01 戦火を知らぬ眼 ⑫
マスターの怒鳴り声に思わず首をすくめながら、これはシエロにも『自覚足りなさすぎ』って後で怒られるな、と頬を掻く。ぜえはあと肩で息をして、落ち着きを取り戻したらしいマスターは、諦めたような表情で私を見下ろした。
「仮にも魔法魔術を修めている身ならば、剣撃の一つや二つ魔法で逸らすか、逃走経路の確保にでも使ってみせろ。言いがかりを恐れるくらいの知恵が回るなら、相手に露見しないようにやれ。毎朝足の小指を強かに寝台の端にぶつける呪いでも掛けておくが良い」
「足の、小指……」
むしろ、そんな永続性と詳細な指定のある呪いなんて、派手に戦闘用の魔法を撃ち合うより難しいんじゃないかと考える。どこまでもボンヤリとした私の反応に、マスター・リカルドは眉に皺を寄せて黙り込んだ後、軽く咳払いをして口を開いた。
「これまでも時折、疑問に思ってはいたが……貴様、よくぞそれでマスター・フィニアスの門下生が務まるものだな」
「……フィニアス師にも、似たようなことで怒られました」
私の言葉に聞き捨てならない、とばかりに片眉を跳ね上げるマスターに内心冷や汗をかきながら、それでも誤魔化すことは出来ずにボソボソと白状する。
「その、イゾルデに来るまでの道のりで盗賊に襲われて。ナイフで立ち向かったんですけど、魔法を使うか逃げるかしなさいって」
あえて大幅に端折った私の説明を咀嚼したマスター・リカルドは、半ばげっそりした表情で眉間の皺を揉みほぐしながら呟いた。
「あの方も、苦労なさると言うことがあるのか……貴様が常識的な思考や分別の面で成長していないことは、良く分かった」
「フィニアス師にはあんまり時間がなくて、色々教われなかったんです。でも今は、マスター・リカルドの弟子ですから。マスターの背中を見て、日々成長してます!」
私が自信を持って告げると、どうしてかマスターは喜んで良いのか悲しんで良いのか分からない、とでも言いた気な表情で黙り込んだ。
「……まあ良い。とにかく貴様は、自身の身体能力に頼りがちなきらいがある。その力は確かに貴様の武器だが、同時に弱点ともなり得る。もう少し動物的勘だけでなく、頭で考えて行動しろ。手にした武器を幾ら研ごうと、使いこなせないならば宝の持ち腐れと言うものだ」
「はい、マスター」
素直にそう頷けば、マスターは「返事だけは良いのだが」と呟いて目を閉じると、気を取り直すように浅く息を吐いた。
「ともあれ……大事は無いのだな」
「マスターのお陰で、傷一つありません」
「いや、目に見える傷のことだけを言っているのでは……いや、良い」
私の応えに瞳を瞬かせたマスターは、何かを言いかけて首を横に振った。ただどこか案じるような色を浮かべた瞳に、そう言えば少し前までは誰かに後ろ指をさされるだけで、すぐに不安定になっていたんだっけと思い至る。
今は自分のやるべきことがハッキリしていて、そのための覚悟も出来てる。正直に言えば『そんなこと』に……知らない誰かが私のことをどう思ってるか、なんてことに構っている余裕がない。
大切な人達が、私のことを分かっていてくれる。こんなに心強いことはなくて、それ以上に大事なことなんて何一つなくて、それに気付くまでには時間がかかったけれど。
(……私も、少しは強くなれたのかな)
私が護ってみせる、全部救ってみせる、なんて無邪気に言えなくなる程度には、この学院に来て私の周りにいた人達がどれだけ凄かったのかを思い知った。だから、もっと強くならなくちゃいけない。一歩ずつでも、前に。
「私は、大丈夫です。マスター」
少しでもそれを、分かりにくくても確かに前に立って導いてくれたこの人に伝えたくて、その思索に沈む昏い緑の瞳を見据えて告げた。少しだけ驚いたような表情で瞬いた闇夜の森のような眼は、ふと微かに柔らかく綻んで私を見つめた。
「……少しは、良い面構えになった」
ぐしゃり、と。
一度だけ私の髪をかき混ぜるみたいに撫でた手の平が離れて行く頃、マスターはいつもの無表情と言う名の仏頂面に戻っていて、長い脚を仕切り直すように組み替えた。
「貴様を呼び出したのは他でもない、次の試練に挑むに当たって渡しておかねばならないものがあったからだ」
「マスターが、私に……ですか?」
上の位階の者から試練のための助言や手助けをすることは、学院則違反に当たるのではないかと心配すれば、私の思考を読んでいるかのようにマスター・リカルドは頷いた。
「無論、試練の成否に直接関わるようなものではない……もっとも、私から渡すべきなのかどうかは迷いはしたが」
マスターが何を私に渡そうとしているのか、どうして迷う必要があるのか何一つ見当がつかず首を傾げていると、彼は「……やはりな」とだけ呟いて、どこか苦い表情のまま奥の部屋へ消えて行った。
人の私的な領域に踏み込むのは失礼だと(もちろんシエロに)教え込まれていた私は、部屋に籠もったまま物音一つ立てず、強い魔力の気配だけを扉の隙間から滲ませるマスターに、どことなく落ち着かない気分で彼の帰りを待っていた。
ガチャリ、と。
いつものように扉を開ける音に、思わず肩が跳ねた。その手に何か細長い箱を慎重に捧げ持って戻って来たマスターは、いつもと違う厳粛な雰囲気を身にまとっていて。無意識に姿勢を正して見上げた私に浅く頷いたマスターは、このために整えていたのか何も置かれていない作業台の上にそっと箱を横たえた。
「待たせて済まない。己でかけた封印の解除に、少々手間取った」
珍しくなかなか本題に入ろうとはせずに、まだ迷いを残しているように視線を落としたマスターは、やがて覚悟を決めたように意志の強い瞳で私を見据えた。
「貴様に、儀仗を授けたい」




