04 千客万来 ②
「エル、どーぞ!」
いつの間にか、薄曇りで真白い空を見上げて立ち尽くしていた私を、元気な声が呼び戻した。身体に染み込んだ習慣と言うのは恐ろしいもので、リアと視線を合わせるため反射的に片膝をついた私の鼻先に、何かが突きつけられた。
……残念ながら既に少しばかり老眼が始まっている私は、顔を離さなければ何だか分からず、彼女の肩に手を置いて差し出されたものと少し距離を置いた。
「花、か」
それはリア本人のように真白く輝く美しい花だった。この辺りでは滅多にお目にかからないような睡蓮に良く似た花弁を持っており、いったい何と言う名の花かと首を傾げる。花弁に触れれば、想像していたよりも硬く冷たい……冷たい?
「っ、これは氷、いや雪か」
それは生きた花だと勘違いする程度に精巧な雪の花だった。触れた先から、さして温かくもない私の指先の体温で脆く崩れて消えていく、花よりも儚い命。
「お前が作ったのか?」
「うん!」
ニコニコと笑ってするりと私の手をすり抜け、彼女が駆けていく先の足元には、同じように美しい花が咲き乱れていく……最近、こうした『遊び』のスケールが段々と大きくなっているのは決して私の気の所為ではないだろう。
彼女の魔力は計り知れない程に強く、このまま育てばいずれは私の力など優に追い越してしまうだろう。精霊の拾い子ならば別段不思議な事でもないのやも知れないが、己の技量を越えた力を持て余していれば、いずれは取り返しのつかない事故を起こすだろう。そうでなくとも、所構わずこの魔力を撒き散らしていれば、必ずや貴族に目を付けられる事になる。彼らはいつでも、強い魔導の血を求めているのだから。
(どう育てる、か)
今まで考えた事もない、と言うよりも考える余裕などなくて、リアとの生活に身体を慣らすだけで精一杯の日々だった。それでも『考える』事も親としての務め、なのだろうか。リアが何処へ行くにせよ、どのような人生を送るにせよ、その自由を妨げられず幸福に生きるだけの知識と力は必要だ。
どれだけ自由に好きな道を歩んで欲しいと願っても、これだけの魔力を宿していればそこから逃げて生きる事だけは出来ない。どこへ行っても、必ずやその力とそれを付け狙う者達が立ち塞がる。アルビノという容姿が原因で、迫害の対象となる事も珍しくはない。
(あまり、あれこれと教え込んで彼女の道を狭めたくはないのだが)
いや、むしろ何も教えない事の方が、彼女の道を閉ざす事になるのではないだろうか。教える事を放棄すると言うのは、リアから学ぶ機会を奪うと言う事と同義だ。彼女に『人間社会の中で』生きていくために必要な術を教えてやる事が出来るのは、私しか居ない。彼女が世話になっている森の生き物達は、幾ら世界の叡智を手にしていると言えども、人間にしか通用しない特殊技能に関しては教えてやれない事が有り過ぎる。
(人の親というものは、想像以上に難しい……)
不意に、くいと裾の引かれる感覚がして、思考が一気に現実へと引き戻される。見れば、リアがどこか不安気な顔でこちらを見上げていた。
「エル……おはな、きらい?」
「いや、美しいと思うが……」
そう答えて、いま掛けるべきはそう言う言葉ではないのかも知れないと考え直す。
「嬉しかった。ありがとう」
そう告げて抱き締めると、リアもぎゅうぎゅうとしがみついて来る。
本当に、子供の成長は早い。ついこの前まで意味のある言葉を持たなかった幼子が、既に単語での会話を交わし、私の事を気にかけ複雑な表情を見せるまでになっている。近くて遠い未来の事を考えるのは程々にして、今この瞬間のリアを見て寄り添おう。きっと、それでいい……
「ほぅ……随分と、可愛らしい事になっているではありませんか」
唐突に背後から掛けられた声に、全身が反射のように強張る。それなのに、振り返る事が出来ない。いや、単に振り返りたくないだけだろう。これだけ膨大な魔力を持ちながら、少しもこちらに悟らせる事なく私の結界を越えてくる人間など、この世で一人しか思い当たらない。
「……エル?」
全身を強張らせた私に違和感を感じたのか、腕の中のリアが身動ぎして私の名を呼んだ。
「いや、問題ない。そろそろ戻ろう」
立ち上がり促した私に、ひやりとした怒りの冷気が背中から浴びせられたような心地がした。
「良いのですか、ナサニエル?折角、この私が手土産まで携えてはるばる辺境までやって来たと言うのに。酷い弟分だ……そうは思いませんか、レディ・リヴロー?」
その名前に、思わず反射的に振り返っていた。
燃えるように赤く、男の如く短く切り揃えられた髪。意思の強さを感じさせる、真っ直ぐなガーネットの瞳。記憶にあるより幾つか装飾が増えながらも、彼女以上に似合う者はいないだろうと思わせる眩しいまでの騎士服。
もう四年、いや五年になるだろうか。その凄みを帯びた美しさに磨きがかかった以外には、何一つ変わらない懐かしき友の姿がそこに在った。
「シア」
「ネイトっ」
私の名前『ナサニエル』の、もう二度と聞く事はないとすら思っていた略称を叫び、シアが涙を浮かべて駆け寄って来る姿を、私は立ち尽くして見つめることしか出来ない……振りをしていた。
彼女の拳がしっかりと握られている事を確認し、さり気なくリアを背中に庇いながら、風音を立てて飛んで来た凶悪な拳を、全力で避けた。プライドも何も、あったものではない。彼女の拳をまともに受けた日には、確実に死の一歩手前を見る羽目になる事だけは間違いないだろう。決して、実体験ではない。
久々で少し不安はあったものの、無事に避けられた事に己の反射神経がまだ問題なく働くらしい、と安堵の息を吐く。
「何故、避けるっ!」
「いや、むしろ何故避けないと思ったんだ……」
「一発くらい、殴らせてくれたって良いだろう、この馬鹿男っ!この五年間、一度も連絡寄越さないで、こっちがどれだけ心配したと思ってるっ!」
絞り出すような声で叫ぶシアに、今まで考えまいとして来た、私にとっては数少ない『残して来てしまったもの』が一気に脳裏へと蘇り、胸の締め付けられるような感覚がした。シアの泣く所など見たことも無かった私は、どうしたら良いのかと今度こそ本当に立ち尽くして、ようやく己が動揺しているのだと言うことに気付いた。




