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塔の上の錬金術師と光の娘   作者: 雪白楽
第4章―真実の書― 地下迷宮篇
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01 戦火を知らぬ眼 ①

 01戦火を知らぬ眼



 その透徹は、喪う痛みを知っていた。

 それでも尚、この世界の善性を信じていた。

 だから、壊してやりたいと思った。

 穢れない魂が、損なわれるよりも前に――



 *



(……空気が、ざらついてる)


 このところ感じていた、どこかひりつくような緊張感が学院を支配していて。シエロもマスター・リカルドも、シドが学院を出て行った頃から険しい表情が多くなったと思うのは、きっと気のせいなんかじゃない。


 マスターは自前の書庫から沢山の資料を引っ張り出して来て、見るからに危険そうな魔法陣を並べて片端から組み換えを試しているし、シエロの方もちらほらと届くようになった手紙を何度も読み返しては、机の上に広げた何かの地図に少しずつ手を加えては消してを繰り返し、やるせない溜め息を吐いている。


 二人ともどこか話しかけにくい雰囲気で、誰にだってそういう時はあるとは思いつつも、学院全体がこんな調子だから息がしにくくて仕方がなかった。森に出かけるのもしばらくは控えるようにとマスターに言われているから、どこへともなく部屋を出ても向かう先は図書室以外に考えることも出来ない。


 廊下に出れば、前にシアお姉ちゃんが着ていたものと良く似た鎧に身を包んだ……確かエルディネの魔法騎士だとか言う人達が、剣帯をガチャガチャと言わせながら急ぎ足で通りすがる。このところ、普段は外部の人なんて見かけない魔法科棟に、どことなく物騒な感じのする人の出入りが増えていて。


《……近頃、随分ト物々しイナ》


 バサリと私の肩に舞い降りて、くわりと小さな欠伸あくびをこぼしながらナジークが首を傾げた。魔法科棟がこんな状況になっているのは、外の世界で『戦』が起きているせいなのだと、誰もが声をひそめてその話ばかりしている。今の私はさすがに戦が狩りとは違うものなんだってことは分かっていても、記憶の中にあるのは物語の中の英雄エルダーの物語に出て来る、ドラゴンと人間の間に起きた戦いの場面くらいのもので。


 ……そう、かつてユーリが話してくれた、長い長い物語。


 記憶の中でおぼろげに零れていく彼の声を、どうにかして掬い上げようと本を開いてみても、どことなく記憶の中にあるのとは違う言葉の羅列に寂しさだけが残る。きっとユーリは旅の吟遊詩人に聞きかじって覚えたはずの物語は、もっとずっと優しく微睡まどろみの中で響いていて……胸が締め付けられるみたいな、そんな記憶のはずで。


(……もう二度と、あの物語は聞けない)


 だからこそ旅立つのだと、遥か遠くに感じる『あの日』に誓ったはずなのに。それどころか、こんなにも近くで苦しんでいるライの命を救う手立てさえ見つかっていない。


「ギュギュッ……」


 黙り込んでしまった私に、珍しく甘やかすような声で耳を甘噛みするナジークに、返事の代わりとしてそっと彼の翼を撫でる。指先からじわりと伝わる熱に、いま出来ることを一つずつ、と言い聞かせて通い慣れた書庫へと向かう。


 胸元に光るのは、つい先日マスターから与えられたサファイアのきらめき。シエロとシドと三人で苦労して、この第六階位の証を手に入れてから、まだそれほど時間が経ったわけじゃないのに、気付けば何もかもが変わってしまったような気がして。


 思わず溜め息を吐きたくなるのを飲み込んで、かつて見た海の蒼に染まる宝石を手の平に握り、何の変哲もない壁にそっと指先を走らせる。硬質な大理石が音も無く螺旋状らせんじょうに崩れて、人一人が入れる分だけの隙間を作る。いつものようにスルリと身を滑り込ませると、何事もなかったかのように背後が壁へと戻って静寂が広がった。


《ヨウやク静カにナった》


 本来ならカンテラを吊るす場所をとまり木がわりに、勝手知ったる顔で羽繕はづくろいを始めたナジークの『いつも通り』に、どこかホッとするような感覚を与えてくる静けさと向き合いながら、書見台近くのランプへと明かりを灯す。照らし出される空間に詰め込まれているのは、おびただしい数の書物。決して広くはない空間でありながら、どこまでも奥行きがあるかのように幾重にも本棚の森が続く様に、見慣れたとは言っても少し目眩めまいを覚える。


 最初の頃はシエロも目を輝かせて足しげく通っていた書庫に、今日もやはり人の気配はない。これが第六階位の魔法使い……つまり学院の中でも一握りの人間だけにしか閲覧が許されないのだと理解した時には、もったいなさで叫び出しそうにもなったけれど。


(でも、今なら分かる……気がする)


 知識というものは、扱いを間違えれば誰かを……ともすれば世界を壊しかねないほどの力を持っていて。この部屋にあるのは確かに少し前の自分だったら、手にあまるような『過去の過ち』や、軽々しく外に出すには危険過ぎる研究成果ばかりだと言えた。








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