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塔の上の錬金術師と光の娘   作者: 雪白楽
第4章―真実の書― 地下迷宮篇
200/277

02 地下大空洞の試練 ①


 *


 02地下大空洞の試練


 知りたい 知りたいと

 世界の秘密に手を伸ばして

 幼子のような無邪気さに

 眼の底に覚悟はあるのか


 問う 真実に何を捧げると


 *




 男は友のために駆けていた。


 前線より王領への帰投と北方の視察を命じられた矢先、その瞬間を見計らったかのようにライナス・ブラッドフォードの腕は動きを鈍らせた。かの純然たるミスリル製の腕は、通常の工程を経ずに錬金術によって生み出された特注品であり、常に製作者である魔法使いと魔力によって細い魔力の糸で結ばれていた。


 男の腕に異常があったと言うことは、それすなわち友であるナサニエル・ギルフォードに異変があったと言うことであった……ともすれば、命に関わる危機が彼を見舞っている可能性すらあった。


(間に合え、間に合えッ……どうか、ネイトっ……!)


 男は彼だけが呼ぶ友の愛称を心の中で唱えながら、馬を駆り立て街道をひた走る。遠方であれど戦の匂いを嗅ぎつけた野盗も出払い、獣の吠え声だけが鳴り響く夜を超えて。自らに与えられた権限をここぞとばかりに振り(かざ)し、宿場町で駿馬(しゅんめ)を借りては乗り潰して辺境の村へと辿り着いた男は、ただひたすらに闇の中へと浮かび上がる塔を目指した。


 常ならば男の来訪を察して塔の主が自ら出迎えるか、ひとりでに扉が開かれるところが堅く閉ざされたままであり、何か異常な事態が起こっていることを否が応にでも伝えて来る。疲れ果てた馬を繋ぎ、男は力任せに戸を叩くが当然のごとく応えはない。


「……文句は受け付けないからな」


 すぅと息を吸い込んだ男は、力任せに戸を蹴り破る。凶悪な魔法障壁による妨害を覚悟していた男に対し、けたたましい音を立てながらも扉は呆気なく開き、間の抜けた蝶番(ちょうつがい)の軋む音だけが後には響いた。


「ネイトっ――!」


 男は叫びながら不気味に暗く静まり返った塔を駆け上がり、友の気配や痕跡をいつになく必死な表情で探った。


(いない、どこにも――)


 青褪めた男が辿り着いた、塔の最上階に位置する研究室には、人気がなくなって久しい湿気た匂いが漂っていた。珍しく不安に揺れる眼が、何か少しでも手がかりがないかと部屋の中を彷徨(さまよ)い、ふと作業台の上に置かれた一枚の獣皮紙を見出す。


 そこには明らかに文字を書き慣れていないような筆致で『エマ』とだけ記され、丘の(ふもと)にある村の中の一軒を示す簡単な地図と共に、どこか見覚えのあるむっつりとした気難しい男の横顔が書かれていた。なかなか、似ている。こんな時でも無ければ笑っていたかもしれないと、男は頭の片隅で考えながら迷いなく(きびす)を返した。



 ぎしり、と。


 階段を駆け下り始めた矢先、不自然に動きを止めた男は、独り考え込んだ後に大事な幼子の部屋の前に立っていた。少しの迷いと共に戸を開けた男は、今は主もなくがらんとした部屋の中には目もくれず、この塔にある数少ない鎧戸(よろいど)を力任せにこじ開けた。まるで人の目から隠すように、目立たない位置にある木戸は錆びついた音を立てて開き、長らく使われた形跡の無いそれに男はそっと目を細めた。


(……さすがのリアも、忘れちゃったかな)


 開け放った鎧戸の上には、男の記憶に違わず鋼鉄の梯子が塔の天辺へと続いていた。足を滑らせれば間違いなく死が待ち受けるそれを、男は手慣れた様子でカツリカツリと上って行く。果たして、中ほどまで上った位置に『それ』はあった。


 この塔の主が根城とする研究室の下辺り、そこにはぽっかりと呑み込むような空洞が、ひと一人が這って進める程度の大きさではあるが確かに存在していた。かつて本当にリアが幼かった頃に、どんな魔法を使ったのかこの場所へ潜り込んで眠っていたことが、たった一度だけあった。懐かしく思い返した男は迷いなくその穴に身を躍らせ、奥に潜む狭い空間に片膝をつき、引っかき傷のように刻まれたラドのルーンへと手を(かざ)した。



