第9話 番人の家
「──あ」
食堂の扉の前。
案内されたラーラマリーは、用意されていた裾の長いシンプルな水色のワンピースに着替え、髪はきつく纏めてあったのを飾りの花ごと全て解き、サイドだけをゆるく編んだだけで残りは全ておろしてある。
壁にもたれ腕を組んで待っていたジークヴァルトは、彼女の姿を映すやパッと瞳を輝かせ、体を起こし歩み寄ってきた。
「早かったな」
思いの外穏やかに声を掛けられたが、彼の瞳が嬉しそうに光ったのは一瞬で、自身に満ち溢れ溌剌としていた先程までとは打って変わって、今のジークヴァルトは何故か少しだけ表情が固い。
「あの──」
困惑のままラーラマリーが口を開いたのと同時に、ジークヴァルトの表情に緊張が走り、彼女の言葉を遮るように言った。
「すまなかった!」
立派な体躯のジークヴァルトが、まるで叱られた子犬のように、不安げに眉を下げている。
「え?」
驚いて目を丸くすると、目の前のジークヴァルトは肩を落としたまま言葉を重ねた。
「突然連れてきて、その……驚かせてしまって、すまなかった。人と話すがの本当に久しぶりで……浮かれすぎだとキースに──青髪の俺の従者に叱られた。ラーラマリーは一人なんだろう? 外は危険だし、ここにいてくれると嬉しい。夕食も、一緒に食べたくて……説明もなしに、強引に誘ってしまって……悪かった」
謝られている側なのに、あまりにしょんぼりとしているジークヴァルトを見ていると、何だか自分の方が悪いことをしているようだ。
しゅんと項垂れている彼を見上げながら、ラーラマリーは不思議な気持ちになって思わず小さく笑ってしまった。
(人と話すのが久しぶり、か。森の外の人間とはって意味よね。ずっと前から森で番人をしているって言っていたし、ここは結界に囲まれているもの。外から来た私が凄く珍しかったのね)
突然の出来事が続き驚きはしたが、目の前のジークヴァルトを見るに、きっと彼は物凄く自分の感情に正直な人物なのだろう。
そう思うと、ラーラマリーはふっと肩から力が抜けた。
「驚きはしましたが……謝って頂けましたし、気にしていません」
微笑んでそう言うと、ジークヴァルトは表情を明るくし、安堵を滲ませた。
「本当か? 怒ってはいないのか?」
「はい、怒っていません。助けて頂いたのは私の方ですし……カッとなって剣を向けてしまって、すみませんでした」
森に入り、全てを自分一人で何とかしなければいけないと思っていたラーラマリーは、気を張っていたこともあり、助けてくれたジークヴァルトに斬りかかるという蛮行に出てしまった。
冷静になって考えれば、見るからに扱いに慣れていない小娘が剣を握っているのを見れば、危ないと思って指摘するのは自然なことだろう。
ラーラマリーは真剣だったが、それでもやはり竜を倒すだなんて無謀としか言いようがなく、笑われるのも仕方のない事だったと納得できた。
「それに、あのまま森にいても、一人で夜を過ごす事になってどうしようもなかったと思います。本当にありがとうございます。あの……夕食も、ご一緒したいです。お言葉に甘えてもいいですか?」
「もちろんだ!」
ジークヴァルトは表情を一変させ破顔すると、ラーラマリーに手を差し出した。
どうやら席にエスコートしてくれるらしい。
手を重ねると、思ったよりも強い力でグッと手を引かれた。
「わ!」
バランスを崩し、引かれた勢いのままジークヴァルトの胸に飛び込んでしまう。
ジークヴァルトも同様に驚きで目を丸くし、ラーラマリーを優しく支えた。
「悪い、また失敗した。……加減が難しいな」
拗ねたように顔を顰めたジークヴァルトに、ラーラマリーはまた笑ってしまった。
「ふ……ふふ……そうですね、ちょっと強かったです」
腕の中で笑うラーラマリーを見つめながら、ジークヴァルトは思わず呟いていた。
「……やはり逃げないのだな」
だが、そのあまりにも小さな呟きは、ラーラマリーには届いていない。
何が彼女の琴線に触れたのか、暫くクスクスとそのまま笑っているラーラマリーに、ジークヴァルトは喜びを溢れさせ目を細めた。
「その服、とてもよく似合っている」
至近距離で華やかな美貌に微笑まれ、ラーラマリーは僅かに耳を熱くした。
「あ……ありがとうございます。服もボロボロにしてしまっていたので、助かりました。こんなによくして頂いて……」
「別にたいしたことじゃない。──さあ、中にどうぞ」
笑顔のジークヴァルトに先程よりもゆっくりと慎重に手を引かれ、ラーラマリーは食堂の中へと案内された。
「ん──!!」
出された料理はどれも信じられない程に美味しく、一口食べた瞬間からラーラマリーは虜になってしまった。
目を輝かせながら、ぱくぱくもぐもぐと集中して食べる彼女の様子に、ジークヴァルトが楽しそうに目を細め、給仕していたメルナリッサがニコッと笑いかけた。
「美味しいですよねー!! 作ってるのはオルフェって子なんですけど、デザートが特に絶品なんですよー!」
「メルナリッサ、黙って仕事して下さい」
すかさず壁際に控えていたキースに嗜められ、メルナリッサがムッと口を尖らせる。
