03 勝利への渇望 ⑲
『シド、私と仲良し?』
『ああ』
あの時、少しだけ不安を滲ませて問いかけたリアも、迷いなく答えた俺も、きっと『仲良し』の意味を、あまり良く理解していなかった。それでも、どこか安心したように笑ったその顔に、どこまでも優しくふわふわとした感情に、悪くないと思ったのは確かで。
(アンタの隣は、心地良い。だから、どうか)
強く強く握り締めた指先が、色素と温度を忘れて震える。初めて抱く感情に、押し流されてしまうことを怯えながら、ただ何かに誰かに祈る。
「……負けたり、するワケないでしょ」
どこか、言い聞かせるような声がポツリと落ちた。ハッとして隣を見やれば、思いつめた表情で試練の行く末を見守る『水』の瞳が、強い光を湛えてもう一度言った。
「半年も足踏みしてる時間なんてない、って……言ってた。やるべきことがあるって、だからココにいるって」
「……ああ」
その声は、返事など求めてはいなかった。それでも、今だけだとしても、同じ方向を向いているのならば。
「彼女は、負けない」
宣言するように力を籠めて言葉を返せば、柔らかな水色の頭が微かに揺れて肯定を示した、その瞬間だった。
ざわり
囁きに空気が揺らぐ。誰もが信じられないと言わんばかりに目を見開き、興奮したように声をあげた。釣られるように闘技場の中心へと視線を戻せば、マスター・リカルドが腰に差していた長く美しい杖を、しゃらりと優雅な仕草で抜き放ったところだった。
「『光と闇の魔術師』に儀杖を抜かせた!」
誰かが叫んだその言葉に、俺もまた息を止めて、そのどこか神聖な光景に見入っていた。殆どの装飾を有さず、どこまでも実戦的なスラリと真っ直ぐなだけの杖が恭しく掲げられ、唯一つ杖の頭に配された黒曜の宝石が、男の『言葉』に応えて燦然と輝き始める。
儀杖は一人前の魔法使いに贈られるものであり、使い手本人の力を最大限に引き出すものの『引き出し過ぎて』しまうことから、平時に使われることは先ずないと言って良い。仮にも、このイゾルデでマスターを名乗る者が儀杖を抜く時は、命の危機に陥った時か、それこそ『奥の手』でも使わなければ敗北を喫する時と言われていた。
当のリアは、まさかとは思うが儀杖の存在を知らないのか、どこか戸惑うような表情を浮かべていた。しかし、さすがの本能と言うべきか即座に飛び退ると、手にした刃を天に掲げた。刻み込まれた、鮮やかなカノのルーンが目覚めるように瞬く。
《アニータ・ヴァハト!》
ゴウ、と。
蒼く美しい魔法炎が吹き荒れる。花弁の散るように火花の欠片が弾け、いっそ冷たさすら感じる静けさを湛えて、リアを護るように焔の海が生まれた。思わず溜め息の零れるような美しい光景に反して、その炎が触れれば骨まで溶ける凶悪さを有していることを、ここに居ても感じ取れる熱が嫌でも観客に知らしめてくる。
明らかに『試練』の範疇を超え、互いの生命を卓に載せた賭けであるにもかかわらず、リアはぐっと顔をあげ……そして、笑った。そこに見えた獰猛さと、この状況を楽しむような煌めき、どこまでも無邪気な表情に知らず俺は息を飲んでいた。
焔の熱に巻き上げられ、白く燃え上がるような髪が、視線を奪う。その森の瞳に宿る命の輝きが、どうしようもなく美しくて。何か尊いものに祈るように、ただ彼女の名を呟いた。
試練が、終わる――
*
天井が、空が、優しい闇に包まれていく。黒曜の杖から光と闇が溢れ、眠りから覚めるように星々が瞬き始める様を、私はただ見つめていた。何もかもを焼き尽くす炎をまといながらも、その美しい魔法のタペストリーに敗北を確信しながら。
タンっ
杖の打ち付けられる音と共に、また一つ複雑な魔法陣が地に広がり消えて行く。その一瞬ごとに片鱗を読み取るだけでも、この魔法陣に干渉し打ち砕くことは不可能だと理解させられる。
この小さな宇宙に瞬く星のひとつひとつに、マスター・リカルドの積み重ねてきた途方もない時間と、空間に満ちる濃密な魔力の檻に、頭の奥が警鐘を鳴らす。このままでは、きっと……ううん、確実に、私は死ぬ。
(それでも、足掻きたい……ただの、一撃でいい)
この牙で、この鉤爪で、喰らいつくことが出来たなら。ゾクゾクと背筋を駆け上がるこの感覚は、きっと生命の危機に対する震えだけじゃない。あの日、あの森で感じた『人殺し』の冷たさとはまるで違う、全身を駆け巡るような、この衝動は。




