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塔の上の錬金術師と光の娘   作者: 雪白楽
第3章―真実の書― 学院都市篇
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03 勝利への渇望 ⑧


(……そっか、エルの部屋に似てるんだ)


 部屋に入った時から感じていた、どこか懐かしい感覚。研究生は不在にしているのか、それとも元からいないのか、人の気配がしない空間はここが彼の領域であることを強く感じさせる。優美さよりも(じつ)を取った、無骨でありながらも小さくまとまった水時計は自作だろうか。音もなく(したた)り落ちて時を刻むそれの他には、何一つ生きた動きを持たない、独りであることに慣れ切った、無駄を()()とし研究だけに捧げられた部屋。


 壁には一面に何かの図案や文章の書きつけられた羊皮紙が、やはり一定の秩序に従い貼り付けられていて、なんとなく他人の頭の中身を覗き見ているような気になって、おずおずと視線を逸らす。そんな私には見向きもせず、マスター・リカルドは壁に縫い止めてあった一束のメモのようなものを取り外すと、作業台の隅にある椅子をガタリと引き、無造作にメモ書きと真新しい羊皮紙を一巻き投げ出した。




「半刻やろう……訳しておけ」


 その言葉と共に、作業台の上の道具の中から黒いインクと羽根ペンが滑り出て『これで書け』と言わんばかりに整列した。当のマスター・リカルドは、既に興味を失ったかのように別の書籍を手に取ると、手近な椅子に腰掛けてページを(めく)り始めた。


《訳せって……》

《言葉通リの意味だロウ》


 マスター・リカルドと顔を合わせてから、いつになく静かにしていたナジークが、作業台の上に柔らかく飛び降りる。釣られるようにして、恐る恐るメモ書きの束に手を伸ばす。中身は魔術の理論か何かについて『古の言葉』で書かれたもので、パラパラと捲ればかなりの分量があった。


《これ……読むだけなら簡単だけど、真面目に一文字ずつ大陸共通語に書き起こしてたら半刻じゃ足りないよね。ちょっと時間かかるから、ナジークは寝てて》


 私が言うまでもなく、寝る体制に入っていたナジークが、作業台の隅で気怠(けだる)げに片目を開けて閉じた。私はまずメモの一枚目に目を通し、気合いを入れて腕まくりをすると、集中して書き起こすべき大陸共通語の文字列を思い浮かべる。一つ息を吸い込んで、インク壺に羽根ペンの軸ではなく、羽の方を漬けて羊皮紙の上に()()らす。




 ブワリと紙面に広がった黒が明確な形を持って定着した瞬間、深く息を吐き出して浮かび上がった文字列を確認する。


(良かった、ちゃんと出来てる……)


 エルから習った時間短縮の小技ではあるけど、確かにこれは想像以上に集中力が要る。一歩間違えると何度もやり直しになったり、これまで書き上げた分ですらインクでメチャクチャになることがあるから、よっぽど時間のない緊急時でなければ使わない方が良いとは言われてたけど、そもそも長時間この集中を保つのなんて無理だ。


 これが第二階位の『試練』なのだとしたら、半刻いっぱい使って丁寧に仕上げたいところを早々に諦めて、とにかく一旦頭の中の訳の全てを転写することに全力を注ぐ。


(……記憶消去の禁術に手を出したくなるとか、エルがボヤいてた気持ちが分かる)


 それはもう、痛い程に良く分かった。メモのページを捲って、新しく読み取った訳を頭の中に思い浮かべても、前のページの訳がまだ頭に残ってる。段々とそれが積み重なって、頭がパンクしそうに熱くなる。これを、複雑な魔法陣で数百枚も転写してみせたエルは、絶対に同じ人間じゃないと思う。


『我が深緑(しんりょく)の王に捧げる――祖国の母なる《祈り(ルクレティア)》を讃えよ。星々の覆い隠されようとするこの時、その深奥に奏でる(しるべ)を差し出そう。光は分かたれ、七星(しちせい)の盟約は成った。四星は相克(そうこく)し、三星は流転する。力もまた然りである。この地に眠る記憶に耳を傾け、名を呼び、不変を変とせよ――』




 うんぬんかんぬん。


 そこからは、もはや根性による戦いだった。普段は特に意識しないで使っている『言葉』を、文法や意味を細かくとって、人間達が交わす大陸共通語へと文字化して落として行く作業は、思っていたよりもずっと私を混乱させた。どちらも呼吸をするように、生まれた時からそばにあったから、紙の上と頭の中でぐちゃぐちゃに入り混じる。


(焦るな。別に、難しいことをしてるんじゃない……どっちも私の中にあるものだから、時間をかけて仕分ければいいだけ。転写で時間短縮してる分、十分に間に合う)


 なんとか四半刻(しはんとき)をかけて全てを頭の中から転写し終え、訳したものに目を通せば思わず溜め息を吐きたくなるほどに間違いを発見する。それらを私が一番苦手な、定着したインクを魔法で薄く削り取る、繊細な魔力操作が必要になる作業を終えて、正しい訳に書き直し終える頃には刻限ギリギリにまで迫ってしまっていた。


「終わりましたっ」


 この部屋に足を踏み入れた時の緊張や、マスター・リカルドを苦手としていたことも忘れて、ただ達成感と焦燥のままに声をあげた。私の大声に眉を(ひそ)めると、その横顔が壁際の水時計を確認して僅かに目を見開くのが分かった。







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