「キースだって、いつもはもっとお喋りでしょ。かしこまり過ぎだよ。姫様に緊張してるんでしょ!」
「な……! ち、違います! 私はただ責任以って職務をこなそうとしているだけで」
「まあ、生真面目すぎるのは確かだな」
「ジークヴァルト様まで……!」
主人からも揶揄うように言われ、キースは動揺を見せた。
わいわいと会話している三人を眺めながら、ラーラマリーは思わず笑顔になっていた。
(何だか……家に帰ってきたみたいだわ。竜の森で、まさかこんなに楽しい時間を迎えるなんて、思ってもいなかった)
穏やかに食事をしながら、ラーラマリーはずっと気になっていた事を尋ねようと口を開いた。
「あの……ジークヴァルト、様は──」
「ジークでいい。敬称も……何なら敬語もなくていいぞ。ラーラマリーは俺の従者じゃないんだし、そういうのは……堅苦しいだけだろう?」
肩をすくめて微笑まれ、ラーラマリーは素直に従う事にした。
言葉の通り、ジークヴァルトが本当に望んでいない事が、何となく感じとれたのだ。
「そう言うなら……。あの……ジーク達は、ここにずっと住んでいるって言っていたけど、どうやって結界の中に入ったの?」
その言葉で、ジークヴァルトの金の瞳が一瞬、微かに陰ったような気がしたが、彼がにこりと微笑むと、先程までのあたたかな色に戻っていた。
「入ったというか……最初からここにいたんだ。ちょっと込み入った話になるし、まあ……その話はまたいずれ、な。ラーラマリーこそ、竜を殺しに来たと言っていたが、何故なんだ?」
質問を返され、ラーラマリーはふと逡巡した。
(やっぱり、生贄にされたことは言いたくないな。ルイスの病気の事も、ジーク達には関係のない事だし。変に気を遣わせたくない)
悩んだ末、ラーラマリーは半分だけ本当の事を伝える事にした。
「私は──花喰い竜の心臓が欲しいの」
「……なぜ?」
ジークヴァルトの表情が、僅かに強張った。
「永遠の命が欲しいから。……知らない? 花喰い竜の心臓を食べれば、永遠の命が手に入るっていう話」
「ああ……それは知っている。嫌と言う程。だが、危険を冒してまで手に入れたいものか? 永遠なんて」
視線を落としたジークヴァルトの声は、心なしか沈んでいる。
ラーラマリーは、彼がこの話に興味がないのだと判断した。
「ジークは興味がないかもしれないけど……私にとっては、重要な事なの。どれだけ危険だとしても。ねえ、ここにずっといるなら、花喰い竜のこと、何でもいいから教えてくれない? 私、本当はすぐにでも竜の所へ向かいたいの」
ラーラマリーは真剣な表情で尋ねた。
花喰い竜を倒すために向かいたいのはもちろんだが、自分がまだ竜の前に姿を現さない事で、竜の怒りを買っていないか、何か国で良くない事が起こってはいないかが、ずっと気になっていた。
ジークヴァルトはチラリと横で控えているキースを見た。
呆れを含んだような銀の瞳で「わかっていますよ」と頷かれ、ジークヴァルトはラーラマリーに言った。
「花喰い竜は……あー……今は眠っている。うん、そうだ。一度眠るとなかなか起きないし、姿を隠すから見つからない。だから、竜が起きるまで暫くここにいるといい」
何故か言い聞かせるように言われたが、その言葉で、ラーラマリーの心には安堵が広がった。
(眠っているなら、生贄の私がすぐに現れなくても、国には影響がないと思っていい……わよね? ……よかった)
勢いで森へ入ったものの、本当はずっと怖かった。
竜と対峙するのに猶予ができた事に、ラーラマリーは心の底からほっとした。
ジークヴァルトが続ける。
「森でも言ったが、もう少し鍛えないとだしな。魔物すら倒せないようでは、到底無理だ。散歩に出るだけで死んでしまうぞ」
「魔物?」
「ああ。森で追われていただろう。あの黒い影のことだ」
ジークヴァルトに言われ、ラーラマリーは顔を顰めた。
彼女の認識では、魔物とは形を持たない黒いモヤの塊のことで、あんなにしっかり形をもち、さらには喋ったりするものではない。
「あれが、魔物? でも、はっきり人の形をしていたし……それに、言葉を喋っていたわ」
「そりゃあ喋るさ。だが、あれらの話す言葉に意味はない。ただの羅列というか……意思を持って話しているわけじゃないからな。何か聞いたとしても、気にしなくていい」
ジークヴァルトにそう言われ、キースとメルナリッサの方を見たが、彼らもうんうんと頷いているだけだ。
ラーラマリーは、僅かに首を傾げた。
(森で追いかけて来た影は、確かに私に話し掛けていたと思ったけど……あれも気のせいということなのかしら? でも……)
完全には納得できなかったラーラマリーの思考は、ジークヴァルトの言葉で打ち切られた。
「まあ、そんな不安そうにしなくても、明日から俺が鍛えてやるから大丈夫だ。──竜を殺せるくらい、早く強くなるといいな」
ジークヴァルトが楽しそうに笑い、ちょうど運んできたデザートの素晴らしさについてメルナリッサが力説し始めたので、竜や魔物の話はそれっきりになってしまった。




