04 見送る背中 ①
04 見送る背中
『我々』の記憶は、嘆きより始まる。
だから『彼ら』と本当の意味で分かり合うことはない。
それで、いい。それだけで、良かったはずだった。
それでも。
近くて、遠くて……それなのに離れられないのは何故?
その答えが、きっとここにある。
*
『ほらほら、シドってば!』
手を引く懐かしい温もり。
『俺、まだ眠い……』
『そんなの、街に出たら吹っ飛ぶわよ』
弾けるような笑顔に、まだ幼い俺が目をこすりながら追いかける。
『……本当に行くの?』
『規則破りに二回も三回もないでしょ』
『つまり、何回かは街に下りてるってことか……』
苦笑しながらも、禁じられた外の世界に胸を弾ませて。
『行くよ?』
『うん』
ガランとした使用人部屋、その窓に二人手をかけた。
『わぁ……!』
飛び出した屋根の上から、初めて見下ろした人間の世界。
まず感じたのは、匂い。焼けたパン。捌かれた肉。生臭い魚。何より通り過ぎていく人間達の、ごちゃごちゃ混ざり合って刺激的な匂いだ。でも、悪くはなかった。
次に押し寄せて来たのは、音の波。期待と興奮。高鳴る人々の鼓動。忙しなく交わされる言葉。無数の足音を呼び止める店売りの声。遠くに響く赤ん坊の泣き声。
居並ぶ出店の賑やかさ。人々の浮かべる活き活きとした表情。翻る踊り子の裾の鮮やかな色彩。どこか遠い異国から辿り着いた珍しい品々の輝き。
これまで世界の全てだった屋敷の中に比べて、何もかもが速くて、熱くて。
『シド、はやく行こっ』
『うん!』
もう一度、差し出された手を握って……そして、気付いた。
ああ、夢か。
*
「ド……シド……」
もう俺を、そんな風に呼ぶ人はいないはずなのに、誰かが俺の肩を揺さぶっている。
どうか、静かに眠らせて欲しい。眠っていれば、世界の美しくない部分を見ずに済む……夢の中の、どこまでも綺麗だった想い出の中で、ただ息をしていたい。
「シド……!」
はっきりと耳に届いたその声に、ハッとして目を覚ます。
……そうか。ここはイスカーンでも、クラリスでも、ゼクトでもない。
「リア」
掠れた声で彼女の名前を呼べば、安堵したような息が聞こえた。
目を瞬かせれば、眩しい光が俺の中に雪崩込んでくる。ボヤけた世界の中で、空の蒼に金色の太陽を溶かし込んだような、鮮やかな色彩の魔力が見えて……そしてようやく、現実に焦点を結ぶ。心配そうな表情が、森の瞳が、俺を覗き込んでいて。
呼吸の仕方を忘れていた肺に、勢い良く息を吸い込む。風の匂い。土の匂い。獣の匂い。森の匂い。甘い、蜂蜜みたいなリアの匂い。
「シド、大丈夫?」
その問いに首を傾げれば、同じ方向にコテリと彼女が首を傾げる。
「泣いてた、から……悲しい夢を、見てるのかと思って」
そう言われて、初めて頬に流れた涙に気付いた。
「……俺は、悲しかったんだろうか」
問いともつかない問いに、リアはただ静かに俺を見ていた。彼女のそういうところが、好きだと思う。
「優しい夢を、見ていた……でも、夢に囚われるところだった。アンタが呼んでくれなかったなら」
「それは、シドにとって悪いこと?」
リアの問いかけに、もう一度立ち止まって考える。かつての俺なら、迷いなく優しい夢の方を選んでいたかもしれない。でも、今は。
「今の俺は、この現実を生きていたい。だから、ありがとう……俺を呼んでくれて」
「そっか……良かった」
パッと花開くような笑みと共に、泡のように魔力が弾けて光の粒となる。思わずその様に見とれて、いつも時間を忘れている。
「そうだ、ごはん」
急に目を見開いて呟かれた言葉に、言われてみれば腹が減っていることを自覚する。
「シエロが何か作って来てくれるって」
「……彼は食事を作れたのか」
目を瞬かせる俺に、リアがまた首を傾げる。
「どうして?」
「いや、どうしても何も……」
そこまで告げて、言葉を濁した。これは、俺が言うべきことではないのだろう。シエロ本人は、あまり気にしていないようにも見えたが。
「だが、何が出来ると言われても不思議はないな」
誤魔化すように、ただ本心からそう告げれば、リアも納得したように頷きを見せる。
「だよね。なんか、エマおばさんみたいだなぁって」
「親族か?」
リアは野性的ではあるが、ところどころの所作は洗練されている。そうした場に出れば『きちんと』出来るのだから、大したものだと思うし、良い教育をされているのだろう。だが……そうした身分の高い女性に、料理の出来るイメージはないが。
「ううん……仲が良かった人の、お母さん。子沢山で、すっごく仕事の出来るおかみさんなんだ!」
「……そうか」
思わず笑わなかった自分を、褒めてやりたい。
ただ、リアにとっては大事な人なのだろうし、真面目な顔を取り繕うことに全力を注ぐ。




