01 戦火を知らぬ眼 ⑧
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第七階位の試練は地下迷宮の踏破……そのことは、これまで通り書庫と学院に散りばめられた手掛かりを、一つずつ辿って行けば自然と分かることでもあって。ただ、今回の試練が今までとは訳が違うのは、文字通り命がかかっていると言うこと。
どうしてそんなことが分かるのかと言うと、第六階位の書庫に『諸先輩方』があの手この手で忠告を残してくれているから。そのどれもが、軽い気持ちで第七階位を目指すべきではないと言う言葉と共に、迷宮に眠る脅威が暗号によって事細かに連ねられている。
下の階層の者に試練に関することを教えてはいけない、って規則に引っかかるんじゃないかと疑問にも思うけれど、シエロには『直接的な言葉で語らない限り、幾らでも抜け道はあるでしょ。お前は真正面から行きすぎ』と呆れた表情で言われてしまった。ただ今は、そんな日常が戻って来ただけでも嬉しい気がする。
(とにかく、この膨大な資料のお陰で大まかな地図は書き写せた……けど)
完成した地図を改めて眺めて、思わず溜め息がこぼれた。
どことなく継ぎ接ぎ感の否めないお手製のそれは、陽の光に透けた葉脈みたいに行きつ戻りつして複雑な迷路を編み出していた。時には深い谷や切り立った崖だとか、元々の地図に書き込まれていた註釈に加えて、先人達が残した記録と照らし合わせながら自分で書き込んだメモ書きで埋め尽くされたそれは、余白にまで飛び地のような形で小さな地図が描かれていた。
《悩マしイ顔ダナ》
くわぁ……と、他人事のように呑気な欠伸をして、ナジークが私の肩の上で羽繕いを始める。実際、今回に限ってはナジークの力を借りようもないだけに、ちょっと行儀悪く机に突っ伏して腕の中に顔を埋めた。
「うぅ……生き物の持ち込み不可って、どんな規則?」
それは迷宮に入るに当たっての、いわゆる指南書のような本を読んでいる最中に見付けた記述だった。迷宮では食事に困ることになるだろうと言うことで、水だの薬草だの……それはまだ分かるものの、雌鳥を連れていって毎日おいしく卵焼きを食べようと考えた猛者が、過去にはいたらしい。
それが迷宮の入り口に踏み込もうとした瞬間、全てが意思を持ったみたいに弾き出されたんだとか。結局その人は準備していたものはほとんどが持ち込めなくて、迷宮の中でかなり苦労することになったらしく。
《付いテ行ケなイものハ、仕方ナイだろウ》
《そう、だけど……》
気付けばナジークのお腹に頬を寄せて、無意識のうちに彼の翼を撫でていた。ワタリガラスにしては小柄な方らしいナジークは、それでも力強く心臓の鼓動が脈打っていて、日の当たらない地下で少し冷えた指先にじわりと熱を伝えてくる。
はた目には硬質に見える翼はどこまでも滑らかで、より柔らかな場所を探して指先を伸ばせば、くすぐったさを堪えるようにかすかな唸り声をナジークがあげる。この温もりも、ナジークの知性も、ロロ兄さんの勇猛さも、一緒には来てくれないのだと思うと、足元のしっかりした大地が失われたみたいな感覚で怖くなる。私は本当の意味で、独りになったことなんてなかったんだと思い知るみたいで。
《……癪にハ触ルが、アノ小僧もイルのダろう?》
《小僧って、シエロのこと?》
ついに我慢が効かなくなったのか、翼をバタつかせて私の指先から逃げて行くナジークが、どことなく憮然とした表情でクワッと鳴き声を返した。
「……そうだね。うん、シエロがいる」
確かめるように口にして、心の奥に穏やかな安心感が広がるのを感じた。いつの間にか私の中で大きな存在になっていたシエロは、まだ出会ってからそんなに経っていないはずなのに、ずっと長い時を一緒に過ごして来たような気になっている自分がいて。
(年上のライとも、友達のシドとも……それから、ユーリとも全然違う)
服の下で柔らかな熱を持つ石に触れながら、出会った時から感じてるシエロへの『懐かしさ』みたいな不思議な感情は何だろう、と首を傾げたその時だった。
「カァカァカァッ!」
短く断続的なナジークの呼び声に振り返ると、珍しく興奮した様子で翼をバタつかせながら、机の上に広げたままだった一冊の書が指し示された。
「これ……マスター・リカルドの名前?」
アズレア・リカルド
そう、近頃は見慣れた神経質な細い文字で記されたそれが、古びた紙の上で命を持つかのように蒼く息づいて見えた。それは試練のために迷宮へと足を踏み入れた先人達の名簿で、生きて帰った者の名前だけが蒼く輝き、命を落とした者の名前は色彩を失う魔法のかかった書だった。
(……そっか。マスターだって、最初からマスターだったわけじゃないんだ)
それは考えてみれば当たり前のことで、ストリと納得がお腹の中に落ちて来たような気がした。
もう一度、名簿の上に視線を落とせば、マスター・リカルドの名前の隣に寄り添うようにして、色彩を失った名前がひっそりと記されているのが見えた。その無機質な冷たさに、改めて触れた生々しい現実に、背筋が震える。
「この人、帰って来なかったの……?」
呟きながら、それは事実の確認でしかないことを分かっていた。マスターの抱えた、どうしようもない寂しさのようなものに触れるどころか、土足で踏み込んでしまったような気がして目を背ける。
きっと私が知って良いことじゃなかったと、目を閉じて記憶の中から締め出そうとして、不意に気付いた……気付いて、しまった。
目を見開いて、震える指先のまま逸る気持ちに押されて頁を捲る。勝手に覗き見るような真似はいけないと分かっていて、それでも止められなかった。
「――あった」




