00 序 ②
「ディートハルト」
話が進まないと察した国王は、ただ一言大将軍の名を呼んだ。
「……御意に。現状を整理する。昨夜、街道沿いの宿場町シンシアが、闇の末裔……スプリガルの集団に襲撃された。これまでの報告にあったように、スプリガルは人型の生物を乗せて飛行可能な唯一の生物であるザイロスに乗り飛来している。敵勢は十騎に満たないものの結界が突破され、駐屯していた衛兵はほぼ全滅、放たれた火は街の三分の一以上に延焼、領民への被害は未だ確認が取り切れていないものの、現状で五十名以上の死者が出ている」
ディートハルト将軍の説明に、既に事態を把握している面々は思い思いに頷いた。
「帝国の紋章を掲げていたのか」
スプリガルの襲撃によって多大な被害が出る事は周知であるため、ギルフォード公は今更悲観する事もなく問うべき事を問うた。
「衛兵に生存者がほぼ皆無である故に、そちらも確認は取れていない……が、同日にレストニア帝国領の方角より飛来するスプリガルの集団を、隊商が目撃しているとの報告が上がった。これまで通り帝国の尖兵である、と見て良いだろう」
執務室に、重い沈黙が落ちる。その重さに対して、余りに不似合いである穏やかな声で、フィニアスが艶やかな銀髪を揺らして微笑みと共に小首を傾げた。
「それで、あなた方は何を今更慌てているのです?これまでも、街道沿いの村々が襲撃されていた事は報告を受けていたはずですし、私自らご忠告申し上げていたはずですが」
言葉だけは丁寧ながらも『愚かですね?』と聞こえてくるような嘲り声に、フィニアスの性格を良く知る一同は、表情を引きつらせながら内心で嘆息した。結局の所、彼がエルディネ最高峰の戦力にして敗北を知らぬ軍師であり、その立場などいつ捨てても一向に構わないと本気で思っている厄介な人物である事実を、ここにいる誰もが重く受け止めていた。そして、彼を動かす事の出来る人物がたった一人だけである事も。
「……それ故に、貴殿を頼った。そう言ったはずだ」
その、ただ一人である王が口を開き、ひたりと気難しい魔法使いを見据えた。
「助けてはくれぬか、フィニアス」
王の言葉に、フィニアスは分かり易く嫌そうな表情を浮かべた。不敬極まりない態度に、ディートハルト将軍は青筋を立てているものの、国王本人は至って真摯な態度である故に何も言えず。他の者達も王の『お願い』が勅命よりもずっと、この偏屈な魔法使いには良く効く事を知っていた故に大人しく黙していた。
示し合わせたような視線の動きと沈黙に、フィニアスは諦めたような溜め息を深々と吐き切った後、表情を改めて王に向き直った。
「以前にご報告申し上げた通り、メスティア渓谷を通るやり方では私の魔力をもってしても、相手方に悟られず帝国領へと侵入する事は不可能です。結界は幾重もの網となって張り巡らされておりますし、掻い潜る事はおろか普通の人間であれば、触れただけで存在が消し飛ぶような代物です。一つでも解除すれば、当然ながら術者には勘付かれるでしょう。認めるのは癪に触りますが、あの結界を構築した術者の力量は相当のものだと言えますね」
「……しかし貴殿であれば、結界を破壊する事も難しくは無いのでは」
呟くようなギルフォード公の、問いかけともとれぬ問いに、フィニアスは器用に片眉を上げて鼻を鳴らした。
「ええ、難しくはありませんとも……ただし、壊れた結界を元に戻す事も、時間を巻き戻して差し上げる事も出来ませんよ。後に待つのは、どちらかが完全に息絶えるまでの全面戦争だけです。それに打ち勝つ準備が、こちら側に出来ているとは考え難いのですが?」
「それでは、何もせずに手をこまねいていろと言うのか!」
ブラッドフォード公の叩き斬るような胴間声と、ギリリとつり上げられた眦に対して、冷ややかな声色で応えたのはフィニアスではなかった。
「公よ、それはフィニアスの領分ではない。戦に至るまでの道筋を考えるのは彼だが、勝利するために必要な道具を揃え、実際に道を作るのは我々の仕事だ……それでさえ、エルディネはフィニアスの力に頼り過ぎている。己の存在意義を問われたくなければ、その点を履き違えるな」
「……御意」
王に叱責を受けてしまえば、ブラッドフォード公とてそれ以上の口を挟む事は出来ず、複雑そうな表情で引き下がる。そこへ今にも牙を剥こうとしていたフィニアスは、毒のやり場を見失い、仕方なく肩を竦めた。




