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真・家賃1万2千円風呂共用幽霊付き駅まで縮地2回  作者: タクティカル
真・第二部 パロディ頼りなタイトル編
10/29

エリザが作る手作りの肉じゃがは甘い

「……うむむ」


 唸る俺の視線の先、玄関の扉の鍵からカチャカチャ音が聞こえる。

 まるで何か棒状の物を鍵穴に突っ込んで弄繰り回しているみたいな音だ。

 ぶっちゃけピッキングだろう。前に遠藤寺がしてたのを目の前で見てたから分かる。


 しかし、最近の宅配業者って平然とピッキングとかするのな。

 まあ、荷物を持って帰るのも面倒だろうし、再配達の手間とか考えたら責められないわ。チャチャッと開けて、荷物を部屋に放り込んだ方が時間も無駄にならないだろうし、アリかもな……倫理的な問題は置いといて。俺が宅配業者だったらそーするし、みんなもそーすると思う。


 それにしても……


「雪菜ちゃんに似てたな、さっきの人」


 扉を開けた先にいた女性を思い出す。

 美しく艶のある黒髪、テレビに映るアイドルより何倍も可愛い顔、無駄な肉のないスレンダーな体つき、雪菜ちゃんが通ってる高校の制服――そして実家にいる時に何度も見た俺を見つめる冷たい表情。実際、かなり雪菜ちゃん度が高い。


「雪菜ちゃん度99.89%ってとこかな」


 そういえば、宅配のおねーさんにしては、何も荷物とか持ってない――手ブラだったような。ちなみに手ブラと言っても、おっぱいを手で隠す方の手ブラじゃなくて、何も持ってない方の手ブラだから、勘違いしないでよね! いや、勘違いしてもいいけど! 手ブラで『あ、あの……荷物忘れてきちゃいましたぁ……どうしましょぉ……』みたいな台詞を涙目で言われたらどうする? 俺だったらとりあえず部屋に入れて優しい言葉をかけつつ温かいココアを差し出すね(自然と胸から手を離す状況を作り出すのがミソ)

 

「……」


 それにしても……。

 手ブラ……雪菜ちゃんにそっくりな容姿……扉を閉められて即ピッキングに走る悪い意味での思い切りのよさ……普通ならありえないが、雪菜ちゃんなら全て当てはまる。


 も、もしかして……宅配のおねーさんとかじゃなく、本当の雪菜ちゃんだったり。

 なんつってな!

 

「……ゴクリ」


 仮に。もし。

 訪ねてきたのが雪菜ちゃんその人だとしたら……色々マズい。

 何がマズいのかっていうと、もう全部マズい。ウチに来てしまった現状自体がマズいし、問答無用で扉を閉めてしまった事もヤバイ。

 マズ過ぎて吐きそう。

 

 ――カチャン


 俺が脂汗かきながら唸っていると、目の前の鍵がゆっくり開錠された。

 

「ホォイ!?」


 慌ててチェーンをかける。

 開錠された扉が開けられるのと俺がチェーンをかけた行動――僅差で俺の行動が早かった。

 目の前で扉が開かれたが、チェーンのせいでその動きは途中で止まった。


 ――ギィィ、ガァン!


 金属音と共に、開かれたわずかな隙間。

 生唾を飲み込みながら、隙間を眺め、何が起こるか待っていたが……何も起こらない。

 てっきり来訪者がその隙間から顔を覗かせると思っていたが……何のアクションもない。


「あ、あれ……?」


 やはり何も起こらない。

 もしかして、ピッキングだけして満足して帰って行ったのか? 宅配のおねーさんじゃなくてそういう性癖の人だったのか? あ、ありえる。……世の中、俺が理解できないような性癖を持っている人はいくらでもいるからな。