 じわり、と。


 空間から滲むように現れたのは(つや)やかな石版であり、音もなく浮いたそれは足元へと吸い寄せられるように移動した。男が意を決したように小さな石の円盤に乗り込むと、僅かな浮遊感と共にゆったりと階下に向かって動き出す。


 塔を貫く螺旋階段の軸となる空洞、本来は何も無いはずの場所を不思議な反響音の中で降りて行きながら、男はどこか冥界へと(いざな)われているような心持ちで目を閉じた。


(それにしても、リアはともかく……ネイトがこの隠し通路に気付いてないって言うのは、つまりは『そういうこと』なのかな)


 どうか永遠に知らなければ良いと、男は願いながら目的地に辿り着いた気配を察して目を開けた。


 そこに広がるのは、一面の黒水晶。遥か古のドラゴンが、焼き払った後の大地のように煤けた石塊(いしくれ)の群れ。しかし手を触れれば今にも崩れそうなそれが、時に禍々しい光を持って輝き、世界の全てを拒んだ過去を男は良く知っていた。


 地中深くに封じられた、塔の主たる錬金術師さえ預かり知らぬ禁忌の礎石。ひと一人がちょうど収まるような(くぼ)みには、痛々しく砕けた石の欠片が無数に散らばっており、そのどれもが完全に沈黙していることを注意深く確認した男は安堵の息を吐いた。


(……フィニアス様も厳重なのは良いけど、この移動手段だけはどうにかして欲しいな)


 遥か遠く元来た場所を見上げて目眩を覚えながら、渋々と円盤に乗り込んだ男は慣れない浮遊感に胃を押さえつけた。よほど危険な外壁はと言えば、悠々と命綱無しに行き来する己の異常さは自覚しつつ。


 鉄の梯子からリアの部屋へと戻り、厳重に鎧戸を閉じて思い出に封をするように部屋を後にする。壁越しの空洞と抱えた秘密を胸に螺旋階段を降り、来た時よりはずっと落ち着いた足取りで繋いだ馬の元へと歩く。


(まだ、大丈夫だ……まだ)



 大災厄。


 かつてこの国を滅ぼしかけた恐るべき『天災』が、実はたった一人の錬金術師が引き起こしたものであることを、男は知っていた。真実を知る限られた一人でありながら、男は世界の全てを敵に回したとしても、あらゆるものから友を護り友のために在る覚悟でいた。


(……それでもネイトは、いつか知ってしまうのかな)


 彼を大切に想う者達が、ひた隠しにしてこの塔に封じ込めた真実を。彼の記憶を形作る、幸福な物語に隠された全ての嘘を。


 そして今度こそ、その時こそ世界は滅ぶのだろうと男は思った。それを止めることの出来る者は、恐らく彼の愛娘(まなむすめ)ただ一人なのだと知りながら。その彼女も、今は己のために遠くイゾルデにいる。なんて皮肉だろうと、男は(わら)いながら馬を引いた。


 闇に沈む(ひな)びた辺境の村、その一角から小さいながらも灯りが漏れている。記憶の中の地図をなぞりながら控えめに戸を叩けば、奥から不機嫌な(いら)えがある。


「……誰だい、こんな夜更けに」

「錬金術師の……ナサニエルの、友です。行商のライナスですよ、何度かお会いしているでしょう、マダム。研究室にあったメモ書きを見て来ました」


 戸の隙間から顔を覗かせた村のおかみ……エマは、見覚えのある奇特者の行商人をじろじろと眺め回してから、浅く息を吐いて家の中へと招き入れた。部屋の奥に積まれた干し草の束、いかにも急拵(きゅうごしら)えである寝床の上に、果たして男の求める姿はあった。


「……あぁ、ネイト」


 闇のように深い色彩の紋様に浸食された首元を覗かせて、常の姿からはかけ離れた不安になるほどの無防備さで、ナサニエル・ギルフォードは眠りに就いていた。



 どこまでも深く、冷たい眠りに。



 *








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