07 人間である、ということ ⑦
「この辺りは、一部の人々の間で『色彩の丘』と呼ばれています。貴族街と比べて、いかがですか」
周囲の建物を見渡すと、貴族様の家と比べれば小さくて……ちょっとボロいどころか、今にも崩れそうな家があったりした。ただ、スラム街と比べて決定的に違うのは。
「きれい……」
思わず溜め息がこぼれるほど、美しく咲き乱れる花達。それはどこか無秩序で、それでいて自然に咲いたと言うにはあまりに花が揃いすぎていて、この世で最も美しい『自然』を目指して計算されつくされた『庭』のように感じた。
「ここに住む者達が、手に手に持ち寄った花を植えているのでしょう。己の住む場所よりも、目に触れる世界の美しさを優先する奇特者……芸術家という生き物の集まりですので」
「貴族様の家をまわって絵を売る人達、でしたっけ」
「厳密に言えば、絵に限りませんし売買契約でもありませんが、概ねそうだと言っても良いでしょう。画材と言うものは、希少な植物や鉱物を大量に用いますので、芸術家にはパトロン……出資者が必要になります。人脈や金銭的な援助を受け、初めて名画は名画たり得ると言っても過言ではありません。君が志そうとしている学問も、同じ事です。人間社会の中で研究を続けていくためには、どんな分野であれ誰かの助けを必要とするものです。その出資者は、多くの場合が特権階級……教会関係者か、貴族階級に当たります」
もしかしなくても、エルの場合はそれがライに当たるのだと、今更のように気付く。ライはエルが大切だから助けてるって感じだけど、それにしたってライは本当に何者なんだろう……
「だから、ここの人達は貴族街の近くに住んでいるんですか?」
「そう言う事になりますね……しかしながら、彼らはまだ距離を置いている部類で、どちらかと言えば異端者の枠に入る者達です。あまりに教会権力や貴族社会に縛られていると、己の本当に描きたいものを見失ってしまうからと、君の言った売買契約に近いような形で、絵画一枚単位でパトロンからの支援を受けているようですね」
「へ、ぇ……」
学者はひたすら研究して、芸術家はひたすら絵を描く、それだけの単純な認識でいたから、その絵や研究がどんな風に生まれるのかなんて考えた事もなかった。
「とは言え、衣食住の全てを援助されている正道の芸術家に比べれば、生活環境は劣悪ですし、仕事の入りも安定しません。パトロンの趣味にすり寄らない、独自の作風は一部で人気を博しておりますが、やはり異端は異端ですので。信念を貫いていると言えば聞こえはよろしいですが、それと良い作品を描けるかと言った話は別問題……どちらが良いとも悪いとも、一概には申し上げられませんが。詰まる所、己の信念と芸術観……何より個々人の力量に依るものですので」
私に芸術のことは分からないけど、これまでずっとエルのことを見てきたから、研究をしている人のことなら少しは分かる。それもまた、私には少しピンと来ない話だけど、エルが研究している錬金術は魔法・魔術の研究者の中では異端中の異端で、だからこそ私に錬金術のことを教え込もうとはしなかった。
それでもエルは、たった一人でも研究を続けてる。フィニアス師の空を飛びたいと言う願いも、普通の人から見たら馬鹿にされるような、ある意味で子供じみた考えなのかもしれない。それでも、フィニアス師は誰に恥じることもなく、空を飛びたいと願い続けている。
きっとこれは……フィニアス師の言う通り、信念の問題だ。誰かにとっては意味のないようなことでも、バカバカしい些細な自尊心でも、自分にとっての正しいもののために、どこまで何を犠牲にするのかという選択。その「ものさし」は、結局自分の心の中にしかない。
「昨晩の……人間の『特権』についての話を、覚えていますか。例えば一幅の絵やひとかけらの知識のため、何もかもを捧げられる生き物は、世界中のどこを探しても人間だけです。己が知らない世界の秘密のため、まだ見ぬ至上の美しさのため、何よりも重要な項目であるはずの寝食や己の命を捨て、本能に逆らう事の出来る生き物……これもまた、一つの特権だと言えるでしょう。本当に愚かで……故にこそ、愛おしい」
そう、囁くように落とされた言葉は、紛れもない彼の真実だと思った。この世界を見つめる横顔は、どんな道のりを歩いて、その結論に達したんだろうとも。
「この世界は、綺麗な事ばかりでは無論ありません……それでも、こんなにも美しいものであふれている。それを美しいと感じる心があり、この美しい世界が明日も続いて行くのだと、そう信じられる今日と言うこの日を越えていく。そこに哀しみや絶望があったとしても、たったひとつでも愛しいものを見出せるならば、この世界も……人間であるということも、存外と悪くないものです」