 ひたすら綾波の同人誌書き続ける人とか。

 鍵を開けるのが気持ちいいとか、ウチの妹みたいな顔してるだけあって、変な性癖だなぁと思いつつ、ゆっくり扉の隙間から外を見る。すると。


 ――ヌルリと腕が伸びてきた。


「うおおおおおおお!?」


 蛇を思わせる動きで完全に俺の首を狩りに来た腕。それをギリギリで回避できたのは、完全に運がよかったからだろう。マトリックスかイナバウアーと見るかで年齢が別れる動きで回避する。ゴキって鳴るくらい首を背後に逸らし、そのまま扉から離れる。

 死神の鎌の如く俺を襲った腕は、扉の隙間から手を伸ばした状態で縦横無尽に動き、しばらくしてからゆっくり扉の外にヌルリと消えた。


 そして――


「チッ」


 やはりヌルリと――蛇を思わせる動きで、彼女が扉の隙間から姿を見せた。舌打ちをしながら。


「あと一歩扉に近づいていれば捕まえたのに。……チェーンをかけるなんて……フン、私から少し離れて暮らす間にずいぶんと小賢しくなりましたね、兄さん」


 こ、この兄を兄とも思わない発言と凍り付く様な冷たい視線――間違いない。奴だ。雪菜ちゃんが来たんだ。一ノ瀨雪菜――妹が来たんだ。

 認めたくなかった事実に直面し、脳内で『Dies irae』が流れる。

 Diesiraeをバックミュージックに、雪菜ちゃんがジッと俺を見つめる。


 その瞳――実の兄に対して向ける、床にこびり付いたガムを見るような眼。

 こんな眼、ウチの妹以外にありえない。


「せ、雪菜ちゃん……?」


「はい私ですが? どうしました兄さん? 鳩が豆鉄砲を食らって気絶した後に然るべき処置を経て食肉加工されたような顔をして」


 うーん、間違いなくこれ雪菜ちゃん!

 ただこれ、夏の暑さに茹った俺の脳が見せた幻の可能性も、なくはないです。

 稲川〇二の怖い話だって、最終的なオチは『一番怖いのは人間だったとさ』みたいな? 寓話的なオチ多いもん!……自分でも何言ってるか分からんけど。


「あ、あのさ……本当に雪菜ちゃん?」


 俺がそう尋ねると、雪菜ちゃん(仮)はそれこそ鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をした後に、くすくす笑い出した。


「……ふ……ふふっ……流石……ええ、流石兄さんというべきか。これは予想していませんでしたね。兄さんが鶏並み、畜生染みた記憶力の持ち主だとは思っていませんでした。まさか数か月離れていただけで、私の――妹の顔を忘れてしまっただなんて。少し兄さんに対する評価を改めないといけませんね。ふふっ、くすくす……ふふふっ……ふふっ……ふふふ、兄さんったら、おかしいっ、ふふ……」


「あ、あはは」


「何がおかしいんですか?」


 その時の雪菜ちゃんの顔ときたら、冷たいを通り越して氷河期だった。こりゃ、恐竜も全滅するわ。

 恐竜を絶滅させるレベルの冷気を浴びせられたもんだから思わず扉を閉めてしまった。

 そのまま鍵をかける。汗で指がヌルヌルだったから、滑る滑る。


「……はぁ……はぁ……」


「辰巳くん、どうかしたのー? だれー? 大家ちゃん?」


 お料理中のエリザが声をかけてきたので、問題ないと手を振る。


「えへー♪」


 可愛らしい笑みを浮かべて、手を振り返してくれた。

 

 さて。

 問題はある。こうやっていくら鍵をかけても、雪菜ちゃんは問題なくピッキングで開錠してくる。

 だから扉を締めたって無駄なのだ。


 ――カチャン


 ほらもー、さっきの半分くらいの時間で開錠されたー。ピッキングのコツ掴んでるー!

 ゆっくり扉が開かれる。

 扉に近づいていると雪菜ちゃんの蛇掴み(スネークバイト)に捕まるので、距離を開けたまま見守る。流石の雪菜ちゃんも腕を伸ばすことは出来ないはず。……出来ないよな?


