02 地下大空洞の試練 ㉙
きらきらと瞳を輝かせ、こちらを振り返るリアの姿を見てハッと我に返った。
(つい、釣られた……)
文字が存在したという事実に、危機感もなく駆け出してしまった自分に呆れる。これらが何を意味する構造物であるかも分からないのに、それに文字が書かれていただけで安堵を覚えるあたり、僕も研究馬鹿が移っているのか自分で認識している以上に緊張しているか。
すぐ後を追って来たユニコーンも、落ち着かない様子で蹄を鳴らしているものの、差し迫った何かがあるわけではないらしい。一先ずの危険は無さそうであることを確認し、さすがに「それ」を素手で触ったりなんてことはしていないものの、既にしげしげと見入っているリアの横に並ぶ。良く見てみると、最初は確かに文字だと思ったそれらは、どうしてそう思えたのかわからないほどに、どこか幾何学的で不可思議な規則をもって描かれていた。
およそ人間の手で描いたとは思えない、一糸乱れぬ線の集合は明らかな金属光沢を持った柱へと、恐らくは僕達にない技術で正確無比に彫り込まれている。巨木を取り囲むように聳え立つ分厚い白銀の柱は、街全体がこれだけ朽ち果てた状態にあるにもかかわらず、一切の錆どころか曇り一つ浮かべることなく、一種異様な不朽の輝きをもって鎮座していた。
「魔法……とは、また違う感じの力だね」
興味津々と言った表情を浮かべ、グルグルと樹の周りを回っていたリアがポツリと呟いた。それは僕もまた、この場所に足を踏み入れた瞬間から感じていた違和感だった。僕達が慣れ親しんだ、今も目の前のリアから垂れ流されている膨大な力とは、まるで違う異質な力の存在。目には見えないし、触れることも出来ないのに、確かにそこに『ある』ことだけが分かる嫌な感覚。
その力はこの木や金属に近付いてから、より大きな圧を持って肩にのしかかって来ているような気がしていた。どことなく得体の知れない感覚は、板に描かれた文字のようなものを読み取ろうとするほどに増していき、胃の奥からせりかえるような吐き気を催す。
吐き気を堪えながら、なおもせめて記憶して帰ろうと文字を見つめていれば、今度は目がチカチカと眩んで酷い頭痛が襲って来る。これ以上は限界だと、目を背けたその時だった。
「……この言葉、知ってる」
何かが抜け落ちたような、茫洋とした声が朽ちた世界の静寂に落ちる。
震える指先が止める間もなく柱へと伸ばされ、僕には何の見当もつかない一節を、確かな意志をもってなぞる。恐らく彼女の瞳には、何故か意味をなして映っているのだろう文字列に目を凝らせば、意識が理解を拒むように引き裂くような頭痛が増して行く。
「階段……祝福……神の言葉、を……辿る」
たどたどしい声が、取り憑かれたように未知の言葉を手繰り、熱に浮かされた視線が忙しなく彷徨う。次第にその速度は増して行き、紡がれる音が確かな意味を持って繋がり始める。まるで、過去へと身を投じているみたいに。
「翼を捨て……約束の地へ。禁忌を侵す者……災厄、来たれり。どこかで、聞いたことある……どこで?」
こぼれそうな程に見開かれた瞳が、貪るように幾何学模様の羅列を読み解いて行く。その声が紡ぐ言葉は、次第に僕の知らない世界の『言葉』が重なって聞こえているみたいに、どこか不気味なザラつきを持って耳鳴りのように響いた。
「一は全へ、全は一へ……廻り、廻る。三十一へと……っ」
「リア」
眼の前の彼女が僕の知らない何かになってしまうような恐れを抱き、押し留めるように名前を呼んでも届く気配はない。リアは未知なる金属に刻まれた無数の言葉を辿りながら、どこか遠くを見据えて触れてはならないものに手を伸ばしているように見えて。
「集え。知の元へ……時は来たれり、深奥の回廊を」
「リアッ……!」
半ば叫ぶように名前を呼んで、力任せに彼女の腕を引いた。グッと嫌な音を立てて喉を詰まらせたリアは、次の瞬間ゲホゲホと咳き込みながら膝をついた。
「なっ、ちょっと」
「ッ……はぁっ……は、あっ……だい、じょぶ」
全く大丈夫ではない感じに青褪めた横顔が、それでも正気を取り戻した色で柱から引き剥がすように視線を逸らし、何かを考え込むように瞳を閉じる。こんな時どうしたら良いか分からないなりに、痙攣するように波打つ背中をさすってやると、次第に呼吸が落ち着き始めて胸を撫で下ろす。
「ごめん、なんか急におかしくなっちゃった。自分が自分じゃないみたくなって、誰かの声が聞こえる……ううん、誰かの意識がなだれこんで来るみたいで」
「とにかく、ここに留まるのは危険だ。場所を移すけど、歩ける?」
不安そうに瞳を瞬かせるリアに問いかければ、こくりと頷きが返る。覚束ない足取りで立って歩き始めた彼女の手を取って柱から離れれば、正体不明の頭痛と耳鳴りも少しずつ遠ざかって行った。
ようやく人心地ついた僕らが浅く息を吐き出すと、不意に何かに気付いたらしいユニコーンが耳を立て、高らかに警告音のような嘶きをあげた。まだ何かあるのかと顔をあげ、ユニコーンの視線を辿った先にあった『何か』に、僕達は揃って首を傾げた。
「「ワタリガラス……?」」




