02 紐解く七色の導 ⑥
「『父さん』のことは言ったらダメだって、マスターが言ってました。だから、言えません」
口にバッテンを作って『言わないぞ』と意思表示をすると、門番さんは呆気に取られたような表情を浮かべた後に、堪えきれないって感じで吹き出した。
「ぷっ……そうかよ。まぁ、師匠の言うことを聞くのは良いことだな。はいはい、参りました……ただ、本当に秘密にしておきたいなら、秘密にするよう言われたことも秘密にしとけ。とにかく、お前が自分の名前は『これだ』って思ってんなら、それでいい」
彼は苦笑を浮かべて、ポンと私の頭に手を置くと、名前の焼き付けられた羊皮紙を受け取った。
《ラ・ヴェンナ・シーラ……エタ・ティオ・アビーシア》
我が名の下、ここに約を結ぶ――
囁くような低い声がそう告げると、誓約の証は宙に溶けるようにして燃え落ちた。
「それでは、お前に第一階位・プロトを授ける――ここに」
呼び寄せられて、ガランとした部屋の中心に立つと、パチリと弾かれた彼の指先の魔力に応えて、目の前に金色の水盆が空間を歪めるみたいにユラリと現れる。
「手を翳して、力を示せ。やり方は、分かるだろう?」
優しく背中を押されるままに、蜂蜜みたいにとろりとした水盆を覗き込む。壊れ物に触れるみたく、出来る限り優しい魔法で触れて。
しゃらり、と。
星屑がきらめくみたいに、瞬く銀色が手の中に落ちた。私の力に応えて生まれたのは、美しい一本のピンだった。針先の留め具から頭まで、触れれば壊れてしまいそうなほどに繊細な鎖が揺れて、頂点に輝く十字星の中心に嵌め込まれるのは、どこまでも透明な雨のしずくみたいな石。まだ何者でもない、ゼロの私に寄り添うように。
『海へと沈み、無知の王が散りばめた星を集めれば、扉は開く――眠れる哲学者に、秘密を捧げよ』
同時に浮かんだ銀の文字が、水盆と共にじわりと溶けて消えていく。
「これが……次の手がかり、ですか?」
そう尋ねると、門番さんは何も答えずに悪戯っぽく笑うと、黙ってローブの襟元をトントンと示して見せた。そこには私のものとお揃いで、石の色だけが深い紫に染まった銀色のピンが輝いていて。
(そっか、魔法契約で話せないんだ)
確かシエロは緑色の石を付けていたし、階位が上がるにつれて色が変わる仕組みなんだろうと思う。彼はそっと手から銀色のピンを取り上げると、私の襟元に手慣れた様子で留めてくれた。
「これで良し、と……似合ってるぞ。お前が必要としてる場所には、そのピンがありゃ好きな壁から入れる……ただまぁ、最初くらいは正規の道を通って行け。そらよっ」
そうニヤリと笑うと、何かを撃ち抜くように何もない石壁を指差す。その瞬間、パキパキと音を立てて凍りついた石壁が、雪の結晶のように音もなく砕け散った。替わりに現れたのは、吸い込まれそうな深い漆黒の扉。
「お手をどうぞ、お嬢さん」
あまりに自然な上品さで、柔らかく差し出された手を、引き寄せられるように取っていた。扉へとかけられた指に、どんな時でも目を見開いておけと言うオロケウの教えは身体の芯に刻まれてるはずなのに、つい先程の衝撃を思い出して思わずギュッと目を閉じてしまう。
「ようこそ、イゾルデ魔法魔術学院へ……入学、おめでとう」
少し笑いを含んだ声が落とされ、瞼の裏に感じた光に目を瞬かせる。
「わぁ……!」
まず感じたのは、行き交う人々の熱。わずかな囁きだけがさざなみのように交わされる空間で、誰もが書を携え真剣な表情と瞳で何かを求めていた。上と下の双方へと伸びる広大な空間と、それらを支配するカタツムリの殻のような螺旋階段。その壁には幾重もの円状に書架が配され、今にも零れ落ちそうな程に無数の書物が詰め込まれていた。
星の欠片のように優しい光を放つ水晶がポツポツと空間に浮かび、静かに熱い空気に包まれた地下都市を照らし出す。こんなにも沢山の人が魔法を学んでいたんだと言う感動と、膨大な書に積み重ねられた歴史の分厚さに胸が熱くなる。魔法使いの街……この場所こそが、イゾルデの心臓なのだと確信して、興奮と共に振り返る。
「あれ、いない……」
私の『入学』を祝ってくれた赤髪の門番さんは、あの部屋に続く扉と共に、文字通り魔法のように消えてしまっていた。
「お礼、言いそびれちゃった」
《ソのウチ、会うダろう》
最近になって、人間の言葉をより正確に把握し始めているナジークが、私の呟きに不思議な確信を持って返した。
《そうかな……まあ、謎の存在感がある門番さんだったもんね》
《ソレもソうダガ……まァ、良イ。為スべき事ヲ、為しニ行クノだろウ?》
ナジークの問いかけに、思わず笑みがこぼれる。この『先』があると分かっているから……ううん、もしもどこかで道が途切れていたとしたって、もう迷わずに走り続けられるはずだから。
《駆け上がろう。とにかく、行ける所まで――!》
襟に光る無垢な石の鼓動を感じて、知の螺旋階段へと足をかける。
今ようやく本当の意味で、私の学院生活が始まろうとしていた。
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