 暫く扉の隙間を見守るも、雪菜ちゃんの腕が現れることはなかった。

 かわりにワイヤーカッターがヌルっと姿を見せた。クロックタワーに出てきそうな、とても大きい代物だったそうなぁ(昔話風) 顔が映るくらいピカピカに磨かれた、新品のワイヤーカッターだったそうなぁ。 

 カッターはその巨大なアギトをお爺さんに割られた桃の様にパックリ開き、玄関と外界を隔てるチェーンを挟み込んだ。


「うひー!? ちょ、ちょっと待った―!」


 慌てて待ったをかける。

 いつもの通り冷たい表情の雪菜ちゃんが扉の隙間から顔を出した。

 そのまま『来ちゃった♪』みたいなセリフを言ってくれたら、いい感じにキュンとするシチュなんだけど持ってるブツがブツだけに悪い意味で心臓がキュンとしてしまう。この状態で『来ちゃった♪』って言われたら素で『タマ獲りに?』と言い返すだろう。


「何ですか?」


「いや、何ですかじゃなくてさ。え、何しようとしてんの? なにそれ?」


「こんな事もあろうかと道中で買った3980円のワイヤーカッターですが、何か? 逆に兄さんに尋ねますが、この状況で私が何をすると思うんですか?」


 チェーンのかかった扉、ワイヤーカッター……何も起こらないはずもなく……。


「もしかしてチェーン切って部屋に入ろうとしてる?」


「正解です。流石に2度も目の前で扉を閉められては、穏やかな私もこうやって実力行使も辞さないということです」


「おだやか……?」


 『では入刀します』と言いつつ、カッターを閉じようとする雪菜ちゃん。

 俺は再度待ったをかけた。


「いや、ほら! 確かに扉を閉めたのは悪かったけどさぁ! いきなり来るんだもん! びっくりしてそりゃ、いきなり扉も閉めますや!」


 ワイヤカッターが止まる。

 俺は間違ったことを言っていない。いくら何でもいきなり家に訪ねてこられたら、相手が妹だって混乱するだろう。

 そりゃ2度も鍵をかけてしまう。俺たちは子供じゃないんだ。

 普通、相手が身内だって訪ねる前にはアポを取るだろう。


 雪菜ちゃんはアレだけど、礼節は弁えている。

 俺が言ったことは正論だって理解してるはず。上手くいけば『確かに兄さんの言う通りですね』と納得して、一旦家に帰って、改めてアポをとったのちに訪ねて来るだろう。

 その間に問題を片付けさせてもらう。今家に上がられたら困るしな。マジで困る。


「ほ、ほらね。だから今日のところは帰って、改めて――」


「連絡しましたが?」


「は?」


 雪菜ちゃんの表情からは冗談や誤魔化し、そういった感情は読み取れなかった。


「ですから。昨夜のうちに連絡をしておきましたが。今日訪ねる、と。当たり前でしょう。いくら身内とはいえ、来訪する前に連絡をするのは人間として当たり前の行為です」


「い、いや連絡なんて……」


 ポッケからスマホを取り出す。

 LINEは……反応してない。そういえば雪菜ちゃんとはメールでやり取りしてたっけ。

 じゃあメールをめるめる、と。

 どれどれ……うーん、なるほど……昨晩から合わせて20件ほど連絡が来てますね。ふむ。


「……」


 雪菜ちゃんが俺を急かすように、ワイヤーカッターをチョキチョキする。

 ほら読めや、と。


 最初のメールを開く。


『兄さん、ダイエットおめでとうございます。そういえば大学は夏休みに入った頃でしょうか。私も夏休みに入ったのですが、生徒会活動、部活と忙しく、怠惰を謳歌しているだろう兄さんが少し羨ましく思います。ですが明日、偶然にも1日だけ予定が空いたので……兄さんに会いに行こうと思います。貴重な休みですが、唯一血を分けた兄の顔を見る義務を早めに果たしておこうと思います。分かっているとは思いますが、私にとって貴重な1日です。1分でも無駄にしたくありません。ということは……分かっていますね? 明日、8時に家の前で待っています』


