02 地下大空洞の試練 ㊲
「……違う」
気付けば、そんな否定の言葉が口をついて出ていた。私の過去を拒絶したいわけじゃない……だけど、心が『私』を決めつけられたくないと叫んでいた。
(なんでも知っているなんて、言わせない)
私の真実は、私だけのものだから。
そんな反抗の意志を想定していなかったのか、戸惑いのような『感情』に被せるみたいにして、かすかな苛立ちにも似た声の波が押し寄せてくる。
《己の真実を否定するか》
「そういうわけじゃ、ないよ。ただ……そこに書かれた言葉が本当のことで、私の本当の『家族』がこの人達なんだとしても、私にとっては真実の一部でしかないんだってこと」
今更、揺らいだりなんかしない。
エルも、ライも、フィニアス師も……もちろん森の『家族』だって、血の繋がりなんてあるはずもないことは、とっくの昔から分かり切ってる。それでも私を育ててくれたのは彼らで、私が帰るべき場所もそこにあると知っているから。
《……そうか、それが汝の『真実』か》
どこか面白がるような、少しだけ温度の感じられる声。身体にまとわりついていた不快なざわめきが離れて行き、後には透徹した静けさだけが残った。
小さな世界の水底で、私と『真実の書』の意志は改めて対峙する。さっきまでよりも、ずっと開けた心でその声を受け止められるような気がした。
《ならば、告げるが良い……何を望むか》
「ライ……ライナスの病気を治す方法が知りたい」
願いの発露に応え、私の記憶を探るように伸ばされた意識の指先を、今度こそ拒まず素直に受け入れる。意外にも優しく押し入って来た書の意識は、私の持つ願いを正確に聞き届けるべく、記憶を遡って私の中にあるライの存在に触れた。
暫く慎重に意識を重ね合わせながら沈黙を保っていた書は、やがて世界に眠る記憶を手繰るように、ゆったりと声を響かせ始めた。
《名もなき民、改めブラッドフォードの系譜――ペトラはソムニアを成し、ソムニアは》
何か決まりごとでもあるのか、再び例の名前の羅列が始まってしまい、私は気が遠くなる思いでぼんやりとライの家の来歴を聞いていた。ただ、途中である名前が呼ばれた時だけは、はっきりと名前が耳に残ったような気がした。
エルダー、と。
ほんの一瞬、書の声に複雑な感情が乗ったような。私が知っている名前だったからというだけなのかもしれないけど、どうしてかそれが妙に心の奥で引っかかった。
《ネイサンはライナスとイーサン、アバド、ノイシュを成した。汝が言うライナス・ブラッドフォードの病因は併発的なものであり、根本的な要因は心臓を苗床とした呪いにある。故に薬物による治癒、また物理的な摘出による治療は不可能である》
「っ……根本的な解呪方法は? それか延命の手段……なんでも、するからっ」
身を乗り出して叫ぶように告げれば、しゃらりと胸元の石が揺れた。
(エル……ライ……ユーリ……)
予感が、あった。
私は何も知らなかった頃の私が思っていたよりもずっと、遥かな旅に出ようとしているのだということを。求めるものは目に見えるよりも複雑で、あらゆる痛みや祈りが絡み合って編まれて来たのだと。それを解くのが、正しいのかどうかすら分からない。
それでも。
「決めたから……決めて、ここに来たから。教えて」
《――望みのままに》
頭に雪崩込んで来たのは、まず錬金術と薬学による延命の手段。それは確かにシエロが言っていたような『分かる』という感覚で、最初から全ての物事を知っていたかのように自分が書き換えられたのだと知った。
浮かんでは消える材料や調合の手順など、私が知らない誰かの手が生み出す断片的な光景。そして、確かに見た。今よりも少しだけ老けた横顔のライが、息を引き取る姿を――
(……っ、これは)
すぐにかき消えてしまった光景が、嘘や妄想ではないと本能が知っていた。知っていたからこそ、拒みながらも無意識に手を伸ばしていた。
どくどくと耳の奥で血液が脈打つ音を聞きながら、留まることなく私の中へと押し入って来るこの世界の『真実』に目を凝らす。それがたとえ、受け入れがたいものでも。
(ライ――)
切り替わった視界の中で、先に立って馬を駆るライの姿が見えた。見知らぬ森。砂の大地。鼻をくすぐる潮の匂い。
これは書が見せる『可能性』の一つなのだと、理解するのに時間はかからなかった。隣を歩いていたはずのライが、いつの間にかシエロへ、シドへ、フィニアス師へ……それから見知らぬ顔の人達へと次々に切り替わり、やがてまたライのものへと戻る。
《かの呪いは、背信と憎悪によって刻まれた――なれば信義と友愛のもとに解かれねばならない。赦しには、証を……始原の七族を率い、約束の碑を目覚めさせよ》
あらゆる場所で、あらゆる人々の手が私の手に重なり、あの朽ち果てた都にあったような白銀の板に触れる姿が無数に見える。目まぐるしく動く視界の中で、こみ上げる吐き気に思わず身体を折りかけた時、不意にざらついた音と共に何もかもが途絶えた。
(可能性が、消えた――?)




