04 見送る背中 ④
あの螺旋状を描く知の殿堂……学院附属図書館の末席に、誇り高く収まった論文を、いったいどれだけの人間が手に取り、そして俺のように震撼しただろう。この歳では貴族の子弟であっても読み書き計算が関の山であるものを、たった一人であれだけの事を考えて、一つのコデックスにまとめるだけの執念は、いったいどこから来たと言うのか。
「別に、気にしないで思ってること言えば?マスター・リカルドから散々ボロボロにされても、これっぽっちもめげない鋼の精神の持ち主みたいだし」
その時のことを思い返しているのか、どこか遠い瞳でシエロが告げる。論文の執筆にとりかかっていたリアは『書くべきことは決まっているから』と、恐るべき速度で文献の渉猟と実験と……を進めたは良いものの、それ以外の全てがおざなりになってシエロが苦労していたのを思い出す。
「もしかして、専門が違うことでも気にしてるワケ?別に、あれこれ煩いこと言ってくる老害も、プライドだけ高い馬鹿な貴族も、痛いところ突いて来る鬼教官もいないんだし、どんな的外れなこと言ったって誰も気にしないでしょ。認めるのは癪だけど、僕達は学問の道の入り口に立ったばかりなんだから」
俺が言い淀んでいる理由を勘違いした言葉に、どこか救われたような気がした。リアの成長速度の速さに驚かされはしたが、彼女はあれでもまだ『発展途上』に過ぎない。そして、俺達も……きっと、ずっと。
「そうだな」
これまで抱いたことのなかった『焦り』と言うものに突き動かされていたらしい俺は、頭を冷やして大きく息を吸い込んで、吐き出した。
「正直に言えば、意外ではあったな。錬金術などの異端な方面で攻めて来ると、勝手に考えていた」
「まあね……いきなり基礎研究とか、さすがのマスター・リカルドも驚いてたけど」
俺は彼が表情を大きく動かしている様を想像しようとして、潔く諦める。まあ、マスター・リカルドが表情を動かすほどの意外性だった、と言うことだろう。
「現代魔法は応用研究が基本だからな。近頃は基礎研究をする者が少なく、そのうち魔法魔術が『消費』されるばかりで、発展も頭打ちになると占星科のマスターが嘆いていた」
魔法は究極的に言えば、どれだけ効率よく『壊す』ことが出来るかと言うことが問われている。それは、魔法が魔法使いの『武器』として、ひいては国家の剣であり盾であるべく研がれて来たものであると言う歴史に由来する。
故にこそ、実用こそが尊ばれて研究費も下りるし、戦略級の極大魔法を開発などした日には、国に雇われて出世街道を歩むことも夢ではない……らしい。どれもシエロからの又聞き故に、それがどれだけの価値あることなのか、俺にはよく分からないが。
「まあ、あそこはそうだろうね……研究生も殆どいないって聞くし、変わり者の集いだから。それはマスター・リカルドが専門にしてる、古代魔法もそうだけど」
「ああ。故にこそ、魔法陣発展の歴史にもっと目を向けて良いようにも感じたが」
リアが打ち出したのは、複数の魔法陣展開と相互作用について、その実用可能性を問うものであり、既成概念を覆すための最初の一矢としては十分すぎるほどの内容だった。
曰く、これまで魔法陣を複数展開した場合、一定の数……最大でも『六』を超えれば、安定性を失い、相互干渉により魔法魔術が瓦解すると考えられて来た。しかしながら、それはあくまで魔法使いの経験に基づく『総意』に過ぎず、理論的に実証がなされた訳ではない……リアが提唱しているのは、例えどれだけ多量の魔法陣が展開されようとも、それを支えるだけの『機構』と『魔力供給』の道筋さえ構築できれば、理論的には『六の壁』を越えられるはずである、とのことなのであり。
「えっとね、マスター・リカルドは課題が山積みだけど、少なくとも歴史に関して今は触れる必要がないって。第五階位に上がる気があるなら今後は必須だって、言ってたけど」
「……それは、あの人らしからぬ発言だな」
古代魔法の研究をするに当たって、常に歴史書を紐解いていた彼の姿を思って俺が目を見開けば、シエロが呆れたような表情で肩を竦めた。
「そもそも、歴史関係の文献が増えて来るのって、これが上がったばっかりの第四階位の書庫からでしょ。そこまでで使える文献を踏まえても、あの堅物マスターを納得させるものだったってこと。だから、表立って攻撃して来るバカはいないんでしょ」
「なるほど」
確かに考えてみるまでもなく、あのマスター・リカルドが中途半端な成果物を認めるはずもないだろう。
「なんでも、次の昇級論文を書いた時には、間違いなく禁書扱いになるだろうってさ」
「……第五階位で禁書扱いか」
「禁書扱い……?」
それは、ますますやっかみを受ける事態になりそうだ、と事の重大さを分かっていないらしいリアに苦笑する。案の定、見ていられなかったのかシエロが口を開いた。




