第14話 ネロの血
「何なんだ……さっきのあれは」
執務室を離れ、王城の書庫へ向かう廊下。
足早に歩み続けるカイザックの呟きは、誰にも聞かれる事なく空気に消えた。
腕には未だに鳥肌が立ち、胸の中がざわざわと騒いで冷や汗が滲む。
気持ちを落ち着けようとしてか、無意識に考えが声に出てしまっていた。
(鍵をお渡しになるまでは確かに陛下だった。だが、最後に話していたあれは誰だ? 別人のようになってしまう直前、陛下は『花喰い竜が戻って来る』と仰っていた。まさか、お告げを聞いただけではなく、竜に取り憑かれているという事なのか?)
──取り憑かれている。
普段のカイザックであれば、そんな現実味のない言葉など出てこない。
だが自然とそんな発想が頭に浮かぶ程、ベルホルトの様子は異様だった。
目の前にいたベルホルトのフリをした何かは、冷酷で禍々しい空気を纏っており、思い出しただけでカイザックの背にはゾクリと悪寒が走った。
(考えても仕方がない。今は……ベルホルト陛下の仰る通りにするしかない)
カイザックは、何食わぬ顔で書庫を守る兵の間を通り、目的の書棚へと急いだ。
王城には、一般開放されている王城図書館とは別に、一定の役職以上の者しか利用できない書庫がある。
ベルホルトが渡して来たのは、その書庫の一番奥にある、王族しか閲覧ができない禁書の棚の鍵だった。
(……これだ)
カイザックは、しんと静まった書庫の奥、竜が装飾された重厚な枠に大きなガラスと鉄格子を嵌めた閲覧禁止の本棚の前に辿り着くと、ゴクリと喉を鳴らしてその棚の鍵を開けた。
下から三段目──それから、右から二冊目。
指示された本を見つけ手に取ると、それは装飾も何もない茶皮の外装をした、少し分厚いだけの普通の本だった。
そのままパラパラと中を捲ると、カイザックの心臓がどっと鳴った。
(これは……暗号だ。しかもこれは……一体、いつから書き始めているんだ?)
本の内容は、一見すれば各領地の税収と特産品についてをまとめた、ただの報告書だ。
だがよく見れば、随所に違和感のある印や言い回しがあり、カイザックにはそれが暗号文だとわかる。
しかし彼が驚いたのはそこではなく、長くて数行、短ければ一文字ずつ、まるで全て別の日に書いたかのように、インクの種類や濃さ、筆圧や書いた時の筆の速度が全く違っていた点だった。
(……私にはわかる。乱れもあるが……全てベルホルト陛下の文字だ。どれだけ時間を掛けて、これをお書きになったというのか。それにこれは……まるで何かから隠れるように、一瞬の隙を見つけながら、時間を掛けて書くしかなかったかのような──)
自分の思考に、カイザックはゾッとした。
隠れて書く?
一体何から隠れようとした?
(……陛下に取り憑いている、あの何かか?)
暗号はすぐには解読できそうにもない。
だがベルホルトは「お前にしか頼めない」と言った。
(陛下のご命令は二つ。この本を読むこと。それから……初代国王ネロ様の血族を調べること)
顔色を悪くし唇を引き結んだカイザックは、抜き取った痕跡を消すように周囲の本の間隔をならし、再びしっかりと棚に鍵を掛けて、ベルホルトが示した本を素早く自室へと持ち帰った。
ルイスを呼び寄せろと言われていたが、何故かそれを叶えてはいけないような気がして、何とか引き伸ばそうと、カイザックは考え抜いた言い訳を口にした。
「コルタヴィア伯爵家は、まだご息女がいなくなった生活に慣れていません。すぐにご子息まで離れるとなると、伯爵夫妻は寂しさからご息女に会いに行きたいと言い始めるかもしれません。幸い、今は病状も落ち着いているようですし、暫くはそっとしておき、半年程経過してから、彼女の働きに対する外務大臣からの褒美として、ご子息を大神殿に迎えてはいかがでしょうか?」
緊張を隠して立つカイザックに、ベルホルトの姿をした何かは「ふむ」と片眉を上げ瞳を仄暗く光らせた。
「……確かに、お前の言う通りだな。私としたことが、疲れで気が急いてしまったようだ。そうだな……半年など、一瞬だ。暫く待とう。お前に任せる。頼んだぞ──カイザック」
回避に成功したカイザックは、それから人目を盗んでは王城図書館と書庫へ通い、初代国王ネロの子孫達の行方を調べ尽くした。
フォレスティア王国の初代国王ネロ・フォレスティアには、妻が一人と子が三人、それから弟が一人いた。
三人の子は、王子が一人と姫が二人。
次の王位はその王子が継ぎ、姫二人は臣下と婚姻を結びそれぞれの夫が公爵位を賜っている。
新たな王になった王子にも、結婚した姫にもそれぞれに子が生まれ、そこから枝分かれするようにネロの血を継ぐ子孫は増えて行く。
王位はさらにその息子が引き継いだり、従兄弟や叔父が引き継いだりとして脈々と続いていたが、ネロの血筋であることに変わりはない。
(これを調べて、一体何になるというのだ……?)
