01 伸ばす手の先へ ③
(マスター・フィニアスなら、有り得ない話ではないあたりがね……)
あの人に限っては、貴族連中に認知されていない秘蔵っ子の一人や二人くらい抱えていそうなものである。あの忌々しいギルフォード家の子息が良い例で、彼がずば抜けた魔導の才能を持っているだなんてことは誰も知らなかったのに、確かマスターが彼をイゾルデに引っ張ってきて、あのトンデモない才能を覚醒させたのだと言う話だ。彼はマスターの弟子ではなく、弟弟子だったはずだけど。全く、今も昔も余計なことばかりしでかしてくれる。
どこからどう見ても目の前の彼女は、この国じゃ忌み子扱いされてる白髪だし……その正体は単なる色素欠乏なんだけど、未だにエルディネはそういう伝承に縛られてる古臭い村が多い。これは本当に、世間から存在の知られてない『秘蔵っ子』の可能性が高くなってきた。そうだとすれば、かなり険しい人生経験を積んでそうなものだけど。
『あの……私はどうすればいい、ですか』
明らかに慣れていない丁寧な言葉遣いで、そんなことを尋ねてくる『秘蔵っ子』に、僕は深々と溜め息を吐いた。
(……ああいう『化け物』に比べると、ちょっと役不足なんじゃないの)
そこらへんの国だったら単騎で滅ぼせる、間違いなく魔物より恐ろしいマスター・フィニアスが、わざわざ弟子に取るほどの脅威にはどうしても思えなかった。
『そんなの自分で考えて……って言うか、やりたいことがあるから、ここに来たんじゃないワケ?それすら無いなら、どうぞ帰って。コドモの遊び場じゃないから』
僕がおざなりに手を振ると、彼女は少し眉を寄せて難しそうな顔をした。
(さすがに怒ったか)
そう思って、少しだけ胸のすいた僕が鼻を鳴らそうとした時だった。
『それじゃあ、好きにします』
『え……』
何かを納得したように頷いた彼女は、ズケズケと研究室の奥に踏み込んで来たかと思えば、もう何年も開けていないような埃っぽい巨大な窓に小さな手をかけた。
『ちょっ』
ガチャリ
無慈悲な音と共に解錠された窓は、蝶番をぎしつかせながらも、次の瞬間には光と風をぶわりと取り込んでいた……当然ながら、研究室に散乱する紙類を盛大に巻き上げながら。
『ちょっとっ!いきなり窓全開とか、バカじゃないのっ?』
『え、あっ、ごめんなさい!』
僕の悲鳴混じりの声に、彼女はようやく部屋の惨状に気付いたのか目を瞬かせると、風の流れを掴むように手を振った。音楽でも奏でるような動きに合わせ、巻き上がった紙達は引き寄せられてまとまり、前触れなく書棚からすっ飛んできた魔導書がトドメのようにドスリと積み重なる。まるで、呼吸でもするような自然さで、魔法が行使されたのだということに遅れて気付く。その、魔法が完全に生活の一部と化している姿に、思わず呑まれた。
(っ……いや、これくらいなら珍しくもないし)
ここは大陸一の魔法使い達の集う学院都市なんだし、こんなことくらいでイチイチ驚いていたら心臓がもたない。そう思い直して息を吐き出していると、何やら視界の端ではモゾモゾと彼女が机の下に潜り込んでいた。見ればどこから出したのか、机の足に縄を巻きつけているらしい。
『ちょっと……好きにすればとは言ったけど、いきなり研究室の備品を私物化しないでくれる?』
『ごめんなさい、すぐ回収するから!』
机の下からパッと顔を出してそう笑ったかと思えば、スタスタと縄のもう一端を持ったまま窓際へと歩いて行って……そのまま窓から飛び降りた。
『は……?っちょ、何してっ!』
ザッと血の気が引く音が聞こえて、僕が慌てて窓に駆け寄った時には既に遅く、はなかった。
『え』
見えたのは、一瞬のうちに想像したような最悪の光景なんかじゃなくて、その持ち主のようにポヤポヤした小さなつむじだけ。彼女は僕が晒した間抜け面を、一瞬だけ見上げて小さく首を傾げると、何事もなかったように壁を駆け下り始めた。
タンッ、タンッと軽やかに壁を蹴って、ロープ伝いにスルスルと降りていく姿は明らかに手慣れていて、透き通るような肌を持つ家に籠りがちそうな大人しい少女と言う印象を根底から覆していく。あれはどう考えても、日の当たる場所を駆け抜けてきた……野生児だ。
(って言うか、ここ四階なんだけど)
僕が呆気に取られている間に、風の力か何かを借りて勢いを殺しているのか、既に彼女は音もなく地面に降り立っていた。
『ヒューィッ!ヒューィッ!』
鷹狩りの猟師か何かが使う指笛のように、鋭く高い音が薄紅色の唇から響き渡る。一体何事かと眺めていれば、空の向こうから一羽の黒鳥が緩やかな羽ばたきと共にやって来るのが見えた。知と閃きの運び手、ワタリガラスだ。ここイゾルデでは珍しくもない存在だけれど、そのワタリガラスは迷うことなく空を翔けて二度三度羽ばたくと、フワリと彼女の肩に留まった。




