01 戦火を知らぬ眼 ⑥
ポツリと落とした私の言葉に、シエロは浅く頷きを返した。
「そう言うこと。貴族連中も無名のお前に目を付けたところで、マスター・フィニアスの名前が怖くて迂闊なことが出来ない。お前にどんな血が流れてるのかも分からないし、何より明らかに手を出したら死ぬ感じの守護魔法がベッタリと来たらね」
「守護魔法って……これのこと?」
私がしゃらりと涙鈴蘭の髪飾りに触れれば、シエロは分かりやすく表情を引きつらせて頷きながら、引き剥がすみたいに視線を逸らした。
「頼むから、あんまりこっちに近付けないでくれる。お前は鈍いから分かんないかもしれないけど、それが視界に入るだけで威嚇されてるみたいに背筋がゾワゾワするわけ」
そんな危険物みたいに……と複雑な気分になるけど、本気で少し青褪めているシエロの横顔に、大人しく元のように髪へと編み込んでおく。これをくれた時、マスターは私にも分からないような『言葉』で祝福をくれていたから、正直どんな効果があるのかは知らない。けれど、これをつけていると確かに護られている感じがするし、いつでもマスターの言葉を思い出して背筋が伸びる。大切な、お守りだ。
「……お前のことはともかく、話を戻すけど。戦場における魔法使いの役割は、詠唱とか陣の構築の時に生まれる隙を歩兵に守ってもらいつつ、出来る限り多くの敵兵を殺すこと。この大陸で最も多くの魔法使いを擁してると言われてるのは我らがエルディネ王国で、ここイゾルデも中立都市ではあるけどエルディネの西端に位置してる。魔法使いが多いと言うことは、それはそのまま戦力の分厚さに直結する」
「だから、エルディネは『大国』なんだ?」
シエロは珍しく『良く出来ました』とでも言うように、薄く微笑んで頷いた。
「そう言うこと。今回の戦は、その隣国の強国ゼクトがエルディネの友好国であるクラリスに侵攻したことが発端になってる……一応、対レストニア同盟を組んではいるから表立っては介入出来ないけど、国家間のバランスとエルディネの利益を考えると、現状でクラリスをゼクトに取られるのは不味い。だから、圧倒的な力で第一陣を崩壊させられる、あわよくば戦争を『なかったこと』に出来るように、マスター・フィニアスが出張ったってこと」
「……それじゃあ、イスカーン出身のシドはどうして国に帰ったの?」
一気に頭の中になだれ込んで来た情報を必死に整理しながら、ずっと気になっていた疑問をぶつければ、シエロは一瞬だけ複雑な色を横顔に浮かべて言葉を続けた。
「さあ……あいつの国はエルディネとクラリスとゼクトの三国に囲まれてるから。家族が心配だったとか、帰国命令が出たとかじゃないの」
嘘だ、と。
具体的には何が嘘なのかは分からなくても、シエロが何かを隠していることは分かった。あの時、シドは確かに戦に出向く覚悟をしてた……今なら、それが分かる。
どうして止めなかったのか、何を言えば『正解』だったのか。そんな考えが頭の中をグルグルと回る中で、ふと思い至ったことに呼吸が止まった。
(ライはあの時、戦が始まるかもしれないって言ってた)
世界がこんな風にざわめき始めるよりも、ずっと前……私が熱を出して会いに来てくれた時、いつもなら絶対に私から離れないような局面で、やらなくてはいけないことがあるからと言って出て行った。あんなものを心臓に抱えたまま、それでも。
(……フィニアス師だって、無敵じゃない)
シエロがしてくれた話を考えるなら、あの光の柱はきっと沢山の人の命を奪ったんだろう。だけど、いつだって凛とした強さで前を向いているあの人だって、悲しみも苦しみも寂しさも抱えてて、それでも強く立とうとしてるだけで。
自身の力で何もかもを奪い尽くした大地を前に、あの人は何を想っただろう。あの刺々しい痛みと、やり場のない怒りに満ちた力を振るいながら、何を失ったんだろう。
「マスター……」
思わず零れた呟きは、泣きそうに震えていた。私が泣いている場合じゃないと拳を握りしめても、熱の失われた指先からは何かがこぼれ続けているような感覚がしていた。
「……マスター・フィニアスに限って『もしも』のことなんて、あり得ない。あの人は前線の真っただ中に一人で放り出されたって、無傷で敵兵を全滅させて帰って来るような人だし。戦ともなれば、さすがに騎士団の連中が『お荷物』についてくるから……護るべきものがある時は、ただの一人の死者も出さない。そう言う魔法使いなんだよ、あの人は」
だから心配することなんてない、と。
珍しく励ますように呟かれた言葉に、シエロは私とは違う『傷』のことを考えているのだと分かっていても、寄せられた心が嬉しくて笑ってみせる。私の表情に、どこか安心したような顔で浅く息を吐いたシエロは、このところ思い詰めたような様子だったのを断ち切ったのか、決意を秘めた表情で私を見据えた。
「お前、どこまで行くつもりでいるの」
唐突に落とされた言葉にも、戸惑いはなかった。
ずっと私も考えていたこと……この学院で、どこまで『上』を目指すのか。マスター・リカルドが言い淀んでまで、私に伝えようとした昇級の試練に関わる問題は、いま大きな壁になって立ちはだかっていた。
「……正直、分からなくて。マスターにも聞かれたけど、私が必要としている知識が上の階層にあるのかって、自信がないまま闇雲に進んで意味があるのかなって」
「へえ、らしくないこと言うようになった」
皮肉な笑みを浮かべて私の目を覗き込んだシエロに、思わず息を呑んで彼を見上げる。
「そう言う時、とりあえず突っ走ってみるのがお前の特技なんじゃないの」
「でも、次の『試練』は」
この書庫で見つけた手掛かりが示す事実が、私を現実に引き止める。今回だけは、今までのようには行かないことが分かっているから、何も出来ずに立ち尽くしていて。
そんな私の姿に眉を寄せたシエロは、挑むような視線でその一言を告げた。
「ライナス、だっけ。お前の助けたい男の名前」




