04 見送る背中 ⑯
いや、この男が王国のために異常とも言うべき献身を始めたのは、ずっと前の話だった……そうだとすれば、得体の知れない冷血漢だと思っていた彼は、自分よりも大切なものをその手に抱えていて、想像していたよりも柔らかな愛を知っているのかもしれなくて。
(……なんて、皮肉な話)
じっと睨むようにその瞳を見据えていれば、僕の心中を知ってか知らずかすっとぼけたような顔が、最低限の礼節を守った笑顔で首を傾げる。僕は無駄なことを考えていると自覚して首を横に振ると、不吉な死神を早いこと追い払おうと扉を指し示した。
「お前が心配しているほど、リアの症状は重篤じゃないし……見た目ほど彼女は子供でもない」
僕がそう告げると、ライナス・ブラッドフォードは小さく目を見開いた。この男が初めて見せた人間らしい表情に、少しは意趣返ししてやったような気分で胸がすく。眠るリアの横顔を暫くじっと眺めていた男は、ふと表情を緩めて振り返ると僕の瞳を覗き込んだ。
「カイエリウス様」
久々に聞いたその名前に、思わず息を呑む。それは確かに僕の名前ではあったが、どこか他人のもののように余所余所しい響きがして、昔から苦手だった。それに比べて魔法使いの国は、優しい……本当の自分を誰もが包み隠して、それでも上手に世界は回る。そんな優しい嘘で造り上げられた僕達の城に土足で忍び込んだこの男は、それでいて今までに見たどんな顔より真摯な表情で口を開いた。
「リアを、頼みます」
呆気に取られている僕に、それ以上の用はないとばかりに彼は顔を背けると、するりと指先でリアの頬を撫でて、苦しさを堪えるような横顔を見せた。そっと名残惜しそうに離れた指先をきつく握り込んだ男は、何もかもを断ち切るようにこの部屋を出て行った……当然のように、窓から。
(お前か、ブラッドフォード……!)
そのあまりに手慣れた様子と、不本意なことに近頃見慣れてきた脱出方法に頭が痛くなる。どれだけ言って聞かせても、リアがほいほいと窓から出入りするのを止めないのは、彼女が野生児であるからではなく、あの男の所為に違いなかった。
この短時間で得た大量の『しょうもない』情報に深々と息を吐きながら、静かに眠るリアの額に手を伸ばして少しだけ魔法で熱を散らしてやる。魔法科棟の中では医者どころかマトモな薬も手に入らない……全く、馬鹿げた話だとは思うけど。
さっきまでより少しは楽になったような寝息を聞きながら、自分の中の自意識がカチリと音を立てて切り替わるのを感じた。あのライナス・ブラッドフォードと言う『外』の気配を全身にまとった男が、本来の僕を叩き起こしたはずなのに、どことなく身体に馴染まないようで落ち着かなかったのは、きっとこのぬるま湯に毒され過ぎたからだ。
(まあ、これも悪くないけど)
そう思えるようになったのは、目の前の平和ボケしてるようで物事の本質に誰より近い場所で触れている、この僕より小さい不思議な『姉弟子』に出会ったからだと、今なら素直に認められる気がしている。
リアは仮にもマスターと対等に渡り合うだけの力を持ちながら、有象無象の言葉にいちいち胸を痛めて繊細に傷付き続けている。幼い見た目には想像もつかない、強い一つの信念に衝き動かされた熱量で周囲を巻き込むくせに、他人の些細な感情に影響されて急に立ち止まっては、道を見失った迷子みたいな顔をする。どこまでもアンバランスで、だからこそ目が離せないと思ってるのは、きっと僕だけじゃないとマスター・リカルドの苦虫を噛み潰したような横顔を思い浮かべる。
(……マスター・フィニアスも、そうだったのかな)
そもそも僕は、彼女が生まれ育った背景をあまり良く知らないし、踏み込もうと考えたことすら今までなかった。ぼんやりと想像がつくのは、彼女が『家族』と呼ぶ巨大なオオカミとか、やけに人間臭いワタリガラスだとかと一緒に森で暮らしていたことくらいだ。そこにどうしてマスター・フィニアスが関わってくるのかは謎でしかなく、それどころかライナス・ブラッドフォードがあそこまでの執着を見せる存在であることは、もはや僕の貧弱な想像の範疇を軽々と超えている。
正直に言えば、不意にあの男が飛び込んで来て親密な距離感を見せつけられるまで、リアは天涯孤独の身なんじゃないかと勝手に思い込んでいる自分がいた。妖精か精霊か何かみたいに、森の奥深く動物達に囲まれて……人間の醜さを知ることなく育った、美しい心だけを持って生まれた子供。そんな馬鹿みたいな話、あるはずもないのに。




