02 地下大空洞の試練 ⑥
彼女が迷いなく皮を剝いていた何かの球根のようなものは、一つは白っぽいボールのように丸くて、ヒキガエルのイボみたいなものが表皮に浮き出た巨大な物体だった。もう一つは浅黒くゴツゴツしたジンジャーのような見た目で、皮を取り除けば真白く特段の匂いもしない不思議な代物だったのであり。
「えっと、丸くて大きい方が根セロリみたいなので……それからゴツゴツしてる方が、サンチョークって言って芋の一種かな。ほら、通り道で小さくて黄色い花が咲いてたでしょ?」
「あぁ……お前が珍しく花に気を取られてると思ったら、土掘り返し始めた時の」
僕は半ば遠い目になりながら、その光景を思い返す。彼女の奇行は気に留めるまいと思っていたのに、次から次へと何をやっているのか分からない動きをするものだから、地上に居た時よりも行動が読めなくて厄介だった。
それでも、彼女のやることに無意味なものは何一つ無いのだと、三日目にして既に理解し始めていた。自然の中で生きていくのに必要なのは、まず水と食料の確保、そして安全な野営地に火を絶やさないことだと真剣な表情でリアは言った。地に生きる獣と違い、人間は地面から這い寄る寒さに弱く、冷たい夜気には瞬く間に体温を奪われる。
彼女には兄弟達……挙がる名前はどれも森の獣のようだったけれど、彼らが温もりを分けてくれるがために凍えたことはなかったらしい。それでも一人前になるための試練とやらで、何日も独りきりで森を彷徨うために、これらの技術を磨いたと言っていた。
「えっと、後は……さっきの青いキノコはインディゴ・カリシアって言って、焼くと良い匂いがするんだ。ちゃんと食べられるけど、インディゴ・ドーラって毒キノコもあって、見分けるのが難しいから」
「『恵み』に対して『苦痛』ね……」
名付けられた古の言葉の意味を辿り、全く穏やかじゃないと溜め息を吐いた。どうやら食料調達は彼女に任せた方が良いらしいと思いつつ、それなら僕には何が出来るのだろうと、この場所に足を踏み入れた時から考え続けていた問いに行き当たる。
(……僕に出来ることなんて、たかが知れてる。最初から分かってた)
それなのに、この無力感をどう扱えば良いのか、どうしてか分からなくて。
「あっ、そろそろ良いかも!」
どれだけの時間が経ったのか、互いに言葉を迷わせて焚き火のはぜる音だけが響く静寂の中、不意にパッと明るい顔で声をあげると、リアは薪の先で器用に葉の包みを取り出した。長い時間を熾火に晒されて見事に炭化した肉厚の葉は、一枚開けば鮮やかな緑の色合いを残していて、中に閉じ込められていた白い蒸気をブワリと立ち昇らせた。
途端に辺りへ広がる焼けた肉と嗅いだことのないようなスパイシーな匂いに、ずっと空腹を訴えていた腹の底が唸るのを感じて唾を呑む。皿代わりの葉にリアが載せてくれた肉と根菜に、恐る恐る口をつけた。
「……!」
口の中にじわりと溢れた肉汁から、どうしてか優しい白身魚のような味がする。ぷるりと肉厚な身は、野生の獣の肉であるとは思えない程に柔らかく、空腹で乾いた舌の上に暴力的なまでの旨味を落として溶けて行く。リアの言っていたインディゴ・カリシアとやらの香り付けが功を奏しているのか、臭みすらほとんど感じることがなかった。
逸る気持ちを抑えられずに根セロリを口に放り込めば、皮を剥く前のグロテスクな見た目からは考えられないような、普通のセロリよりもまろやかな味と、あの爽やかな香りが広がった。立て続けにサンチョークを頬張ると、確かに芋のようなホクホクとした食感の中に、じわりとした甘みが滲み出し、柔らかな肉の脂と混じり合って天にも昇る心地だった。
「何、これ……聞くの忘れてたけど、昼に狩ったのって何の肉なの」
「ふっふー、実はネズミの一種です」
リアの言葉にぎょっとして、思わず手に持った即席の皿を取り落としそうになる。ネズミと言えば、食料庫を荒らし疫病を撒き散らす、いわゆるドブネズミのような害獣としての印象が強く、とてもではないがアレが食べられる代物には思えなかった。
「でも、どちらかと言えばビーバーとかに近いかも。コケネズミって言うんだけど、見た目はそこまでネズミっぽくなかったでしょ?」
「まぁ、確かに……緑色だし、水掻きあったし、デカかった」
狩りの時に見た姿を思い返しながら、恐る恐るもう一口と肉を頬張る。ネズミだと分かっても、美味い。美味いから、なんでも良いかと思った。
リアと居ると、凄まじい速度で自分の凝り固まった価値観が書き替えられて行くのがわかる。誰かと共に囲む出来立ての熱い食事が、こんなにも美味しいものだなんて知らなかった。食材一つとっても、自身の力で手に入れることはとても難しいものだと言うことも、その反面に食べられるものは少し注意を払えば沢山あることも。
彩りと礼儀作法と毒の有無ばかり気にして、冷たくけばけばしいだけの味気ない貴族の食事なんて、二度と口にしたくないと思うほどに。
「お前って、やっぱり凄いね」
「うん……?」
大きな瞳を瞬かせて首を傾げるリアに、僕は首を横に振って「こっちの話」とだけ呟いた。
「それにしても、これがネズミね……」
狩った時の見かけからも、その正体を聞いた後でも、納得いかない美味しさと口中に広がる滋味を噛み締める。
「ふふ、やっとシエロ笑った」
その言葉にハッとして彼女を見やれば、リアは心底から嬉しそうな顔でころころと笑っていた。
「……別に、いつも通りだと思うけど」
「うーん、いつもシエロは難しい顔してるけどね。ここに来てからは険しい顔、だったかな」
いつも難しい顔、の下りで眉を跳ね上げそうになったものの、リアの指摘で思っていたよりも自分が緊張していたらしいと気付く。
「お腹が空くと、ついついイライラしちゃうよね」
同意を示すように深々と頷くリアに、思わず睨みをきかせてしまう。
「ちょっと……僕が空腹で当たり散らすクソガキみたいな言い方するの、やめてくれる」
「……? 違った?」
こてり、と不思議そうな顔で首を傾げる姿に、わざとじゃないところが余計に腹立たしいと思う。腹立ち紛れにぐしゃぐしゃと綺麗な髪を乱してやれば、嫌がるどころか楽しそうに目を細めて笑うものだから、どうにも毒気が抜かれて食事に戻る。
「別に僕が嬉しくても、お前に得なんて無いでしょ」
「でも、シエロが嬉しいと私も嬉しい!」
にぱっとした裏表のない笑顔が、ごちゃごちゃと答えのない泥沼に浸かっていた僕の思考を、鮮やかに押し流して行くような気がした。気付けば肩の力は抜けていて、知らない間に詰まっていた息を吐き出せば、目に写る世界が明瞭に塗り替えられて行く気がした。
いつでも、そうだったから。
「……相変わらず、おかしなヤツ」
照れ隠しのようにボソボソと呟いて、なおもニコニコ顔のリアから視線を引き剥がすように、まだ湯気の立つ蒸し焼きの最後の一口を名残惜しく放り込んだ。




