01 伸ばす手の先へ ⑤
ただ一つ、僕の予想に反していたのは、彼女そのものは非常にもの静かな存在であったこと。誤算だったのは、想像していた以上に他人の存在そのものが、僕にとってウザったくて仕方がなかったこと……と言うより、彼女の無言こそ『うるさい』のが全ての元凶だった。
最初の三日は、僕の行く所どこにでもアイツはついて来て、やることなすこと全てを無言でジッと見つめて来る。お陰で何もかもに集中出来なくて、それでも何かを邪魔しているワケでもないから『ついて来るな!』とも言えずに悶々として、更に作業効率を落としていた。ただ三日目に、その悪循環を強制的に断ち切る出来事が発生する。
『そこの君、入って来ないで頂けますか』
僕が受講しようとした研究授業で、彼女が門前払いを喰らったのである。
『っ……どうしてですか』
そこの研究室の教授が寄越した冷たい視線に、怯みながらも彼女が問いかけると、彼は溜め息混じりにヒラヒラと手を振った。
『……その質問をしている時点で、君に資格が無いからです。出て行きなさい』
ガチャリと無慈悲な音を立てて扉と鍵で隔てられ、ようやく訪れた束の間の静寂と平穏に、僕は満足して息を吐き出した。
『全く……あの研究室は、最低限の礼節と常識も持たない人間を量産する伝統でもお持ちなんでしょうかね』
教授の言葉に、部屋の中を冷笑と失笑が漂う。その矛先が、誰に向いているのかは火を見るよりも明らかだった。紛れもなく、僕だ。
この学院に来てから大分培われた『無表情筋』を駆使して、なんでもない顔を取り繕いながらも、内心で僕の腸は煮えくり返っていた。
(いつか、絶対に……潰す)
そんな、品行方正な学徒にあるまじき悪態を心の中で吐きながら、性格は最悪でも忌々しいことに実力はあるクソジジイの講義を全力で吸収する。しまりのない他の学生の顔を横目に見ながら、自分で自分に言い聞かせて……そうだ、僕にはやるべきことがあるのだから。こんな場所で、燻っている場合じゃない。
この踏み台を越えて先に進むためだけに、この時間はある。決して、何一つ無駄にはしないし、ならない。お前達は、そうやって笑っているがいい。最後に笑うのは、僕だ。
そんな風に、アイツが付いて来たり来れなかったり、僕も少しずつその存在に慣れながら、時にブチ切れつつ元の安定した生活を取り戻し始めていた矢先だった。
『何故、無階層の者が紛れ込んでいる?』
入室の時に気付かれなかったのか、いつの間にか講義に潜り込んでいたアイツを、明らかに不快そうな表情で教室の主である教授は睨みつけた。僕は、かつて自分の身に浴びせられた絶対零度の視線を思い返しながら、つい襟元に留めたピンに触れずにはいられなかった。
(って言うか、僕に付いて回るの、まだ諦めてなかったワケ……)
正直、マズい相手に目を付けられたなと僕は内心ゲンナリしていた。魔法科棟の中でダントツに若い教授でありながら、ピカイチで気難しいとされるマスター・リカルド。有能なのに、古代魔法の解析と言う不人気科目を専門としており、更に本人の性格が最悪なのも相まって研究生をほとんど持たないが、密な内容故に講義を取る者は多い。
『そこの貴様だ、白髪の落ちこぼれ』
当然ながら彼は、この魔法科棟出身であり、学生として在籍していた時にそのまま教授として残らないかと言う打診された天才で……そう言うずば抜けて賢い人に良くありがちな『無能な人間が大嫌い』な性格だ。いわゆる『低階層』に甘んじている魔法使いなど、さっさと魔法科棟から、ひいては自分の視界から出て行けと本気で思ってる、らしい。
そのまま『出て行け!』とでも怒鳴りつけるかと思いきや、マスター・リカルドは皮肉気な笑みを浮かべて腕組みをした。病的なまでに細くて長い指が、何かの旋律を奏でるようにその腕を叩く……悪名高き『学生イビリ』の姿勢である。
『今すぐに叩き出して、私の眼前から消えて頂きたい所だが、貴様にも面目躍如の機会を与えてやろう……私が先刻説明していた、宣誓式の詠唱省略を最初に実戦化したのは誰だ』
初っ端から悪質なひっかけ問題とか……正解はアイゼナハ・ヒュルター。当然ながら発見者のメリッサ・バームの方が魔法史的には有名で、どちらかと言えばアイゼナハは、魔法魔術系統よりも隣国イスカーンの歴史において、魔術師の集団戦導入に成功した話が有名だ。
『……分かりません』
『戦場において眼前の敵を排するべき状況にある時、この術句詠唱の誤りを指摘せよ』
間髪を入れずに告げられた次の質問に、あれ、と首を傾げる。こちらは、ひっかけ問題とは言え有名な話だ。空中に走り書きされた長々とした術句は、その内容が正しいにせよ間違っているにせよ、そんなものを戦場で唱えている暇は基本的にない。つまり、長々した術句詠唱そのものが誤りで、予め準備していた魔法陣か魔道具を用いるが最適解である。
『間違いは……ありません』
チラリと術句に目をやった後、ごくごく真面目な顔をして答えた彼女の姿に、部屋は失笑で溢れた。なんとなく苦い気分で眺めていると、マスター・リカルドの方は至って冷たい表情のままで問いを続けた。