 というメールだった。

 メールが来たのは……20時。普段なら俺が暇をしてる時間だ。

 だがその時間、昨日に限っては『エリザお帰り回』を大家さんと開いてたので、メールを見ている暇なんて無かった。

 美味しいご飯を食べて、そのあとみんなで遊んで……あー、大家さんが持ってきた衣装を使ったエリザコスプレ撮影会は楽しかったなぁ……色々楽しんだ後、倒れるように眠ったんだ。

 で、翌朝、と。 


『おはようございます兄さん。予定時間の1時間前ですが……まあ、兄さんは寝ているでしょうね。一応、昨日のメールを受けとった兄さんが私を迎えに来るため、早めに起床する確率もないとはいえないので、一応メールをしました。可能性は万に一つもないとは思いますが……既に家に近くまで来ていたとしたら……近所の喫茶店で時間を潰しておいてください。私の準備がまだなので』


 そして予定(雪菜ちゃん曰く)の時間、5分前のメール。


『さて。8時5分前になりましたが……はぁ。寝坊ですか。……まぁ、兄さんが遅刻するのは想定済みです。今頃慌てて飛び込んだ電車の中でこのメールを読んで私がいる方角に土下座をしているのでしょう。土下座は結構です。周りに恥を晒さないように、静かに座っておいてください。謝罪のメールは不要です。何年間、兄さんの妹をしていると思っているのですか? これくらいは想定内の範囲です、ええそうですとも』


 8時か……普通に美咲ちゃんとランニングしてたな。

 それにしても今朝の美咲ちゃん、陸上用の生地がめっちゃ小さいウェア着てて、臍とか鎖骨とか丸出しで痴女みたいだった。あ、いい意味で痴女ね。痴女子高生……うん、いい感じで声に出したい日本語。


『8時30分になりましたね。……なるほど。今の兄さんの光景が目に浮かびます。震える手で携帯を持ち、涙を流しながら滲んだ画面を見つめている――ふふふ、そうでしょう? ええ、その光景が浮かんだだけでも留飲が下がります。9時まで待ちましょう。ですが……今のこの穏やかな感情が保たれるのは9時まで。それ以降は……分かりますね?』


 8時30分……ランニングが終わって、アパートに帰ってきた時間だな。

 朝の掃除中の大家さんと出会って、昨夜は楽しかったですねー、みたいな話をしてたはずだ。『色んな服着たエリちゃん見れて楽しかったですねぇ、うふふ、ほんとエリちゃんかわゆい……はっ!? だめだめ! エリちゃんは恋のライバルなんですからっ……で、でもかわゆい……妹にしたい……舌足らずな感じで「あねうぇ」って呼ばれたい……じ、じれんまぁ……』みたいに朝から葛藤する大家さんを放置して家に帰ったのが9時前。


『ピッピッピ……9時になりました。私がどこにいるか分かりますか? ――最寄りの駅です。電車を降りて走ってくる兄さんとすれ違うと思いましたが……駅まで着いてしまいました。どうやら兄さんに対する評価を改め直さなければならないようですね。少し時間がかかりそうなので――1時間。こちらの駅で兄さんの評価をしながら待とうと思います。私を見かけて声をかけても、返事はしないものと思ってください。1時間も待たせたうえ、1人で駅まで歩かせた罪……果たして現世で償いきれるでしょうか? ……ふふ』


『一応言っておきますが、私は一番端の休憩室にいます』


 9時に家に帰って、エリザと朝飯食ったんだっけ。

 それからゴロゴロして。


『さて10時です。兄さんの案内がないまま、とうとう兄さんが住んでいる町に着きました。一応聞いておきますが……兄さん、生きていますか? 昨晩から全く返事がないので。ゴキブリ並みの生命力を持った兄さんの事ですから、そこまで心配はしていませんが。流石にそろそろ起床した頃だと思うので、そちらからの移動時間を考えて10時30分まで待ちます』


