05 祈る者 ④
《グラスタ・レナート・ドーラ・デ・ディスタ》
ネイトが指先でそっと僕の肩に触れながら、僕の痛みを『書き換える』ための言葉を紡ぐ。もうずっと昔に失われたはずの古の言葉……この世界と繋がり、森羅万象を形作る特別な言葉なのだと言う。魔法使いは時折それを使って僕達には到底成し得ないような『奇跡』を起こしてみせるけど、そんな彼らだって本来存在したはずの言葉のほんの一握りしか知らないらしい。
それが真実なのだろうと言う事は、自在に『言葉』を操っているネイトを見れば分かる。普通の魔法使いは、壊したり殺したり、そういう『大きい事』に使う言葉しか知らない。ネイトは日常のあらゆる場面で『言葉』を操って生活している。そんなネイトでも、古の言葉で会話が出来る程には言葉を知らないらしく、しかも知っている言葉のほとんどはフィニアス殿から教わったものらしい。時々思うんだけど、ネイトの師匠ってリーバテイン師じゃなくてフィニアス殿だって言っても良いんじゃないのかな……
《チェルテ・ミスリル……リベル・ケーネ》
その言葉と共に、肩の付け根からふっと重みの無くなる感覚がして、妙な虚脱感と共に生温かい液体が身体を伝う。そんな独特の感覚と共に、むわりとした鉄臭い匂いが広がり、僕の血液が零れていくのを感じる。
《リベルタ・ルーレ・クロディオ……イペンドレ》
囁くような声を、少しボヤけ始めた意識の中で聞く。ネイトが『言葉』を紡ぐ時の、祈るような声が意外と好きだなと、そんな事を考えた。
「……止血は済ませた。作業に移る」
「うん」
そろそろと目を開ければ、ネイトは既に傍の小さい机の上に僕の腕を置いて、光り輝く魔法陣を呼び出している真っ最中だった。相変わらず魔法陣の構築速いよと、思わず笑ってしまいそうになる。僕も一応魔力持ちなんだけど、正直この展開速度と緻密さを見せ付けられてしまうと、自分が『魔法使い』って名乗るのが恥ずかしくなる。
それは幼い頃の僕が魔法使いを目指す道を断念した理由の一つでもあるんだけど。でも今は、それで良かったと思っている。だって、世界最強の魔法使いが親友なら、僕が魔法を習得している必要はないわけで。まあ、出会った時は親友になるなんて思いもしなくて『ナサニエル・ギルフォード』って言う男は冷酷無比な魔法使いだと言う独り歩きしたウワサと、第一印象の最悪さも相まって根暗で無口な陰険野郎だとすら思ってたし。
そんな事を思い出してるとは知らずに、ネイトは淡々粛々と作業を進めていた。柔らかく光る魔法陣の上に置かれた銀色に輝く腕は、どんなに乱暴に扱っても(どんな風に使っていたのかはネイトに知られたら絶対にぶん殴られるから黙っておく)割れたりヒビが入ったりヘコむ事すらなかったのに、ネイトに掌でそっと撫でられただけで簡単に内部機構を晒すものだから、いつ見ても撫でられる相手を選んでる気位の高いネコみたいだと思う。
どこにそんな継ぎ目があったのか、というような感じでするすると花の蕾みたいに解けた金属の中は、たぷりとした鮮やかに紅い液体……僕の血液で満ちていて、その中であちこちに覗く小さな部品達が僕の腕を支える全てだった。いま、あの中はネイトの『言葉』によって性質が固定されている状態で(それ位の言葉は僕にも分かる……扱えるかどうかはともかくとしてね)血液も僕の身体に入っている時と同じままだから、変色もしないで綺麗な赤のまま。何だか本当に自分の身体の中身を覗いてるみたいで、変な感じだ。
ネイトはどこに何があって、何がダメになっているのかを熟練の職人みたいに全て把握していて、迷いのない手付きで細長い棒みたいな道具とか無色透明の液体とかを操り、時にはまた長々とした『言葉』を呟いて腕のメンテナンスを進めていく。
正直、使用者本人である僕にはその構造だとか、動いてる理屈だとかはちっとも分からないんだけど、イチからこの『腕』を組み上げたネイト曰く元々の僕の左腕の構造をベースにしているらしい。
『もうすぐ僕の左腕、動かなくなっちゃうんだってさ』
数年前、そう僕が軽く告げた時の彼の表情を忘れる事が出来ない。前からネイトには背中を預ける者の務めとして、僕の身体の『特殊事情』については詳しく話してあったし、いつかは『その時』が来る事だって分かり切っていたはずだった。それでも、ネイトは『信じたくない』と言う表情で言葉を失った。死に行く者を見詰めるやり切れなさ、初めて見る彼のむき出しの悲しみと怒りの感情に、それが他でもない僕のために生まれた感情なのだと言う事が僕の心をどうしようもなく揺さぶった。
だって、初めてだった。僕は生まれた時から早死にする事が決定付けられていて、皆がそれを仕方のない事だと思っていて、僕自身ですらそう思っていて。だから最初から命を投げ出すような戦い方ばかりして生きてきて……だからこそ、生き残ってしまっただけの男だ。
もう、僕自身が悲しみ方すら忘れてしまった命の行末を、たった一人でも悲しんでくれる人がいるのだと言うだけで、この人生も悪くなかったと思えてしまって。それだけで満足して死に行こうとしていた僕を、もう一度ネイトの声が引き止めた。




