03 病める時も健やかなる時も ⑥
(なんつーものを、自分の娘が飲む薬に入れるかね……)
まあ、大丈夫だっていう絶対的な自信があるんだろうけど、この男は躊躇いとかそう言うものを知らないんだろうか。最初の方にだってディプル?だっけ、そいつの毒液とかサラっと入れてたしさ。
ただ、この魔法使いが薬を調合する所なんて初めて見たけど、本当に『熟練の技』とかいう言葉が相応しいお手並みだと思う。アンタ何歳だい、って感じだ。さっきから秤も使わずに薬匙だけで適当に入れてるように見えるけど、きちんと指先で重みを『量っている』んだってことが、繊細な手の動きで分かる。
何より蜂蜜みたいにドロドロしてるものとか、細かい粉末だなんてものは絶対に匙にべっとり付いて剥がれないはずなのに、さっきから見ている限りスルリと魔法みたいに全部が鍋の中に落ちていく。実際、魔法なんだろうけど、匙についたほんの少しの粉にまで気を配っている所を見ると、本当に正確な分量が分かっているんだろう。
私なんかドのつく素人だけど、それでも惚れ惚れするくらいに美しい調薬だった。ここまで辿り着くのに一体どれだけ苦労したんだか、と気の遠くなる思いで見ているこちらの視線なんて気にも留めずに、その手はナイフで小さく切り取った何かをガラスの乳鉢に入れてすり潰し始めていた。ダイアウルフなら私にも分かるよ……この魔法使いの住む塔の背後に広がる森に住んでいる、森の主だの神狼だのって呼ばれてるオオカミの事ならね。
いや、ダイアウルフって筋肉が鉄みたいに硬くて矢が通らない上に、下手すると人間より賢いから絶対に狩れないし、そもそも人間嫌いで人里には姿を見せないとか言う幻の種族だったと思うんだが、もういちいち驚いてちゃ身がもたない。知性を持ってる動物のほとんどが魔力持ちで、その身体のパーツは薬効が高いからって高値で取引されてるらしいけど、ダイアウルフ様だってさぞかし有り難い薬効とお値段なんだろう。
乳鉢の中身を小鍋の中にあけて、先程アドニスの花弁を溶かしたガラスの皿を手に取ると、また何やら不思議な呪文のような言葉を口にする。
《チェルテ・オーディア……セクト・イゾラ・イドラ》
その言葉が落とされた瞬間、ガラスの皿の中から水が消えて何やら不思議なモヤのようなものだけが残る。男はそれらを鍋に流し込んで、その後も迷いのない手付きで聞いたこともないような植物(動物かもしれない)の名前を呟きながら、あれこれと粉末を薬匙で掬っては混ぜ込んでいた。
鍋を見るといつの間に加熱でもしていたのか、薄く湯気を立ち昇らせながら何とも形容し難い色々なスパイスが入り混じったような匂いを撒き散らし始めていた。傍目には分からなかったけど、案外と時間との戦いだったのか一段落ついたのか、魔法使いは調薬を始めてからずっと詰めていた息をようやく吐き出した。
そうして最初にディプルの毒液を垂らしていたガラスの箱を手に取り目を閉じる。
《リベル》
今までとは打って変わってシンプルな言葉が祈るように呟かれると、何もないように見えたガラスの箱から数滴の黒い液体が鍋へと滴り落ちた。いつの間にかドロリとした液体になっていた鍋の中身は、黒々として見るからに不味そうだ。
(……待て待て待て、それを子供に呑ませるのかい)
私が内心冷や汗をかいているのを余所に、男はガラスの小瓶に鍋の中身を移し替え、今一度口を開いた。
《グラスタ・レナート・アメル・デ・ドゥーレ》
特に何が変わったようにも見えないけど、どうやらそれで完成らしく、一つ頷くと彼は自分の娘……リアの元へと歩み寄っていく。
「ね、ねぇ……それは子供が飲める代物なのかい?その、味とかさ」
私の存在など忘れていた、とでも言うように目を瞬かせて、かなりの時間差で男は頷いた。
「問題ない。味の方はたった今、調節していた……苦味という性質を甘みに書き換えてある」
むしろ、そんな細かい気配りのできる人間だったことに驚いてしまう。我ながら、割と失礼なヤツだと思う。心でも読めるんでなければバレないから、セーフだと思いたい。
「それなら安心したよ」
もう質問はありません、という意味をこめてヒラヒラ手を振ると、今度こそ男はリアに薬を呑ませた。やっぱり味の調整なんて出来ちゃいなくて、吐き出したりなんかしやしないかという私の心配とは裏腹に、特に問題なくリアは薬を飲み干した。
後は様子を見るだけで、出来ることは少ない。何だかんだ言って、沈黙と静かな空間が苦手な私は気になっていたことを目の前の男にぶつけてみることにした。
「さっきの、ディプルがどうとかエーテルがどう、とか言ってたっけ?私ゃアンタがなにやってんのかサッパリだったんがね」
「……ああ、聞いていたのか。スコール熱の対抗薬は感染源であるディプルの毒液が必須の材料となるが、それをそのまま体内に入れれば間違いなく死に至る。他にも色々と有毒物質を使う故に、その毒性を薄めるための作業がほとんどだったが、ディプルの毒液に関しては毒以外の成分まで打ち消されてしまわないように分離する必要があった。だから、エーテルを用いて純化する工程を入れた……ガラスの箱がそれだな」
「良く分からんけど、エーテルとやらを使うと毒が消えるのかい」
私の質問に、誰かに何かを教えることなどないのか、彼は難しい顔をしながら慎重に答えた。
「いや、毒が消える訳ではない。エーテルは錬金術の基礎となる物質だが、他の全ての物質の持つ性質をバラバラに分解するという力を持っている。一度中に入れた物質は、エーテルの外に出してしまえば入れる前の姿に戻るが、性質そのものは緩く結合された不安定な物質になる。ディプルの毒液に話を戻すと、他の毒性を打ち消す物質が、ディプルの持つ毒という性質にのみ作用しやすくなる。ざっくりと言えば、そんな仕組みだ」
それでザックリかい。私は目を白黒させながら、良く分からないながらも話の続きを促した。