政略的な結婚か否かなどの違いはあれど、ただ婚姻と継承が繰り返されるありきたりな家系図が伸びていくだけ。
カイザックは疑問に思いながらも、忠実にその血を追っていった。
だが、暫くすると違和感が生じた。
(これだけ家系図が広がり伸びているのに……こんな事があり得るのか?)
カイザックは、書き連ねた枝分かれする名前の一覧を見ながら、目を見張った。
どれだけ辿っても、初代国王ネロの血を受け継ぐ人間が、一度も国外へ出ていないのだ。
隣国へ行き王族と結婚しているのも、別の国の貴族へ嫁いでいるのも、周辺国と縁を結んでいるのは常にネロの弟の血筋であり、まるでわざとその血を国から出さないようにしているとしか思えない程、どれだけ広く伸びた系譜を辿っても、ネロの血は国を出ないのだ。
そして、その違和感がさらに大きくなったのは、二百年前の周辺国との争いに巻き込まれた時代を過ぎた時。
じわじわと、だが確実に、今度はネロの血を引く者達が消え始めたのだ。
しかも、その消え方が妙だった。
***伯爵家長男:病死
****侯爵家当主:病死
***子爵家長男:病死
***子爵家次男:病死
******伯爵家長男:病死
****子爵家当主:病死
死ぬ年齢に違いはあれど、ネロの血を引く男性が、ことごとく病死している。
老衰や事故死、自死も他殺もない。
全てが病死なのだ。
男児がいなくなった家は、家自体が途絶えるか、王家の血筋と関係ない親族のものにすり替わっている。
さらに、ネロの血を引く女性達は、死に共通点はないものの、婚姻を結ぶ家格が妙なのだ。
どれだけ追っても、女性よりも上位の家格との婚姻が結ばれていない。
侯爵家の娘ならば、嫁ぎ先は侯爵家もしくは伯爵家。
伯爵家ならば、嫁ぎ先は伯爵もしくは子爵家といったふうに、まるで徐々にその血を王位から遠ざけ力を削ぐように、じわじわと家格が落ちていっている。
何日も、何週間も掛けて初代国王からの血筋を辿り、とうとうラーラマリーが生まれたコルタヴィア伯爵家まで辿り着くと、カイザックは戦慄した。
「彼女の家が……最後なのか?」
ラーラマリーは母から、母はその父──ラーラマリーの祖父からネロの血を受け継いでいたが、祖父はすでに病死している。
王国内には『王家の血を引く者』は多く存在するが、カイザックが調べた結果、全てがいつの間にか『ネロの弟の血を引く者』で埋め尽くされ、ベルホルトですら、ネロの血は全く受け継いでいなかった。
そして今、フォレスティア王国でネロの血を受け継ぐ家は、コルタヴィア伯爵家、ただ一つだけだった。
(ラーラマリー・コルタヴィアは伯爵令嬢だが、婚約を結んでいたのはやはり家格が低い子爵家で、弟は病気だ。ネロ様の血に、何かあるのか? 誰かが、この血を意図的に途絶えさせようとしているのか──?)
カイザックは自室で一人、机の上に広げた、無数の貴族の名が書き連ねられた夥しい量の紙を、ただ呆然と眺め続けた。
ここまでお読み頂きありがとうございます!
王国を包む闇が少しずつ明らかになってきました。
ラーラマリーとジークヴァルトがどうなっていくのか、見守って頂けると嬉しいです。
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