綺麗に隠して、優しく私の頭を撫でた。
「いや、あまりに君が綺麗になってたから……ちょっと驚いただけだよ」
前までなら、その言葉通りに何もかもを受け止めて――ううん、今までは気付かないフリをしていただけだったのかもしれない。何も変えたくなくて、変わりたくなくて。
今なら、分かる。ライはこんな短い言葉の中にも、小さい嘘や隠し事を沢山忍ばせているんだってこと。
「それは子供に言うセリフじゃないって、シエロなら言うかも」
「……あぁ、君の兄弟子様か。彼のことは、良かったのかい?」
森の先、まだ立ち尽くすシエロの気配のことは気付いていた。
それでももう、引き返すことは出来ない。私の心は、決めてきたから。
「うん、帰ろう……エルが、待ってるから」
私がそう言うと、ライはふわりと笑って手を差し出した。
「それじゃあ、参りましょうか……お姫様」
ライの冷たい手に少し懐かしさを感じながら、そのまま抱き上げられてロロ兄さんの背中に乗せられる。少しの寂しさに任せて兄さんの背中に顔を埋めれば、どこか労るような感情が伝わって来て、じわりと心に滲んだ。
暫く無言で森の中を兄さんの背に揺られていると、ライのしんみりとした声が沈黙を破った。
「……それにしても、本当に大きくなったね」
「ライとは、前に会ってからそんなに経ってないと思うけど?」
私の言葉に肩を竦めて、ライは少し苦笑気味に首を横に振った。
「あの時とは別人だと思うけど。少なくとも初めて見る『人間』に戸惑って、震えてた君はもういないよ。何より……」
そう、ライは言いかけてやめた。今日は少しだけライが変だと思いながら、再び生まれた空白の中を思考が埋めて行く。
私を見た時から、ライの瞳の奥に瞬く……どこか懐かしむ、みたいな色が気になって。
「私って、そんなに変わったのかな。エルも見間違えちゃう?」
「そう、かもね……でも、ネイトは君のことばかり話していたから。君の帰りを、心待ちにしてることは間違いないよ」
その言葉が少しだけ意外で、ライを振り返って首を傾げる。
「そうなの?」
「僕とネイトが揃えば、いつだってそうさ。あぁ、そうだ……ちょっとアイツ、医者の不養生で体調崩してたから、帰ったら叱ってやってくれるかな」
「……エル、そういうの全然教えてくれないんだよね」
いつの間にそんなことになっていたのかと思いつつも、自分だって学院でくぐり抜けて来たアレコレを思えば他人のことは言えない。
「ネイトは手紙、書かなそうだよねぇ……君は書いた?」
「ううん」
「僕には手紙をくれたのに?」
私は『確かに』と不思議に思いながら、少し考えて首を横に振った。
「それはそれ」
「……前から思ってたけど、君達って不思議な親子だよね」
親子。
その言葉に、思わず目を瞬かせている自分がいた。こうして外に出てみて、エルと私の関係は確かにそう呼ぶのが一番近いのだとは学んだ。だけどやっぱり、エルはエルだという気持ちの方が強い。
(いつか、ちゃんと呼べるのかな)
オロケウには照れも迷いもなく言える『父さん』という言葉が、喉奥に引っかかったみたいにエルの前だと出ないのが不思議だった。エルも私の前では、ことさら『父さん』として振る舞わないようにしているようにも思う。そういう意味では、確かに不思議な関係なのかもしれないと、改めて思いながらライの横顔を見上げる。
「どうかした?」
「うん……エルと私が親子なら、ライは何だろうって思って」
「えぇ……兄、は烏滸がましいかな」
その言葉にユーリの顔を思い浮かべながら、ちょっとそれはないんじゃないかと思う。
「おじさん、とか?」
「いま僕は、心の底から傷付いたよ」
ようやく戻って来た調子に任せて、そんな益体もない話に笑い合いながら、思考はずっと深い場所に沈んでいた。
あの時、初めて『力』が欲しいと思った。護るための、力が。
そうして身体の底から呼び寄せたはずの力の在り処は、再び眠りについてしまったのか何度呼びかけても応えることはなくて。それなのにマスター・リカルドから聞いたことには、世界を揺るがす大事件になるほどの魔力の柱が立ったとか。
(本当に、そんな力があるのかな……私に?)
結局、シエロにも最後まで言えずじまいだった。
言えるはずもない。私がシエロの家族なのかもしれない、なんてこと。
(そう、間違ってない。そんな軽々しく言っていいことじゃない……多分)
私には『父さん』と『母さん』が確かにいて、そのうちの一人はシエロのお姉さんかもしれない、なんて……言っても信じてもらえなかったかもしれないけれど。
私は私のことを、知らなくちゃいけない。




