04 見送る背中 ㉖
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「シド……シドっ……!」
呼びかけた背中が、迷うように揺れて立ち止まる。
手にした背嚢は大柄なシドには小さくて、それでも普段何も持たない彼に何かが起きているのだと、理解するのには十分だった。
「シド」
どうしたら良いのか分からないまま、呼び掛けた声は自分でも不安なくらい途方にくれていて、シドは観念したようにこちらを向いた。
いつもなら優しく微笑んでくれる瞳は、ここではないどこかを見つめていて、私のことを拒絶するように険しく細められていた。
「……どこかに、行っちゃうの?」
「ああ……これから会いに行こうと、思っていた」
「嘘」
私がキッパリと告げれば、シドは小さく息を呑んで目を閉じた。
「やけに、自信があるんだな」
「会いたくなかったって、顔に書いてあるもの」
「……随分と、人間らしいことを言うようになったな。アンタ」
いつもの彼らしくない皮肉に、言葉を返すことも出来ずに立ち尽くしていると、シドはハッとしたように目を見開いて、ぐしゃりと自分の髪をかき乱した。
「悪い。アンタを傷付けるつもりはなくて……いや、言い訳か。これは」
グッと拳を握り込んだシドが、どこかに……言葉通りの意味以外でも、私の手の届かない場所へ消えてしまいそうな気がして、おずおずとその手を握る。
これまでシドに触れるのを躊躇ったことなんてなかったのに、今日はこんな風に触れるだけでも、互いを傷付け合ってしまうような気がして怖かった。
それでも、血の気を失うほどに握り込まれた指先は、少しずつ解かれて私の手を包んだ。何かに怯えるみたいに私の目を覗き込んだ瞳が、泣きそうに揺れて。
「リア――」
掠れた声が私を呼んで、次の瞬間にはシドの腕に閉じ込められていた。
息も出来ないくらいに私を強く抱き締めたシドは、どうしようもなく震えていた。
「アンタに、会いたかった……だから、会いたくなかった」
いつもは陽だまりみたいに暖かい彼が、今はまるでライやエルを思わせるような、どこかに体温を置き忘れて来た冷たさを伝えてくる。
どうしたのと、何があったのと、問い詰めたくて仕方がなかった。それなのに、言葉の何もかもがシドの腕に囚われて上手く形に出来ない。手加減もなく抱き竦められた痛みが、何も語るなと告げているような気がした。
本当の意味で大切な人のそばに居たい時、そうだと伝えられないことがどれだけ寂しいことなのかを、初めて知った。これは私には、シドにさえ『どうしようもない』ことが起きたのだと、そう直感したからこそ何も出来ない自分が悔しくて。
「シド……」
ここにいる、と伝えたくて絞り出した声は、みっともないくらいに掠れていた。ただ、たったそれだけのことでハッと我に返ったシドが、私から離れて行こうとしているのを感じて。
「シド」
「っ、リア……?」
名前を呼んで、シドがしたよりもずっと優しく、それでも同じ温度で。
そっと抱き締めると、戸惑うような声が降って来て、それが少しだけおかしかった。大切だと、あなたがどこかへ行ってしまうのが寂しいと。いつまでも一緒に、私とシエロとシドと三人でいたいと。
そんな想いの全てをこめて、冷たくなってしまったシドに体温を伝えるように抱き締めていれば、ついさっきまで私のことをなりふり構わず締め付けていたのが嘘みたいに、おずおずと大きな手の平が私の背中に回される。
「………ここに、いたい」
じわりと溶け合った熱が一つになる頃、ポツリと彼は言葉を落とした。
ただ、一言。それだけの言葉に、どれだけのものが籠められていたんだろう。
私達はそれ以上、何も告げることなく温もりを分け合い続けた。いつもの二人より、少しだけ必死になって。
伝わる心臓の鼓動が『生きている』と囁いていて、触れ合うくらいの距離に聴こえる吐息が泣きそうに震えるのを、互いに分かっていて気付かない振りをした。
それでも終わりは来るのだと、私達はきっと出会った時から知っていたから。
「……そろそろ、行かなくては」
シドが噛み締めるように口にした言葉が優しい空白を切り裂いて、私達は隙間なく抱き締めていた時間を名残惜しく手放した。




