07 人間である、ということ ⑧
そう、小さく微笑んだフィニアス師が、あまりにきれいだったから。息も出来ずに立ち尽くす私に何を見たのか、アイスブルーの瞳はそっと瞬いて、また遠く世界を見下ろしていた。
(人であるからこそ、得られるもの……)
今日の『観光』は、昨夜の授業の続きだったんだと、今更のように気付く。フィニアス師が私に伝えたかったこと、私がいま伝えたいと願い、あふれる言葉が喉につかえる。
私がやりたいこと。やらなければ、ならないこと。私の信念……それから、矛盾。
「……私、は」
限りなく透明な氷の瞳に、森の緑が迷うように揺れている。
映し出される真実を見つめ、息を吸い込んだ瞬間だった。
「ここにおいでだったか、マスター・フィニアス」
不意に空間を打ち壊した声に、バッと振り返る。人影は、三つ。言葉を発したのは、先頭に立つフードを被った人。そのすぐ真後ろに、無骨な印象を与える老年の男性が立っている。見るからに強そうな雰囲気を放っていて、危機感が背筋を駆け抜けた、はずだった。
(シア、お姉ちゃん……?)
視線を向けた三人目は、見間違えるはずもない。いつもと違って、騎士の鎧でも旅装でもなく、周囲に溶け込むような目立たない服装をしているけど、どう見てもシアお姉ちゃんだった。確かにその瞬間、目が合ったはずなのに、目を見開いただけですぐに逸らされてしまう。分かりやすいシアお姉ちゃんは、見た通り『知らないフリ』をしているんだろうけど、どう見てもバレバレだ。二人の後ろに控える位置で、本当に良かったと思う。
(絶対に、訳アリだ……)
そう思うのは、シアお姉ちゃんが妙に緊張した表情で私を無視してるのもそうだけど、何より声がかけられた瞬間から放たれ始めた、フィニアス師の『私は不機嫌です』と言わんばかりの冷たい空気のせいに違いなかった。
「……何故、こちらに」
「南の門から『紋章』が使われた、との知らせがあったのだ」
「……チッ」
明らかな舌打ちが響き、シアお姉ちゃんの頬がひきつるのが見えた。ここまでフィニアス師が分かりやすく不機嫌なのも、ちょっと珍しいと思いながら、しっかり口を閉じておく。
「そんな程度の連絡で自ら出張るほど、貴方は暇ではないと認識しておりましたが」
「その通りだ……少々、危急の事態が」
「ならば、貴方は貴方の仕事を為すべきなのでは」
ピシャリ、と叩きつけられた言葉に、話しているフードの人本人じゃなくて、後ろに控えている人の方が殺気立つのを感じた。
(うわ、凄い威圧……フィニアス師には、負けるけど)
実際、フィニアス師は殺気を向けられたことにも気付いているのかいないのか、相変わらず冷たい表情でフードの人を眺めていた。
「だからこそ、ここに来た。力を貸して欲しい……マスター・フィニアス」
一歩も退くつもりのないらしいその人に、フィニアス師は『心底不快』と言うような表情を浮かべたけれど、やがて小さく息を吐いて往生際悪く言った。
「……暫く暇を頂く旨は、ご連絡差し上げたはずですが」
「受け取ったし、認可もした。が……先刻、それを取り消して欲しいとの正式な伝令を、イゾルデの方にも送ってある。いずれにせよ、遅かれ早かれ貴殿の元に届くだろう」
「レディ・リヴロー」
あくまで目の前の人の言葉を叩き切るように、フィニアス師がシアお姉ちゃんの姓を他人行儀に呼んだ。
「『これ』を、私の代わりに学院都市へと送り届けて下さい」
言葉とは裏腹に、私を護るように肩をつかんだ手の平が、ひどく熱くなっていた。フィニアス師の言葉に、シアお姉ちゃんは困ったような表情で、付き従っているフードの人の背中をチラチラと見つめた。
「その者は?」
シアお姉ちゃんの困り顔も知らずに、好奇心をのせた声でフードの人は訊いた。
「貴方には関係のないことだ」
「それでも、興味がある」
悪びれないフードの人に、フィニアス師はイライラしたように息を吐いて、私の肩に置かれた手が無意識なのか少しだけ震えた。
「こちらへ来て、顔を良く見せてくれないだろうか」
私に問いかけるフードの人(私もフードだから分かりにくいけど)の言葉に、ここはフィニアス師に判断を任せようと、堅い面持ちの横顔を見上げた。珍しく逡巡するように揺れたアイスブルーの瞳は、やがて諦めたように一つ伏せられた。つまりは、ゴーサイン。
一歩二歩とフードの人に向かって踏み出して、その顔を見上げた。
「「っ……」」
お互いを覗き込んだ私達は、揃って息を飲むのを感じた。多分、お互いに違う理由で。
(綺麗な、色)
海の……いや、違う。それよりも淡くて、透明で、それでいて包み込むような青。瞳も、髪も。
「森の緑……」
「泉の、青」
かすかにこぼれた音が重なって、きっと私達だけがそれを聞いた。




