04 見送る背中 ⑥
驚くべきことに、リアは第三階位への昇級試験の後、論文の提出にはマスターの助力が必須だと知ると、迷いなくマスター・リカルドの居城である北塔の門戸を叩いたらしい。そして彼も、リアを一時的に研究生として預かるのではなく、正式に師と弟子の関係を結ぶことに承諾したと。
俄には信じ難い話ではあるが、二人は存外と馬が合うようで、言葉も物も魔法も飛び交ってはいるらしいが、なんだかんだで上手く師弟関係を築いていた。ただ、リアは少々……かなり破天荒であるから、さしものマスターも音を上げて、専属のマスターが決まらずにふらふらとしていたシエロを捕まえて、リアのお目付け役として任命した上で『ついでに』『なり行きで』師弟関係を結ぶことになったらしい。そんな事があるのかと、言いたくもなる。
(まあ、それも口実なんだろうが)
いずれも異端児とは言え、あのマスター・フィニアスが手元に置く才能の持ち主。誰も彼も体面と危険性を鑑みて牽制し合い、手を出せなかっただけのことだろう。
(……バカげた話だ)
本当に、バカげた話だ。実力主義と名高いこの街でさえ『こう』なのだから、と思えば気の遠くなるような心地さえする。それでも。
(俺達は、この場所を選んだ)
知らないことを知るのは、未知を見出すことは、こんなにも楽しい。学問で得られる喜びは、誰も知らない土地へと駆けゆく旅に似ている。
俺は俺で、この場所に求めることがあるように、リアもシエロもまた何かを背負い、この場所に立っている。幼くしてイゾルデの門を叩くとは『そういうこと』だ。
(だが、幸福は罪ではない……はずだろう)
二人を見やれば、宙空にどんな未来図を描いているのか、楽しそうに魔力の線を描き滑らせる姿に、シエロが零さないように茶を淹れたカップを渡してやりながら、仕方なさそうに笑っていた。
「まったく……呑気な顔で、楽しそうにしちゃってさ」
そう呟く横顔は、どこかほの暗く沈んでいて、彼が心配を巡らせているだろうことを思い浮かべて、思わず重い息がこぼれた。
その『呑気な顔』からは想像もつかないが、彼女は今や学院中の……は語弊があるが、心無い者達を中心に広められた、謂われない噂によって糾弾されていた。
曰く、学院長のお気に入りであるが故に好き放題しているだとか。曰く、マスター・リカルドがマスター・フィニアスに弱みを握られ、リアへの採点を甘くしているのだとか。論文を実際に読んだ者などは、リアではなくマスター・リカルドの代筆であろう、などと言い出す始末なのであって。
そのような中でも、折れることなく立ち続けている彼女を、やはり少し眩しく思う。ただそれでも、どんなに強い百獣の王であっても、たった一人で生きることは難しいように……そう、一人で生きる必要などない。
(……そうか。それが共に在ると、言うことか)
すとり、と。
腑に落ちたような、そんな音が心の奥に響く。
ずっと、分からなかった。我ら一族が、こんなにも『人』に惹かれ、裏切られ、それでも繋がることを諦め切れない理由が。
でも、今ならば……今なら、人を愛して飛び出して行った姉の気持ちが、少しだけ分かる。分かることが、こんなにも切ない。
「ちょっと、一人でさっきから何ヘンな顔してんの」
怪訝そうな表情を浮かべるシエロに、俺は万感の想いをこめて告げた。
「明日も、三人で食事をしよう」
「……は?」
伝わらなくても、構わないと思った。ただ、伝えたかった。
これまで約束など交わしたことはなくて、何となくこんな風に三人が集まって、言葉を交わして、同じ時を共有して。それが心地よかったし、それだけで良いと思っていた。
でも、初めて『約束』が欲しくなった。明日の、約束が。
「明日も、その次の日も、そのまた次の日も……いつか『時』が来るまで、三人でいよう」
「何、それ……」
俺よりずっと、おかしな表情を浮かべて、どうしてか応える声は震えていた。
彼が背負うものを、知らない。リアが背負うものも、知る由はない。
それでも問わずとも、傍にはいられる。今は、それだけでいいから。
「まあ……別にいいけど。どうせ、お前達は目を離すとすぐに食事忘れたり、不摂生な生活を始めるんだし。それに……」
そこから先の、言葉はなかった。
ただ、あふれた優しい色彩の魔力が、何よりも雄弁に全てを語っていた。
俺達はまた、言葉もなく同じ方向を見つめていた。明日も一緒にいると、新しい約束を携えて。
陽だまりの中、幼子はまだ……未来を探る数式を、描き続けている。
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