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塔の上の錬金術師と光の娘   作者: 雪白楽
第4章―真実の書― 地下迷宮篇
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01 戦火を知らぬ眼 ⑨


 ナサニエル・ギルフォード


 他にもナサニエルと言う名前は名簿の中にあったし、聞いたことのない姓は口の中で転がしてみても不思議に響いた。それでも、私がエルの書いた文字を見間違えるはずもない。


 いつ頃に記されたのか、マスター・リカルドよりも随分と前の頁にあった名前は、時をてもかすかに残る魔力を帯びて静かに蒼くきらめいていた。指先でなぞれば、かつてのエルもこの場所に立っていたのだという事実が、現実味を帯びて私の胸の奥を揺らす。


(ギルフォード……知らない、名前)


 エルがどこから来たのか。どうしてこの学院の門を叩いたのか。錬金術師の立つ瀬のないこの場所で何をしていたのか。どんな風に生きて、何を背負って……あの塔の上に辿り着いたのか、何も知らない。


 自分の大切な人達のことを、どれだけ知らないまま生きて来たのか思い知らされるたびに、これまで何も気にしていなかったことが少しずつ不安になっていく。いつの間にか確かな言葉だとか、関係性だとか、名前だとか、そういうことばかりが気になって。


(……人間でいるって、そういうこと?)


 聞いてたところで答えてくれる人が、今どこにいるのかさえ知らない。言葉にならないもどかしさに、指先が答えのない答えを探して手持ち無沙汰ぶさたに頁を捲り続ける。



 ぱらり、ぱらりと。


「あ、れ……?」


 いつの間に表紙へと辿り着いていたのか、コデックスを覆う分厚い革装の感覚を指先が捉えて目をまたたかせる。もう一度、始めから名前に目を通して首を傾げた。


「やっぱり、ない」


《ドウしタ》


 私の呟きに、ナジークが頭の上に止まってコテリと首を傾げた。


《フィニアス師の名前がない、かも》


 どれくらい昔からこの名簿があるのかは分からないけれど、他にも何人か耳覚えのあるマスターの名前がちらほらと流れていく。そうして蒼く色彩の残る名前だけを確かに追っているのに、どこにも『フィニアス』という名前が見当たらない。


《名前を書かなかっただけとか……それともフィニアス師が試練に挑んだ頃には、この書がなかった、とか?》


 自分で言っておいて、それはさすがに無いかなと思う。いくらマスターが年齢不詳とは言っても、限度がある……はず。


《フィニアス師の文字って、どんなだったかな。そもそもエルみたいに正しい名前は、私の知ってるのと違うことだってあるかもしれないし……》

《アノ胡散うさん臭イ魔法使いノ事よリも、大事ナ何かヲ忘れてイないカ》


 ナジークに呆れたような調子で耳たぶを甘噛みされて、今日は迷宮踏破の準備のために書庫にこもる以外の用事があったことを思い出す。


 慌てて机の上に散らばった書物を棚に片付けながら、ふと思い立って腰元のベルトからペンを抜き、開いたままの名簿と向き合う。


「レイリア……っと」


 少しだけ迷ったけど、知ったばかりのエルの姓を勝手に名乗ることはやめることにした。私はどこまでも『リア』で、それ以上でもそれ以下でもない。エルが考えて、その意志で付けてくれた名前が好きだし、他の名前なんて今更しっくりこない。


 コデックスの空白に新しく滲む、私の魔力で紡いだ『言葉』がほの蒼く輝きながら、沢山の名前の一部になる。



 パタリ、と。


 名簿を閉じて書棚に戻し、元の秩序を取り戻した書庫を後にする。来た時よりも、このところ頭をゴチャゴチャと占めていた沢山の考え事が、すっきりと晴れたような気がしていた。あの名簿に名前を書いて、覚悟……みたいなものが形になったおかげかもしれない。


 足取りも軽く、通い慣れた北塔への道を駆けて行く。


 答えを見付けて、必ず帰る。ライの病気を治して、それから。


「ぃ……おい、そこの平民! 止まれッ、そこの貴様だ! 貴族であるこの俺の呼び止めを無視するとは、無礼者めがっ!」


 そう言えば、この学院には貴族出身がほとんどなんだった、と今更のように思い返しながら、どこか聞き覚えのある声に振り返る。そこには短い金髪に灰色がかった白髪しらがの目立つ、険しい表情の男の人が立っていた。当然だけど、見覚えはない。


「えっと……どちら様でしょう?」

「なっ……この俺を愚弄するかッ? よもやこの、セルギウス・バシューの顔を忘れたとは言わせんぞ。誇り高き決闘の場で不正を働いた貴様の顔、平民であろうと忘れはしない!」


 そこまで言われて、ようやく私は眼の前の人物が、第三階位トリル昇格の試練の時に決闘を言い渡して来た貴族の人……セルギウスさんであることを思い出す。思い出すと同時に、別人みたいな容貌になりはてた彼の姿に愕然とする。


 初めて会った時はシエロより少し年上くらいの幼さが残るツヤツヤとした顔で、髪だって高い香油を使ってるのか、柔らかそうな金髪から不思議な香りが漂っていた。それが今はカサついた肌にボサボサの髪、何人も引き連れていたお供も一人として見当たらない。


「貴様の仕掛けた巧妙な罠のせいで、俺は今や『平民に膝をついた貴族』の汚名を着せられ、家からはその汚名をすすぐまで敷居を跨ぐなと言い渡される始末……何もかも、貴様の悪行が故だ! 今一度、貴様に決闘を申し込む!」

「えっ、それはちょっと……今は忙しいから、ごめんなさい?」







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