『10時15分ですが、そちらに向かおうと思います。言っておきますがいつまで経っても迎えに来ない、兄さんが心配になったというわけではありません。……先ほどからエプロンを着けた頭髪の無い恰幅のいい男性が、駅構内を歩き回って気味が悪いので。私を見るやいなや「不合格」と言い放って……気味が悪いので。……本当、気味が悪い』


 いや、不合格で正解だぞ。合格したらオッサンの地下室に招待されて、倫理機構激おこプレイ待ったなしだからな。


『11時。ふぅん……ここが兄さんが住むアパートですか。兄さんが住むのに勿体ないくらい、掃除が行き届いていますね。住人の質に関しては……先ほど、ジャージなんてみっともない恰好をして全く化粧もしてない女性としてどうかと思う方からコンビニへの道を聞かれましたが……兄さんの部屋を教えてくれた女の子は丁寧な言葉遣いで可愛らしかったので……まあ、いいとしましょう。プラスマイナスゼロです、いえ……少しプラスでしょうか』


『ここが兄さんの部屋ですね。さて。……ここでチャイムを押してもいいのですが、最後のチャンスです。12時まで待つので、扉を開けてください。開けなければチャイムを押したのちに、強制的に押し入れさせてもらいます。これが最後通告です。兄さん――生きてるなら、さっさと返事を下さい』


 これが最後のメールだった。

 

「……」


 メールを見終えた俺を、雪菜ちゃんがジッと見つめて来る。

 微動だにせず、水晶の様な目が俺を貫く。

 目を泳がせる俺を逃がす気は無いと、槍の様に一切ぶれない視線を向けて来る。


 これは完全に……俺のミスだ。

 雪菜ちゃんからのメールは即返信する。実家を出る時に約束したはずだった。 


「……あ、あの雪菜ちゃん。えっと……」


「……」


 チェーンに刃を添えたまま、沈黙の雪菜ちゃんが俺を見つめる。

 こういう時、どういう行動をとればいいか、今までの兄妹生活で分かっている。 


「そのぉ……ごめん。メール見てませんでした」


 正解は素直に謝る。


「……」


「昨日は色々あって……あ、いや言い訳するつもりじゃないんだけど。メール見ないまま寝ちゃって」


「……」


「朝も朝で……ほら、俺最近、ジョギングしてるんだ。で、帰って来て飯食った後にメール見てさ」


「……」


「だから、その……ごめん。俺が悪かった。雪菜ちゃんを1人にしてごめん。迎えに行けなくてごめん」


「……はぁ」


 雪菜ちゃんが溜息を吐いた。

 長い溜息だった。


「そういう事なら……いいでしょう」


「え? 信じてくれんの?」


「兄さんが嘘を吐いてるか、そうでないかくらい分かります。返事を待たなかった私も悪いと言えますし」


「だよな! 普通は返事が来てから家出るよな!? そ、そもそも今日、俺に出かける用事があったかもしれないだろ!?」


「何を言っているんですか? 兄さんに出かける用事も、出かける相手もいないでしょう? 夏休みに家を出るなんて……ありえません。明日地球の隕石が落ちるくらい、ありえないことです」


 いや……その、今日もこの後、遠藤寺と出かける用事があるんだが……。

 逆に言えば遠藤寺という友人がいるこの状況は隕石が落ちるくらい確率の低い状況なのかもしれない。


「……ふぅ。兄さん、私に嘘を吐かず、本当のことを言えたこと、褒めてあげます。こちらに頭を」


 有無を言わさない口調に、反射的に頭を差し出す。

 玄関から伸びてきた手が、俺の頭をヌルリと往復した。

 実家にいた頃から、俺が正しいことをするとこうやって雪菜ちゃんは俺の頭を撫でてくれた。かつて思春期だった俺は当然気恥ずかしいし、それを拒否しようとしたこともあったけど、雪菜ちゃんの眼に映る『兄さんの癖に拒否するとか、爪一枚ずつ剥がされたいんですか?』みたいな眼がマジで怖くて拒否できなかった。

