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塔の上の錬金術師と光の娘   作者: 雪白楽
第4章―真実の書― 地下迷宮篇
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02 地下大空洞の試練 ⑲

 


「シエロ……」


 囁くような声が、耳元に落ちる。僕のことを案じているのだと、はっきり分かる温度で。


(そう……選ぶとか、選ばれるとかじゃなかった)


 頼んだわけでも、ましてや命令したわけでもない。そもそも望んですらいなかった。


 出会いは何度思い返しても最悪で、どうしてこんな場所まで来てこんな話をするような関係になったのかも分からない。それでも気付けば隣にいることが当たり前になっていて、何度も……何度でも思わされるのは、これからも長く続き得る人生の中でも、こんな出会いは二度と無いんだろうってこと。


 浅く息を吐き、自分でも気付きかけている感情の正体に唇を噛む。


(……姉上も、こんな気持ちだったのですか)


 故人に問いかけても意味なんてないと、自分に言い聞かせて来た。それなのに今、大切だった人達の顔が、大事にしまいこんでいた思い出達がこんなにもあふれている。


「姉上が誰とどこに行ったのかなんて、正直に言えばどうだって良かった。たぶん僕は……ただ寂しかった。姉上が僕達に何も言わないで、全部を誰か知らない人間に預けて行ってしまったことが。でも時が経つうちに、とにかく無事でいてくれれば、幸せでいてくれれば良いと思うようになって……ようやく僕達が姉上の不在を受け止め始めた頃に、その知らせは届いた」


 今でも、良く覚えている。


 母上が声もなく泣き崩れて、兄上が倒れそうなくらいに真っ白な顔で立ち尽くして、握った拳だけが現実に留まるように震えていた。使者が事務的に難しい言葉を並べて、無機質に事実が伝えられたその場に、父上の姿はなかった。


「遺言も、遺品もなし。それなのに姉上は死んだと、もう二度と会えないのだと改めて告げられて、死が何を意味するのかを知らなかった僕には……どうして皆が改めて悲しんでいるのか、姉上がいなくなった時と何が違うのか理解できなかった」


 だから、寄り添えなかった。誰もが自分のことに精一杯で、その痛みを知らない僕だけが遠くから彼らを見ていた。一緒に悲しむことも、誰かを温めることもできなかった。


「どうして父上や母上が、姉上が死んだことを事実だと受け止めたのか、今では聞くこともできない。それでも確かにその日から第一王位継承者は、一番上の……兄とも呼びたくないような下劣な男にすげ替わって、父上は僕達『家族』に近寄らなくなって、僕達の立場は宮中でも確実に悪くなっていった」


 信頼していた侍女に毒を盛られたのだと、喉が焼けるような激痛に滲む視界の中で知った。護衛のはずである男がボロボロと泣きながら首を締めてきて、遠のく意識の中で誰も信じることは出来ないのだと子供心に理解した。長年仕えてくれた家令が、怯えた表情で暇乞(いとまご)いをした時に、自分の脚で立たなければと覚悟を決めた。そのはずだった。


「王の居室から一番近い場所に住んでいた僕らが、最も遠い離宮へと移された矢先に、陛下が毒殺されかけると言う事件が起きた。捕えられた料理人は、何故か首謀者として母上の名を挙げたらしい。当然ながら、そんな証拠が出るはずもなく……それでも陛下は臣下の提言を無視出来ずに、母上と僕達をそのまま離宮に軟禁した。それで何かの糸がぷつりと切れたみたいに、母上はおかしくなってしまわれた」


 あんなにも美しくて優しかった母上が、みるみるうちに生気を失って行く様を、ただ見ていることしか出来なかった。食事も受け付けず、逃亡を防ぐためか鎧戸の落とされた部屋で、天窓から()すささやかな光だけを見つめて。


 明らかに読む様子はない聖典をめくるだけの、静かな日々。次第に僕と兄上の顔すら分からなくなって、それが時折……ほんの一時、生気を宿した瞳で扉を見据えている時があった。そんな日は姉上の、あるいは父上の、自分の指からこぼれて行ってしまった温もりが、その手に帰るのを待っていたのだろうと。今なら、少しだけ分かる。


 もう二度と戻らないものに、手を伸ばし続ける虚しさ。それでも諦め切れない、理性だけでは繋ぎ止めておけない心。怒り。憎しみ。悲しみ。寂しさ。


 何もかも、理解するのが遅すぎたこと。


「ある朝、ほとんど数もいなくなった侍女の悲鳴が聞こえて、開け放たれた母上の部屋に気付けば飛び込んでいた。立ち尽くす馴染みの侍女の足元には、血に(まみ)れて息絶えた母上が倒れていて、呼びかけても肩を揺すっても二度と目覚めることはなかった。その時に初めて、人が死ぬとはどういうことなのか知った。姉上も、母上も、本当に戻って来ないのだと」


 それまでの僕は何度となく殺されかけても、どこか母上や兄上の心配を遠くに感じていた。彼らが何を恐れて、何を嘆いていたのか……死とは冷たくて寂しいものなのだと、ようやくその一端を(つか)んで。その時には、全てが失われた後だった。


「母上はロクな調べもなしに自死だと断定され、王室の恥だと指をさされて秘密裏に葬られた。第三王子である兄上は、この事件を機に気狂いのフリを始めて、僕達兄弟が王位争いから確実に脱落したかのように見せかけた……誰より優秀な人なのに、僕を守るためだと分かってた。僕が弱くて彼の足を引っ張っているのだと、分かっているから悔しかった」


 この学院都市の門戸(もんこ)を叩き、本当に顔見知り程度だったマスター・フィニアスの研究室に押しかけた日のことを、決して忘れることはないだろう。あの時の僕は今よりもずっと子供で、誰かを()じ伏せる力さえあれば強くなれるのだと本気で信じていた。


 強くなれば、それ以外に何も求めなければ、僕の中にある幸せの残り(かす)だけでも抱き締めて、兄上と二人で静かに生きていけるなら。そう願う反面で、煮えたぎるような復讐の熱が胸の奥でのたうっている。


「いつしか悲しみや悔しさは『誰か』への憎しみになって、僕から大切なものを奪った世界の全てに向いていた。姉上を連れて行った顔も知らない騎士も、姉上を殺した目に見えない敵の姿も、最後には僕達を見捨てた父上にも、そして母上を殺したに違いない者達のことも、全ての真実を暴いて。奴らが犯した罪の分だけ、(あがな)わせてやりたかったっ……」


 それだけのために、ここまで来たのに。そのためならば、何だってすると言う覚悟は少しも揺らいでなんかいないはずなのに。


(……僕は、何のために真実を求める?)







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