第13話 王の頼み
「竜を殺す……か」
ラーラマリーを見送ったカイザックは、何とも言えない重い気持ちを抱えたまま、城で待つベルホルトの元へと戻った。
守るべき善良な娘を見殺しにした事実と、それでも希望を捨てないラーラマリーの強い水色の瞳が胸に焼き付き、カイザックは王城の廊下を一人歩みながら、思わずため息を漏らしていた。
(陛下は……なぜ、このような道を選択されたのか……)
ラーラマリーを生贄に捧げると告げられてからずっと、カイザックの中には釈然としない思いがあった。
ベルホルトは『慈悲の賢王』と評される程に、弱者に優しい男だ。
公平で思慮深く、厳しくも穏やかな人柄で、例えそれが竜からのお告げであったとしても、一人の罪もない少女の命を差し出すような人物ではない。
国民を不安にしてしまうからと秘匿したのはまだ頷けるが、ベルホルトはこの事を、優秀な宰相や騎士団長、魔術師長などにも告げず、神殿の人間と僅かな近衛の人間にしか開示していない。
信頼に値する、と言われれば嬉しくもあるが、それでもやはりどこかおかしいという気持ちが残っていた。
「……陛下が、間違う筈がない。本当に、これしか方法がなかったのだろう」
自分に言い聞かせるように呟き、胸に広がる疑念に蓋をした。
カイザックはベルホルトを心から慕い、敬愛している。
元々の出自が平民であるカイザックは、幼い頃、碌でもない父の元で暴力に晒されて暮らしていた。
だがベルホルトがまだ王位を継ぐ前、任された街の環境の改善を担った彼の政策により、街の治安は確実に向上し、カイザックは保護された。
それだけでも尊敬に値するが、ベルホルトは自身が王になった時、騎士になっていたカイザックを近衛に引き上げてくれたのだ。
カイザックの父は、窃盗や脅迫、傷害など、多数の捕縛歴がある犯罪者だった。
さらに、カイザックは魔力が低く、持っているのは死に物狂いで手に入れた剣の腕だけ。
どんなに強かったとしても、普通に考えて、出世など、ましてや王の側を守る近衛になど、なれるはずがない。
だが、ベルホルトはカイザックに言ったのだ。
「父の罪に、子は関係ない。其方の人柄と努力は、其方の父を通して見るべきではない」
そう言って、王はカイザック自身を見てくれた。
ベルホルトの水色の瞳は、ラーラマリーと同じく、常に希望に輝いていた。
そう、輝いていたのだ。
(陛下は……変わってしまわれたのだろうか)
カイザックは悩んでいた。
確かに、ベルホルトは賢く、国は穏やかに平和を保っている。
しかし王位を継ぎ、国を良くしたいと邁進するベルホルトの瞳は、いつしか輝きを失い、疲れを孕んだ翳りを見せるようになっていた。
(初めてそれを感じたのは……確か、陛下が書庫に籠るようになられた頃だ)
王位を継いで一年程経った頃、ベルホルトが頻繁に書庫へ通い、何かを必死で調べ籠るようになった時期があった。
何を調べているのかは教えて貰えなかったが、確かに、ベルホルトに僅かな変化が現れたのはその頃だった。
暗い気持ちのまま思案していたカイザックは、気付けば王が待つ執務室へと辿り着いていた。
扉を守る騎士に視線で挨拶をし、ノックをする。
(陛下も、あの娘の成り行きを想い、私と同じ表情をされているのだろうか)
後悔と懺悔が入り混じるベルホルトの顔。
それを想像して部屋に入ったカイザックは、困惑した。
「カイザック……急ぎ、お前に頼がある……!」
足を踏み入れ扉を閉めた瞬間、待ち構えていたベルホルトに両手で胸ぐらを掴まれたのだ。
さらに彼の表情に浮かんでいるのは、後悔と懺悔ではなく、酷い怯えだった。
「──陛下、どうされたのですか」
カイザックは思わず身を引こうとしたが、ベルホルトが驚く程に強く隊服を掴み、離れることができない。
ベルホルトはカイザックに詰め寄ったまま、冷や汗を滲ませながら懇願した。
「頼むカイザック……! 私を……私を殺してくれ!!」
王の突然の願いに、カイザックは目を見開いた。
「な……! 何を……」
耳を疑いながらも、何とかベルホルトを引き剥がそうと、不敬とわかりつつ腕を掴んで力を込めた。
(陛下は、彼女を生贄に捧げたことでお心を乱しているのか?)
瞬時にそう考えたが、ベルホルトの瞳には、怯えと焦りが浮かんでいる。
ただラーラマリーを憂いて混乱しているだけということではないらしい。
宥めるために口を開こうとすると、頼みを受け入れないカイザックに痺れを切らしたベルホルトが、素早く別の言葉を吐いた。
「駄目だ。もう時間がない……! カイザック、書庫だ。閲覧禁止の棚の、下から三段目、右から二冊目。必ず読め! それから、王家の血筋の家系を調べろ! 初代ネロ様の血だ! 頼む……魔力が低いお前にしか頼めない!! 全てがわかったら、必ず私を殺してくれ!!」
ベルホルトは誰かに聞かれるのを恐れるように、声を押し殺しながらそれだけ言うと、カイザックの上着を強引に引っ張り、内ポケットの中に何かを捩じ込んだ。
手を離し、絶望の表情で数歩下がったベルホルトを見つめ、困惑したままカイザックは尋ねた。
「陛下……どういうことです? これは──」
「何も言うな!! もう駄目だ……奴が……花喰い竜が戻って来る!!」
ベルホルトは、カイザックから離れるように窓の方へ向かうと彼に背を向けた。
「……へい、か」
異様な主人の様子に驚き、カイザックは恐る恐るベルホルトに声を掛けた。
彼の呼び掛けに答えるように、王がゆっくりとカイザックの方へと振り向く。
「──カイザック」
返って来たのは、普段通りの、穏やかな声。
だが、カイザックは戦慄した。
(違う……)
心臓はどくどくと鳴り始め、全身に鳥肌が立つ。
(これは……誰だ……?)
目の前にいるのは、確かにベルホルトだ。
だが、その瞳の輝きが違う。
自身の名を呼び、僅かに細められている水色の瞳には、見たことのない残酷な冷たさが滲んでいた。
恐れ怯んでいる事を必死で隠すため、カイザックは微動だにせず、息を殺して目の前の何かの言葉を待つ。
ベルホルトが言った。
「国のため生贄になってくれた哀れな娘のために、彼女の願いを急いで叶えなければな。カイザック──コルタヴィア伯爵家の息子……ルイスを、大神殿に連れて来てくれ」
その声は、慈悲に溢れている。
しかし言葉を紡いだベルホルトの口端は、確かに楽しげに上がっていた。
「……承知致しました」
カイザックは慎重にそれだけ答えると、執務室を後にした。
そのまま平静を装い扉を守る騎士の間を通り抜けると、どんどんと速度を上げながら急いでその場を離れ、人気のない廊下まで進み続けた。
顔を青ざめさせたカイザックは、ざわざわと騒ぐ胸を何とか抑えながら、上着の内ポケットを探った。
ベルホルトが捩じ込んだ何かを掴み、大きく息を吐いて手を開く。
「これは……」
剣ダコが固く並ぶカイザックの手に握られていたのは、書庫にある、閲覧禁止の書棚の鍵だった。
ずしりと重い金の鍵に嵌められた小さな水色の宝石が、今は見るだけで苦しかった。




