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塔の上の錬金術師と光の娘   作者: 雪白楽
第4章―真実の書― 地下迷宮篇
183/277

00 序 ⑥



 王国歴484年霜の月20日


 ゼクトによる第三次クラリス侵攻は、かくして終わりを告げた。


 送り込まれた第一陣の生存者がほぼ皆無であったことから、正確に何が起こっていたのかを知る者はないまま、指揮系統を失った戦線は崩壊。ゼクトからクラリスに初の対等かつ明文化された停戦協定が早々に持ちかけられ、両国間で繰り返されて来た事実上の停戦と侵攻の歴史に、一つの終止符が打たれることとなる。


 エルディネからの正式な派兵は無かったことから、人の手には成し得ない大規模な災害として前線の出来事は処理され、真実を知る者は己の胸の内に秘することで、対レストニア同盟は一応の均衡が保たれる結果となった。しかしながら、この戦闘を機に各国の軍拡と魔法戦闘技術の見直しが図られ、奇しくも世界は帝国の再始動に備え一点を目指して動き始める――


 きたる戦乱の世を、予見するかのごとく。




 *




「終わった、か」


 壁越しにも感じる魔力の震えを指先に感じ、赤から蒼へとオーロラのように光を揺らめかせる極大魔法の余波を、高窓の向こう遠く西の空にのぞむ。


「……いや、始まったのか」


 ひとち、塔の上の魔法使いは浅く白い息を吐き出した。自身も部屋の中も存外と冷えていたことに気付き、近頃こう言うことが増えたと思考の隅に思いながら、おざなりに手を振って室温を調節する。かつて本当に独りきりであった時は、寒さなど気にも留めず……心のどこかで凍え死ぬことさえ望んでいた男は、皮肉なことに幼子を腕に抱いたその瞬間から、真の意味で孤独の痛みを知るようになった。


 どすりと椅子に沈み込み、男は痛みに疼く頭を抱えて獣のような唸りをあげた。この数年は落ち着いていた衝動が、己の中に流れる忌まわしき血の呪いが、死と狂乱と悲鳴を求めてのたうち回るのを感じながら、くすぶる戦の匂いに真白く欠けた記憶の中で、おぞましい何かがうごめいていることを感じていた。


(何かが、おかしい……ずっと感じていた。気付かない振りを、していた)


 かじかんだ指先を無意識に握り込み、かつてその手が触れていたはずの……長い生の中でほんの一時触れただけの、温かな指先を思い出す。


『ナサニエル』


 彼を初めてそう呼んだ声が、記憶の底で響き続けている。


 今は遠い空の下にいる幼子を己の腕に抱く度に思い出す、この先ずっと背負い続けなければならない己の罪と、悔いなき選択。


(そう、悔いたことはない)


 それでも、決して忘れてはいけない……大切な何かが、欠けているようなこの感覚は。


「っく………」


 思い出そうとする程に突き刺すような痛みを持って、酸のようにはじける記憶の泡に埋もれ、男の意識は深い闇の中へと落ちて行った。


 霧に染まる丘の上、そびえ立つ塔の上で――独り。



 それが、かの魔法使いの生き方だった。



 *







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