第12話 竜の道
「わ……すごい……」
目の前に広がる光景を見て、ラーラマリーは瞳を輝かせ、思わず息を漏らした。
あの言い合いの後、連れて来られたのは、ジークヴァルトのとっておきの場所。
それは、城から離れた深い森の中、隠れるようにしてひっそりとある、ラーラマリーに与えられた部屋と同じくらいの大きさの泉だった。
木々に囲まれたその泉の周りには、小さなリュスタールの花が咲き誇り、差込む陽の光を優しく反射していて、それだけでも美しい。
だが、ラーラマリーが一番驚き、胸を高ならせたのは、そこではない。
彼女がほう、と感動しながら見つめているのは、その泉の水面だった。
「これは……この水は、何? ……どうして、金色に輝いているの……?」
泉の辺りにしゃがみ込み、ラーラマリーはじっと水面を覗き込んだ。
泉の底には真っ白な玉石と水草が見え、そこからこんこんと湧き出ている水が、水面を柔らかく揺らし、幾つもの波紋を作り続けている。
だが、その水は普通の水ではなく、砕いた金箔を混ぜ込んだように金の気泡が踊り、水面は全体がほんのりと金色に輝いているのだ。
「気に入ったか? その泉は『竜の道』だ」
「竜の道?」
ジークヴァルトはラーラマリーのすぐ隣に腰を下ろすと、不思議そうにしている彼女に目を細めた。
「ああ。この泉の向こうは、竜の国へ繋がっている。人間は精霊や竜に会うことは滅多にないが、道は色々な場所にあるんだ。案内なしでは、見つけられないだけで」
その言葉に、ラーラマリーは声をあげ満面の笑みを見せた。
「もう、また揶揄おうとしているわね? 本当はどうして金色なのか知らないから、作り話をしているんでしょう?」
可愛らしく笑うラーラマリーを優しく眺めながら、ジークヴァルトは穏やかに言った。
「作り話じゃない」
「え?」
「水をすくってみろ」
ラーラマリーは訝しみながらも、言われた通りに泉の水を手ですくおうとした。
水は思ったよりも冷たくはない。
むしろ、体温に馴染むようなあたたかいものだった。
丸く器のように合わせた両手を水からそっと引き上げ、ラーラマリーは目を丸くした。
「……え!?」
確かに、水には触れた。
だが引き上げた彼女の両手には、水はおろか、濡れた形跡すら残ってはいなかった。
「竜の道は、人間には触れられない。水に見えるが……それは時空の歪みのようなものだ。作り話じゃない」
不思議そうに両手を見つめたままのラーラマリーに、ジークヴァルトはさらに言った。
「花喰い竜は、この道を通ってここに来たんだ」
ラーラマリーは、ジークヴァルトの顔を見た。
普段通りの微笑む金の瞳には、彼女を揶揄うような色はない。
(そうだわ。ジークはずっとこの森にいるんだもの。花喰い竜のこともよく知っているようだったし……彼が話す竜の話は、信じられないような話でも、きっと本当のことなんだわ)
ラーラマリーは彼の言葉が嘘ではないと直感し、ジークヴァルトに僅かに体を向けて座り直した。
「花喰い竜は……ここからまた竜の国へは帰らないの?」
口を突いたのは、素直な疑問だった。
(花喰い竜がどこで生まれたかなんて、考えた事もなかったわ。でも、帰れる国があるなら、帰ればいいじゃない。そうすれば、私は生贄になんてならなくて済むもの)
できれば穏便に帰って欲しい。
そう思いながら尋ねると、ジークヴァルトは、少しだけ困ったように笑い、泉に視線を向けた。
「帰らないというか……帰れないんだ」
「帰れない?」
「……花喰い竜は……人間だけじゃなく、竜達にも恐れられている。魔力が多すぎて……共にいるだけで、皆を怯えさせてしまうんだ。竜達は、それでもいいと言うんだ。強い者こそが頂点だと信じているから。だが、共にいるだけで萎縮している仲間を見て、花喰い竜はどう思う? ラーラマリーなら……どう思う?」
凪いだ瞳で泉を見ながら、何故か自分のことのように語るジークヴァルトに、ラーラマリーは静かに答えた。
「それは……辛いわね。それから、寂しいわ」
答えながら、複雑な気持ちになった。
(花喰い竜は……なぜ私を選んだのかしら)
ラーラマリーにとって、花喰い竜は魔物を従え人々を脅かす恐ろしい存在だ。
だが、ジークヴァルトの話す花喰い竜は、孤独な心優しい生き物のように聞こえる。
ジークヴァルトは彼女の答えを聞くと、咲き誇るリュスタールの花畑の上にゴロンと仰向けに寝転がり、ラーラマリーに向かって笑った。
「ラーラマリーが『花喰い竜を殺す』と言った時、俺は──それもいいな、と思ったんだ。花喰い竜は、強すぎて誰も殺せない。それに、約束があるから死ねないんだ。だが、あいつの血を持つラーラマリーが殺すと言うなら……それもいいかもなって」
ジークヴァルトは楽しそうに笑っているが、ラーラマリーには、その瞳が何故か悲しげに見えた。
「ジーク、約束って──」
──何?
そう問おうとしたラーラマリーの言葉は、ジークヴァルトによって遮られた。
彼は突然体を起こし、ラーラマリーをグッと引き寄せると、大きな手で愛しむように頬を撫でた。
そのまま彼の手は耳を掠め、くすぐったさとその手つきの優しさとで、ラーラマリーの顔にジワリと熱が集まった。
ジークヴァルトの顔が、僅かにも動けば鼻と鼻が触れそうな程の距離にある。
「……似合っている」
驚いているラーラマリーにふわりと甘く微笑むと、ジークヴァルトは再び寝転がり、そのまま目を閉じてしまった。
ラーラマリーが触れられた部分にそっと触れると、かさ……と柔らかな感触がした。
なに、と泉を覗き込むと、水面に映るほんのりと頬を赤くしたラーラマリーの耳元には、可愛らしいリュスタールの花が一輪、挿されていた。
途端に、ジークヴァルトの先程の甘やかな瞳と声が思い起こされ、さらに顔が赤くなっていく。
朱に染まった顔を見られたくなくて、ジークヴァルトが再び目を開け話し始めるまで、ラーラマリーは一人、黙って泉を見つめているしかなかった。




