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塔の上の錬金術師と光の娘   作者: 雪白楽
第2章―真実の書― 旅立ち篇
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07 人間である、ということ ③

「ああ、それは潮の香りでしょう……海ですよ」

「これが、海……」


 また柔らかい風が吹き上げて来て、私はそっと髪を押さえながら世界を見下ろした。ユーリが何度も話してくれた、世界の果てまで繋がっている、涙の湖。この海の先に、誰も知らない理想郷がある……いつか、ここから。

 ふとフィニアス師を見上げると、その横顔はどこか眩しそうに海と空の境界を見つめていた。不意に、私の目の前にいるこの人は、どこから来たんだろうと思う。その瞳は、失くしてしまったと言う故郷の姿を見ているんだろうか、とも。


「……行きますよ。折角ですから、半日ほど王都を案内して差し上げます」

「はい……!」


 フィニアス師は坂を下りながら、森を歩く時みたいに沢山の事を教えてくれた。エルディネ王国の建国の祖が、かつて古の時代に水の精霊と友誼(ゆうぎ)を結び、その子孫が今のエルディネ王家であること。故にこそ、王家の持つ水の力が、最も強まる海に都を置くこと。王都の隅々まで走る細い川は運河と言うもので、人力で掘られたものであり、エルディネ国内の様々な川と繋がっていること。


「ですので、エルディネは海と運河の網を世界に巡らせた、一種の貿易国家であると言えるでしょう。ここから見える王都の街区からも分かるように、あちらの大きな川を挟んで右岸にある白一色で統一された区画が貴族の居住区、左岸の色とりどりな露天が並ぶ区画が商業区ですが……商業区が栄えている事は見れば分かるでしょう」


 フィニアス師が指し示す方角に()()う、あの小さな点が人なのだとすれば、私の知っているお祭りなんて比較にもならないくらいに沢山の人で(にぎ)わっていることは確かだった。


「普段から、あれなんですか。何か、特別な催し物とかがあるんじゃなくて?」

「ええ……とは言え、今日は人の出が少ないですね。検問も、いつになく強化されている様子でしたし、何かあったとみるべきでしょう……まあ、面倒なので深く考えたくはありませんが」


 あれで普段より少ないなんて、と目眩(めまい)がするし、何か不穏(ふおん)な言葉が聞こえたような気がするけど、それこそ怖くて深くは考えないことにした。


「そう言えば、さっきはどうしてすんなり検問を通れたんですか?」

「ああ……王家の紋章を使ったんですよ」


 サラリと告げられた言葉に絶句する。王家って、あの王家だろうか。前にチラリとエルが言っていた、フィニアス師の仕事……戦術顧問?が何だか分からないけど、少なくとも私が考えていたより大変そうなお仕事なんだってことだけは想像がついた。


「私、こう見えても偉いので」


(どう見ても偉そうです……)


 色んな意味で、と心の中で付け加えるけど、そんなことを口にすれば命がなさそうなので口は閉じておく。


「権力だの権威だの肩書だの、面倒なものでしかないのですが……この世のしがらみからは中々逃れられないものでして、代わりに使えるものは使っておこうと言うことです。まあ、これを使うと面倒なことが起きかねないので、あまり頼りたくはないのですが。今回ばかりは不可抗力ですので、仕方ありませんね」


 肩をすくめるフィニアス師の不機嫌な横顔に、これ以上この件について踏み込むのはやめておこうと心に決めた。


《賢明ナ判断だナ》


 カァ、と一つ鳴いてナジークが(つぶや)いた。


「えっと……街の真ん中に見える、大きい建物が王宮ってところですか?」

「ああ、いえ。あれは大聖堂ですね……外観や内装は良い職人が手掛けて美しい一方で、神官の連中はいけ好かない(やから)が多いので私は敬遠しておりますが。王城は、あちらの方ですよ」


 刺々(とげとげ)しい口調で吐き捨てた後にフィニアス師が指し示した先には、海の中にポツリと浮かぶ孤独な城の姿があった。


「えっ……どうやって行き来してるんですか」

「この角度からだと分かりにくいですが、こちらとあちらを結ぶ長い橋があるのです。緊急時には橋桁(はしげた)さえ上げてしまえば、(ほとん)どの敵は攻め込む事は出来ませんし、海と海の生き物はエルディネの味方ですからね。あれ以上の城は、無いと言えるでしょう。無論、欠点も少なくありませんが、美しい城であることに変わりはありません」

「へ、え……でも、綺麗だけど、少し寂しいお城ですね」


 ポツリと呟いた私の言葉に、フィニアス師は目を瞬かせて少し考え込むような表情を見せた。


「寂しい、ですか……そう、なのかも知れませんね。王とは、孤独な生き物ですから。また、そう在らねばならない。それに耐えられない者から、あの城を去って行くのでしょう……いえ、生まれ持った使命以上に大切なものを、己の生に見出したからかもしれません」


 どこか遠い瞳は、過ぎ去った時の狭間(はざま)を見ていた。私の知らない、この街の過去を。


 じっとその横顔を見つめていると、ふと我に返ったフィニアス師は何かを悔いるように表情を引き締めて、またアグナスティアの坂を下り始めた。






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