04 見送る背中 ⑨
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深く息を吸い込んで、呼吸を止める。
形ない空間に形を、意味を持たない世界に秩序を。
覚悟を決めて掌を掲げ、宙空に銀色の魔力線を一息に走らせる。
《オリグ・シーラ・ペルキエ・キケロ……ルーレ・ペルキエ・トリティア》
いつもと同じ見慣れた魔法陣が空間から滲むように現れ、いつもならそこから術式を流し込む詠唱を始めるところを、見向きもせずに駆け抜ける。
《オリグ・シーラ・ペルキエ・トリティア……ティトス・エンプリフィオ……!》
力を籠めて発した『言葉』に、何もしなければ拡散しがちな魔法陣が、一つの意志をもって美しい正四面体を描く。背筋から指先まで、心地いい万能感が満たして、私を動かす。今日は、どこまでも行けると直感させるみたいに。
混じり合い、繋がり合う円周を、優しくなぞるように言葉を紡ぐ。
《ロガール・ダエグ、ネクシア・ニテンス・オーディア……テンス・ナ・ガロ、ストラート・ディシタ、ルーレ・ウェスティジオ・グラシア》
祈りの光よ……その本質を繋ぎ、瞬け。
時の橋よ……護りを築き、星の軌跡を循環せよ。
(まだ……行ける……!)
宙空にきらめく術式が、天の川みたいに流れながら、陣の中を満たしていく。
部屋の隅々まで満ちた魔力が、以前までなら引きずられそうになっていた『もう一人』の気配をつかまえて、むしろ背中を押す力に変える。
いつもはここで集中が切れてバラバラに解けてしまうのが、今この瞬間は堅く結び付いているのが当然とばかりに、美しい魔法陣の結晶がそこにあって。
《アレステ・ラ・ヴォーク、ディアーレ・リベルタ……イレ・アムニス……!》
我が声に応え、描き閉じよ。其は、全なり……!
ふわり、と。
みなぎる力に載せて最後の魔法を紡げば、そよ風に舞うように浮かび上がった光が、優しく夕暮れの研究室を照らした。それは私と世界に満ちた魔力を少しずつ借りて、それ以上の干渉も受けることなく、ただ与えられた『言葉』に忠実な働きを見せていた。
「でき、た……」
手をかざせば、その光に与えた力が、日々の生活で付いた細かな傷を癒やしていく。それが暖かくて、優しい気分にさせる心地よさだったからかもしれない。
その時の私は、完全に油断しきっていた。
ぴしり、と。
そんな音が、聞こえたのか……それとも感じ取ったのか。
目を見開いた時には、築き上げた魔法が崩壊と、暴走を始めようとしていた。
「っ……!」
突き飛ばされる感覚と共に、恐ろしい程に早口の詠唱が駆け抜ける。
《エーゼ・ストラート……サヴェンタ・ラ・ヴェンナ、リベル・ツィヒア……ッ》
掲げられた病的なまでに青白い腕が、私を護るように即席の防御結界を敷き、見慣れた青白い火花を散らして私の魔法を砕いた。きらきらと美しい……ともすれば私達を殺していた魔力の残滓を見つめながら、またやってしまったと、そう思う間もなかった。
「死にたいのか、貴様っ……!」
思わずビクリとするような大音量の怒鳴り声と共に、首根っこを引っつかまれて吊り上げられる。ぷらーんと離れる地面に、これは相当に怒ってるなと肩を落とす。
「すみません、マスター……」
「人間らしい謝罪を覚える能があるなら、せめて野生の危機感くらい働かせておけ、この注意力散漫娘がっ……!」
ぽいっ、と地面に投げ捨てられて、くるりんぱと起き上がれば、ますます冷たい視線を向けられて、背中をつつーっと冷や汗が流れる。何か言わなければ、と内心で焦りながら、助けてもらったお礼をまだしていないと思い出す。
「えっと……ありがとうございます?」
これで良かったかな、と首を傾げながら告げれば、マスターは苦い木の実に当たったキツネみたいな表情を浮かべた。
「……っち。こんな日に限って、目付役も不在。全く星の巡りの悪い……」
ブツブツと呟き始めたマスターに、消え行こうとしている魔法の余韻を見つめながら、今日の戦果を思い出して声を挙げる。
「マスターマスター、できましたよっ!きれいな!正多面体!」
いつもなら、ここで拳骨の一つや二つも飛んでくるところが、今日のマスターは何かを考え込むような表情で、あの美しい魔法陣が消えていった空間を見つめていた。
「正四面体と言う、最小単位ではあるが」
ボソリと呟かれた言葉に、がっくりと肩を落とす。確かに、目標とする数には遠く及ばないし、それどころか魔法そのものも長続きしなかった。
しょんぼりとしながら一人反省会をしていると、マスターはいつものように鼻を鳴らして言葉を続けた。
「……ただ、これまで誰も成し遂げたことのない、立体構造の陣を実現したと言うのは、間違いなく快挙だろう」
「マスター……!マスターも、人のこと褒めるんですねっ!」
感動と共に素直な感想を告げれば、マスター・リカルドはこめかみに血管を浮かせながら目を閉じて腕組みをした。彼は割と頻繁に血管が浮き沈みする体質みたいで、こうして黙って血管をひくひくさせていることが多い。
「課題は山積みですけど……でも、マスターが背後に立ったりしても、ちゃんと魔法が使えるようになりました!これも『訓練』のお陰だと思います」
思わずニコニコしながら告げれば、彼は何故か深々と溜め息を吐きながら告げた。
「……私の存在に、お前が慣れて来たと言うのもあるのだろうが。未だに大人数の注目を浴びる時には、緊張で動けなくなる時があるだろう」
「うっ……」
やっぱりバレていた、と思いながら、雷が飛んで来ないかとヒヤヒヤしながら彼の横顔を盗み見ると、どこか複雑そうな表情で私を見下ろしていた。
「全く……何故この私に懐いて、有象無象の輩の視線を恐れる?理解不能だ……」
またブツブツと何事かを呟き始めたマスターに、確かにどうして私は視線がこんなにも苦手になってしまったんだろうと思いながら、マスターにそれを指摘された時のことを思い出していた。
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