 怖いけど、頭を撫でる手の動きはいつも優しい。それは昔から変わらない。


「じゃあ、兄さん。早くこのチェーンを外してください。私もこの炎天下の中、3時間も立ち続けるのは少し……疲れました」


「あ、ごめんごめん。今あけるわ」


 溜息を吐く雪菜ちゃんを見ながら、チェーンに手を伸ばす。

 チェーンに伸ばした右手を……左手が掴んでいた。

 俺は自分の右手で左手を掴んでいた。

 こ、これは一体何事……!?


『おはようグッドモーニング妾』


「こ、これは……何をするシルバちゃん!?」


『ふわぁ……ねむねむ。あふふぁ……あほぉ……あほあほぉ~』


 欠伸をしながら人を罵倒するとか……罵倒相手に失礼だと思わなくて!?

 罵倒するなら、ちゃんと真剣に相手のことを考えて罵倒するのが筋ってもんでしょう! それが罵倒する側の義理であり矜持でしょうに! ねぇバトーさん!?


『誰じゃバトーさん。つーか妾に感謝するべきじゃろ。なに、当たり前の顔して扉を開けようとしとるんじゃ?』


「普通って……愛すべき妹がわざわざ俺を訪ねてきてるんだぞ? 開けざらんや!?」


『落ち着け。落ち着いて……後ろを見てみるがよい』


「うしろ?」


 欠伸混じりのシルバちゃんの言葉に従い、背後を見る。

 そこには……


「にくじゃがー、にっくじゃがーっ、家庭的料理で一番人気のにっくっじゃがー♪ お嫁さんに作ってもらいたい料理一番の肉じゃがー! おいしくなーれ、おいしくなーれ♪ にくじゃがにくじゃが、みっくじゃがー……あれ? みっくじゃがー? にっくじゃがー? えへへ、どっちでもいいや。辰巳くんの為に、みっくじゃがー♪」


 楽しそうに鼻歌を歌いながら鍋を回すエリザがいた。

 そ、そうだった。

 雪菜ちゃんを部屋に入れるわけには行かない理由があったんだ。

 今、雪菜ちゃんを部屋に入れてしまったら……大変なことになる。


『ふん。ま、後はお主が何とかするのじゃな、妾は幽霊娘の肉じゃがを再現するために、ひたすら観察しとるからの。……ふむふむ、なに? その指で作ったハートマークに何の意味が……?』


 ありがとうシルバちゃん。それしか言う言葉が見つからない。

 シルバちゃんがいなかったら、何の対策もしないまま扉を開けて、そのまま人生ゲームオーバーだった。


「兄さん? さっきから誰と喋っているんですか? ……もしかして、部屋に誰かいるんですか? ――兄さん、早くこのチェーンを外して下さい」


 雪菜ちゃんの目から放たれる冷気が強くなって、鼻垂れそう。

 俺は扉の隙間から顔をのぞかせる雪菜ちゃんに向かって、開いた右手を突き出した。

 

「――5分。5分だけ待ってくれ」


「……はい?」


「いや、ほら……えっと、部屋が……アレだから! 汚れてるから!」


「別に気にませんが。兄さんの部屋が散らかっていることなんて、ここに来る前から想定しています。そもそも、実家にいた頃、誰が部屋を掃除していたと思っているんですか?」


