02 地下大空洞の試練 ㉞
今度こそ背を向けて去って行くユニコーンを見送りながら、何かひどく大切なものを託されたのだと知った。いつの間にか強く握り締めていた手の平を開けば、僕を癒やしたユニコーンの涙の痕なのか、銀色の痣のようなものが出来ていた。
(……まだ、確信があるわけじゃないけど)
それでも確かに託されたと、深く息を吸い込んで立ち上がる。
「お別れは、言えた?」
僕とユニコーンの『お別れ』を、黙って待ってくれていたリアが振り返って首を傾げる。
「さよならは、要らないみたいだったけど」
「そっか」
何が嬉しいのかニコニコと笑うリアに苦笑して、どこか清々(すがすが)しい気分になっている自分がいた。この短い旅の終着点を目指し、今になってようやく腹が括れた……ということなのかもしれない。
「ほら、行くよ」
「……うん!」
差し出した手を迷わずに取ったリアを引き寄せ、幾重にも防護の陣を敷きながら丁寧に術を編んで行く。
《トラーデ・アルトラリオ・ヴィーア……プロト・ゼクス・トリル・ティトス……スカラ・ナ・アルギア》
渡せ、下り行く道を……一つ、二つと数えて。
傷つけないように、大事に大事に。確かな階を、築け。
《ストラート》
旅の終わりを惜しむように『言葉』を落とせば、足元の床が生き物のように蠢きながら、階下へと螺旋を描いて降りて行く。完成した飛び飛びの石段に足をかけ、大丈夫そうだとリアに頷きかける。
「ありがと……やっぱり、どう考えてもシエロの方が兄弟子だよね」
珍しく少しだけ頬を膨らませて、ツンと僕の横をすり抜けて行くリアに首を捻る。
「なに、こんな時に」
「だって、私じゃこんな風にはいかないもん」
振り返って子供みたいに(忘れがちだけど本当に子供だったりする)リアが、口を尖らせてタンッと軽やかに石段を駆け下りて行く。僕の術に対して疑い一つない足取りに、少しだけ『魔法使い』であることも捨てたもんじゃないと思わされる。
出会った時、皮肉をこめて『姉弟子』と呼んだ存在が、こんなにも近くて……こんなにも大切な相手になるなんて思いもしなかった。リアの実力を思い知るのに時間はかからなかったけれど、彼女が僕よりも飛び抜けた天才だと素直に認めるまでは時間がかかった。そして今は、胸を張って彼女の兄弟子だと誇れるようになりたいと思う。
「……まぁ、お前は色々と力業だよね」
まだそれは遠いだろうけど、と思いながらも照れ隠しとしていつもの皮肉を混ぜておく。
「そういうの『一言余計』なんだって、シドが言ってた!」
「アイツにだけは言われたくない」
やいのやいのと無駄口を叩きながら、リアが最後の一段を降りた瞬間だった。
「「ッ―――!」」
ぶわり、と。
これまでに感じたこともない、あの荒廃した都市で感じていたものなんて、過去の名残でしかなかったのだと思い知らせるような力の圧が全身を襲う。息も満足に出来ないような意志の波の中で、強制的に全てを暴かれているような冷たい熱が足先から駆け抜ける。
僕が本能的な危機感に従って魔力を迸らせ、リアが儀仗を引き抜くのがほとんど同時だった。その途端、全身を襲っていた『何か』が嘘のように引いて行き、後には緊張に満ちた静寂だけが残される。
不意に獣のような荒い息遣いが聴こえて、それが自分のものだと気付くのに暫く時間がかかった。周囲を確認する余裕が出来ると、僕達が降りて来た部屋の全貌が見えて、思わず息を呑んでいた。
「ここ、って……」
リアのかすれたような呟きが、思いのほか高かったらしい天井に木霊する。見上げれば僕が作ったはずの石段は随分と高い場所にあって、あれを軽々しく降りて来たのかと目眩がする思いだった。
僕達を取り囲むような円形の大部屋は古い図書室のような場所で、壁に取り付けられた書棚には一冊の本も収められていないのが、どこか死を感じさせる不気味な印象を与えて来る。古い壁にかけられた無数のランタンには青い魔法炎が揺らぎ、それらに照らされた空間の中に幾つもの道と一つきりの扉……そして、部屋の奥に異彩を放つ祭壇のような場所に、たった一冊の本がポツリと置かれていた。
「……どうやら、一発で『当たり』を引き当てたらしい」
それは運なんて不確かなものじゃなく、確かにユニコーン達が導いてくれたのだろうと思う。恐らくこの部屋に繋がっている幾つかの道が正規の試練に用いられるもので、僕達が通って来た道は想定すらされていなかったに違いない。
まあ、どんな踏破をしたところで合格は合格だろうと言い聞かせ、緊張を誤魔化しながら手の平を握り込む。どちらからともなくリアと顔を見合わせ、祭壇に向かって一歩ずつ歩を進める。そこに置かれていたのは、想像していたよりも地味な装丁の古びたコデックスで、それでもそんな何の変哲もない書物が全身を圧するような力を今も発しているのだと、特に『目』を凝らして見なくてもひしひしと感じさせられた。
「……これが『真実の書』」
長年求めていた伝説が、いま目の前にあることが信じられなくて、確かめるように呟いた言葉が呼吸の中で震えた……その時だった。
《――如何にも》
不意に頭の奥へと響いた『声』に、全身が凍りついたように動かなくなる。呼吸も止めて目を見開く僕達の前に、音もなく重厚な革表紙が開かれた――そこには何も、一つの文字さえ記されてはいなかった。
呆然と立ち尽くす僕達を他所に、白紙の頁が勢い良く捲られて行く。何もなかった頁に少しずつインクが滲むようにして『言葉』が浮かび、そして泡のように片端からかき消される様に、その本が『生きている』のだと理解させられる。
(父上の手記にもあった……その時には、意味が分からなかった)
ただそれが『真実』であると知るのだ、と。
今なら、分かる。
始めから何もかもを知っていたかのように、その書が語りかける言の葉が脳裏に刻まれて行く。それは声のように、魔術のように、厳然と世界に響いた。
《我らは一、我らは全なり――人は其を『真実の書』と呼ぶ》




