03 病める時も健やかなる時も ⑦
「……リンデンの蜂蜜とやらは」
「そちらの方は、普通はリンデンの葉で事足りるのだが、葉の持つ今回の薬に必要のない薬効成分がリアにとっては強過ぎた。そこで、プリミティフ・アベイユ《原始の蜂》……採取した蜜がその植物の性質を受け継ぐ蜂の蜜を使い、更に私の『言葉』で蜜に眠る記憶を引き出した。大雑把に言うと、必要な薬効成分だけ効率良く取り出したということだ。こうして出来た薬は、幼子に呑ませるには強過ぎる故に薬効を薄めるダイアウルフの肝を入れている。ダイアウルフは全身が薬の元だが、内臓だけは基本的に薬効を薄めるという珍しい効能を持っているからな」
「長々説明してもらって悪いけどね、こちとら半分も理解出来なかったよ……」
私が顔を引きつらせてそう言うと、魔法使いはむしろどこか嬉しそうな表情を浮かべた。
「そう簡単に理解されては立つ瀬がない」
私は肩を竦めて、ぬるくなったリアの首元のタオルを取り替えてやった。
「……それにしても魔法薬ってのは、本当に即効性が高いんだねぇ」
薬を呑んでからものの数分でリアの呼吸は安定し、熱も少しずつ下がり始めたのを感じて、私はしみじみと呟いた。
「ああ、それが魔法薬の一つの特性でもある。問題なく効いているようだな……良かった」
張り詰めていた表情を和らげて、リアの汗が滲んだ額から髪を優しく撫でる姿は『父親』の姿そのもので。
不意に、ほんの数ヶ月前、この男が今よりもっと小さかったリアを抱きかかえて、そこの戸口に立ち尽くしていた姿を思い出した。
『マダム、あなたは沢山の子供を立派に育てていると聞いた……どうか、助けてはくれないだろうか』
誰にも何も頼ったことなどないような顔で、いつでもたった独りきりで生きていたような男が、幼子を抱いて頭を地にこすりつけんばかりに頼み込んで来た時には度肝を抜かれたもんだ。
『アンタ、ガキ一人育てるってのが、どれだけ大変な事だか分かって言ってんのかい?拾って来た子供なら、悪いことは言わないから捨てて来な。盗って来た子供なら、今すぐ戻して来な』
そう言って門前払いしようとしても、自分の子供だと言って譲らない姿があまりにも真剣で、そんな一日二日でガキが出来てたまるかいと思いながらも何となく絆されて。
『これくらいデカくなってりゃ、食事はそこまで柔らかくしなくて大丈夫かねぇ。母乳も……山羊乳で事足りるだろ』
アレコレと教え始めた中でも、一番最初に教えたのは食事の事だったっけか。特に赤ん坊から三歳くらいまでは、それこそ誰かが付きっきりで面倒見てやらにゃならんけど、何はさておき飯さえしっかりしてりゃ、何とかならなくもない。あくまで、必要最低限だけど。
『それは良かった。いくら魔法や錬金術でも、母乳を精製することは出来ない故』
そんな事を真面目な顔して言い放った男に、思わず腹を抱えて笑っちまったのが昨日の事のようだよ。最初なんて力加減が分からないだの何だのと、恐る恐るリアに触れては泣かせてオロオロして、おむつも上手く替えてやれないような男だったのが、今じゃ生意気に立派な父親の顔になっている。
『アンタ、リアをどう育てるつもりだい』
『どう、とは?』
『……なんかあるだろ。良いトコに嫁がせたいだとか、自分の跡継がせたいだとか』
ついこの前、ふと気になってぶつけた質問に、男はそんなこと考えもしなかったとでも言うような表情を浮かべた。
『特に、何も。ただ、健やかに生きていてくれさえすれば』
脳天を殴られたような心地がした。
それは、親としては当たり前の感情なのかもしれなかったけれど、心の底から親のつもりじゃなきゃ出て来ないはずの言葉だと思った。何より、自分がそんな『当たり前』だったはずのことを、忘れかけていたことに愕然とした。そして目の前の、親としては駆け出しの初心者であるはずの男に、それを説かれたことに。
魔法使いなんて、ヒトの気持ちの分からない化け物どもだと、心のどこかで蔑んでいた。それなのに、どうだろう……眼の前の男は、人間よりも人間らしい。
いけ好かないヤツだと、思っていた。少なくとも、リアを連れてくるまでのこいつは、そうに違いなかった。いつだって、喪に服しているかのように不吉な黒を身にまとい、孤独と絶望と寂しさを引き連れて、必要な時以外は誰とも顔を合わせることなく塔の中だけでこの男の生は完結していたはずだった。
具体的に、何が変わったのかは分からない。ただ、今の私にとっちゃ、親子揃って放っておけない存在である事だけは確かで。
ふと、リアが意識を取り戻したのか、微かに身じろぎをしてゆるゆると瞳を開く。
「エル……」
「ああ、ここにいる」
伸ばされた小さな手を、しっかりと握って。そんな父親の手に、信頼しきったようにまた眠りへと落ちていく。
こんな、どこにでもある、それでいて何よりも尊い幸福の形を見せつけられたら。
(ったく、放っておけないじゃないか……)
この先、想像もつかない先の未来で、この娘が美しく成長して。そうして少し皺が増えたくらいで今と大して変わらない、この静かで無愛想な男の隣に寄り添っている姿が、目を閉じなくても簡単に想像出来てしまう。
もしこの恐らくは寄る辺ない子供と、この孤独な男が一人ぼっちのまま出会ったのだとしたら、それはきっと二度とはない出会いだろう。
(ただ、健やかに生きていて、ねぇ)
どんな人生を送れば、この若さでそんな言葉が咄嗟に出るようになるだろう。この無欲で強欲な男が、それしか願えないと言うのなら、私が祈ってやるしかないだろう。
この二人が、いついつまでも、優しく幸福な日々を生きることが叶うようにと。
本当にそれだけの事が叶うくらい、優しい世界であることを。
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