 まあ、誰かっていうと雪菜ちゃんですよね。

 チャチャッと俺の部屋を掃除してくれた上に、エロ本とか同人誌もジャンル別に分けてくれる有能っぷり。

 ただ、妹ものを目につきやすい場所にポップアップするのは玉に瑕。あと俺が読み返すページを的確に読み取ってドッグイヤー作るのはやめてほしい。


「そ、そうなんだけどさ……」


「……はぁ。時間が勿体ないです。部屋は私が掃除するので、早く入れてください。別に今更兄さんの部屋が汚れていようが、気にしませんから。何年兄さんの妹をしていると思っているんです?」


 確かに雪菜ちゃんは俺の部屋いくら汚れていても気にしないだろう。ゴミ袋が山積みになっていようが、キッチンに汚れ物が溜まっていようが、生乾きの洗濯物が群れを成していようが気にしないだろう。部屋の隅にキノコが生えていようが、急成長したゴキブリがゴキブリ塚を築き上げていようが、身元不明の死体が転がっていようが……気にしないだろう。

 それらを見ても『はぁ、もう、しょうがないですね兄さんは』と溜息をついて片付けてくれるに違いない。


 だが――


「ふふふーん♪ あ、辰巳くんは甘いのが好きだからぁ……ここでお砂糖を一つまみ! あ、あとは……愛情を、愛情……えへへ、えへへへへ♪ え、えっと……ちゅっ。できたぁー! かんせー!」


 だがコイツ(エリザ)を許すかな――?

 ……。

 うん。許すわけないよね。

 雪菜ちゃんが普通にエリザを受け入れる展開が思い浮かばない。どんな選択肢を選ぼうが、今部屋の雪菜ちゃんを入れてしまった時点で俺の人生は終わる。

 

 俺は玄関に膝をつき、頭を垂れた。


「なにとぞ! なにとぞ! 5分だけ、5分だけ勘弁つかぁさい!」


「な、何ですか兄さん……」


「ほんとマジで5分!」


 5分あればエリザを逃がせる。エリザさえ何とかなれば、俺の首も繋がる。

 もし雪菜ちゃんがエリザを見たら……考えたくもない。


『部屋に入るのを嫌がると思っていたら……そういうことですか。年端もいない少女を部屋に監禁……はぁ……なるほど。――兄さん、首を出してください』


 みたいな展開が考えたくないのに脳裏に浮かぶゥ!

 雪菜ちゃんがデカいハサミを持ってるせいで妄想がパンケーキみたいにふわふわ膨らむゥ!

 ワムゥ!(意味のないモノローグ)


「せっかく! わざわざ! 愛する妹が実家から訪ねてきたのに! みっともない部屋を見せたくないんですっ! どうか! どうかぁ! 今宵は一献、今宵は一献――!!」


 俺は祈った。勢いのまま叫びつつ、ただ祈った。

 神よ! はじめて祈る! この情けない願いをどうか聞き届けてくれっ!


 願いが届いたかどうか分からない。

 だが、言葉は届いたようだ。


「……愛する妹。ふぅん……愛する、ですか。……まあ、いいでしょう。3時間も待ったんです。今更5分くらい……ええ、お好きにどうぞ。好きなだけ悪あがきをしてください。どうせ変わりはしないでしょうけど。この5分で何が変わるが……せいぜい、楽しみに待って――」


 雪菜ちゃんの許可がとれたので、時間がもったいないので扉を閉める。

 5分。

 あと5分だ。

 5分経てば俺がチェーンを外さなくても、雪菜ちゃんは入ってくるだろう。あの子はそういう子だ。

 5分……300秒で問題を片付けなければいけない。

 5分……壱番魔晄炉からの脱出よりも半分は短いが、なんとかしなくちゃいけない。

 大丈夫だ。何とかする相手は端から決まっている。


 俺はその相手に視線を向けた。


「あ、辰巳くん! お昼できたよー。肉じゃがー。肉じゃががー? え、えへへ♪ ちょっと味濃いめにしたから、ご飯いっぱいお代わりしてねー」


 さて、このエリザをどうにかしなければ、この先生きのこれない。

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