第3話 王命
大陸の端にある、大きな川と森に囲まれた小さな国──フォレスティア王国。
四百年前の初代国王から脈々とその血を受け継ぐ王政国家で、二百年前に近隣国の戦に巻き込まれた以外は、長い間平和が続いている。
正円に近い国土のちょうど中央に王都があり、そこから放射線状に伸びるように作られた広い街道に合わせ、それぞれの領地が区切られている。
真上から王国を見渡すことができれば、きっと馬車の車輪のように見えるに違いない。
王都の東側の土地とそこから始まる広大な森の入り口には、貴族ではなく王家の管轄地として、常に騎士団が常駐している。
東側に広がる竜の森からは、魔物が現れる事が多いためだ。
「すごい……結界があんなに近くに見える……」
高い高い王城の、最上階に近い場所にある貴賓室へ連れて来られたラーラマリーは、誰もいない豪奢で広々とした部屋の中で、ポツリと呟いた。
部屋には天井まで届く大きな窓がいくつもあるが、そのどれもが重厚なカーテンをピッタリと閉められ外は見えない。
部屋で待つようにと一人残されたラーラマリーは、緊張でじっとしていられず、一番端の窓のカーテンを僅かにめくって外を眺めていた。
(きれい……。領地から見ていたのとは、比べものにならないくらい輝いてるわ)
窓はちょうど東側の竜の森を向いており、高い場所にあることもあって、城壁の向こう側の森の入り口や、波打つ結界のカーテンを一望する事ができた。
(本当に、竜があの中にいるのかしら……言い伝えでは、初代国王があの中に竜を閉じ込めたのよね)
絵本に描かれていた花喰い竜は、大きな翼と牙、それから鋭い鉤爪を持ち、血のように赤い鱗に覆われていて、瞳はギラギラと獰猛に光る金色──そして周りには数多の魔物を従えており、それはもう恐ろしい姿をしていた。
(そんな恐ろしい竜を閉じ込めるだなんて、一体どうやったのかしら……)
これから自分に何が起こるのかという不安を無視するように、見た事がない竜の姿を想像し、ひたすら景色を眺めていた。
どれくらいそうしていたのか。
カーテンの隙間に隠れるように、ひっそりと外を眺めていたラーラマリーに、不意に低い声が話し掛けた。
「待たせたな。……其方が、コルタヴィア家の娘か」
ビクリと肩を震わせて振り返ると、静かに閉められた扉の前に、二人の男性が立っていた。
一人は、先ほどラーラマリーの家を訪れ、王命を伝えてきた男だった。
短い黒髪に立派な体格の彼はやはり騎士だったらしく、今は詰め襟と袖口に竜の模様が装飾された立派な近衛の騎士服に身を包んでいる。
そしてもう一人。
少し癖のある淡い琥珀色の髪を肩程まで伸ばし、額や目尻に年相応の深い皺を刻んだ、疲れを滲ませる壮年の男性は──。
「お……恐れながらも、王国の太陽にご挨拶申し上げます。コルタヴィア伯爵家長女……ラーラマリー・コルタヴィアでございます」
ラーラマリーはその男性を目にした瞬間、顔色を悪くし、素早くその場でカーテシーをした。
騎士の隣に立つ、上質な礼装に重みのある真紅のマントを掛けたその壮年の男性こそが、王国の太陽──歴代の国王で一番の魔力量を持つという、国王ベルホルト・フォレスティアだった。
両手でドレスを広げ頭を下げたまま、ラーラマリーは震える声を絞り出し挨拶をしたが、ベルホルトから返事はない。
(……こ……怖い。どうしてお声掛け頂けないのかしら)
許しを得るまで動くこともできず、床を見つめじっと息を顰めるラーラマリーの心は、不安と緊張でいっぱいだった。
背中にジワリと冷たい汗が滲み、胃が軋む。
永遠にも思える僅かな時間の後、ベルホルトが大きく息を吐き、まるで何かを観念するかのような声音で言った。
「……顔を上げなさい」
ラーラマリーは顔を上げ、震える唇を引き結び、真っ直ぐにベルホルトを見た。
(……え?)
視線を交わした瞬間、ラーラマリーは困惑で目を丸くした。
公平で思慮深く、厳しくも穏やかな人柄で知られる、遥か雲の上の存在である国王。
ベルホルトの瞳は、王家の血を受け継ぐラーラマリーと同じ水色だ。
だが、王国で最も尊ばれ高貴な存在である彼の瞳は、ラーラマリーと同じ──いや、それ以上に、明らかな緊張と怯えを孕み、彼女を見ていたのだ。
「……陛下」
隣に立つ騎士の硬い声音の囁きでハッと息を呑んだベルホルトは、一瞬でその瞳を一国の主らしい威厳のある強い眼差しに変えた。
覚悟を決めたようなその視線と佇まいに、ラーラマリーの心がざわりと粟立つ。
呼び出された時から、良くない事が起こる予感はしていた。
そして、ラーラマリーのその予感は、嬉しくない事に的中してしまった。
部屋の中央には大きな応接用のソファがあるというのに、そこに掛けることも、ましてやラーラマリーと距離を縮める事もなく、扉の前に直立したまま、ベルホルトは重々しく口を開いた。
「……悪いが……其方には森へ行って貰う」
「え?」
ラーラマリーはあまりの驚きで声を発し、ベルホルトの言葉を遮ってしまった。
わざわざ城まで呼び出して告げられているのだ。
王が言っている『森』が、ただの森のことではないのは明らかだった。
(森……? 森って、竜の森のこと……? そこへ行くって、どういうこと?)
衝撃を受けたラーラマリーは、自分が国王の許可もなく話を遮るという不敬を犯したことにさえ、気付いていなかった。
本来ならば、すぐに咎められ謝罪が必要だ。
だが動揺の大きさが伝わっているのだろう、王はそれを咎めはせず、疲れの滲む水色の瞳をどんよりと曇らせ、さらに言葉を重ねた。
「今から五日後。其方には『花喰い竜』に捧げる生贄として、『竜の森』へ行って貰う。これは王命だ。断ることは許されない」
唸るような低い声でゆっくりと発せられたベルホルトの宣告に、ラーラマリーは耳を疑った。
「私が……生贄……? 竜の森へ……?」
ラーラマリーに下された王命は、いわば死の宣告だった。




