第11話 実力測定
「ぶっ……くく……だ、駄目だ。あははは、はー……あ、ちょっと待て。こら、待てったら」
城壁と回廊に囲まれた、光が差し込む石畳の中庭。
堪えきれず笑い声を漏らしながら、ジークヴァルトは離れようとするラーラマリーの腕を、嬉しそうに優しく引き寄せた。
朝食の後、「訓練をするぞ」と言うジークヴァルトに中庭へ連れ出されたラーラマリーは、渡された少し大きめの長袖のシャツをベルトで絞り、下には裾を折ったズボンを合わせ少年のような服装だ。
髪も後ろの高い位置で一つに結び、気合いは充分だった。
そう、気合いは。
「そ……そんなに笑う事ないじゃない!」
ラーラマリーは、正面に立つジークヴァルトを恨めしげにキッと睨みつけた。
逃げられないよう、向かい合う彼に両手でそれぞれの手首を優しく捕まれ、動くことができないラーラマリーは引き結んだ唇をワナワナと震わせた。
顔は羞恥と怒りで真っ赤だ。
「そうだな、俺が悪かった。謝るから機嫌を直せ。な?」
ジークヴァルトは、彼女の手首をそっと捕らえたまま、僅かに屈んで反省を表すように眉を下げ、ラーラマリーの顔を覗き込んだ。
だが、彼の瞳には愛しむような甘さと楽しさが滲んでおり、口端は上がったままだ。
ジークヴァルトは、怒りで震えているラーラマリーをあやす様に、言い訳を口にした。
「剣は握ったことがなくても、武術の経験はあるのだろうと思っていたんだ。まさか、全くないなんて……くく……思ってなくて」
言いながら、中庭に来てからのラーラマリーの様子を思い出し、さらに彼女を怒らせるだけだとわかっていても、また笑いが漏れてしまった。
ラーラマリーに稽古をつけようと思っていたジークヴァルトは、まず彼女の実力を知るため、組み手をしようと考えた。
出会った時のラーラマリーは服がボロボロだったこともあり、何か事情があるだろう事は伺えたが、年頃の娘が短剣一本で森に入り、さらには「竜を殺しに来た」と言っていたのだ。
剣を握る姿は初心者そのものだったが、多少の武術の心得はあるのだと思っていた。
そもそも強さが絶対的な正義の指針である竜人は、男も女も関係なく、子どもであってもまず学ぶのは戦闘方法で、なんなら組み手が挨拶代わりだったりする。
人間──特に女性はその多くが戦い方自体を知らないというのは、長らく人との関わりを絶っていたジークヴァルトの意識から、完全に抜け落ちていた。
「よし、好きに掛かって来い」
庭でラーラマリーと対峙したジークヴァルトは、開口一番、彼女にそう言った。
竜王であるジークヴァルトにとって、人間など誰であっても自分より弱いことに変わりなく、訓練と言ってもそれはただの遊びの延長だ。
今にして思えば、ラーラマリーは「どういう事?」と言うようにきょとんとした顔をしていたが、早く彼女と遊びたかったジークヴァルトは、一向に動かない彼女に焦れて先に手を出した。
手と言うより、正しくは足だ。
「ほら、避けるか受けるかしてみろ」
そう言って、本当にゆっくり、ラーラマリーに向かって、まるで見本を見せるようにふわりと、スネの辺りの低い位置へ回し蹴りをしてみせた。
初対面で気絶させてしまったことや、夕食時のエスコートで力加減を間違えたことを考慮し、ジークヴァルトにしては欠伸がでそうな程、本当に手加減をしての蹴りだった。
当てるつもりもなかったし、避けるのも無理そうならば、それが実力と納得し訓練の方法を考えるつもりだった。
「わ!!」
だが、驚いたラーラマリーは、声を上げながらそれをサッと跳んで避け、困惑の表情のまま一歩、じっとジークヴァルトを見据えながら距離を取った。
普段から木に登り、川で遊び、お転婆と言われて来たラーラマリーは、重い剣もなく、裾の長い服も着ていないなら、なかなか動きが俊敏だったのだ。
だが、それがいけなかった。
ジークヴァルトは、ラーラマリーが戦えると勘違いしてしまったのだ。
「へえ、思っていたより良い動きだな」
そう言って僅かに口端を上げると、グッとラーラマリーの方へ距離を詰め、もう一度、今度は少し高めの蹴りを試してみた。
「わ! ちょ、何!?」
ラーラマリーは驚きに目を見開きながらも、今度はしゃがんで華麗にそれも避けると、立ち上がる反動を利用しながらぐるりとジークヴァルトの脇へ回ろうとする。
体を反転させながら彼女を視線で追いかけ、ジークヴァルトが挑発的にニヤリと笑って言った。
「ほら、早くお前も反撃して来い。逃げるだけではどうにもならん」
その言葉で、ようやくこれが実力を測る試験であることに気付いたラーラマリーは、ジークヴァルトの攻撃を必死で避けながら、内心で盛大に狼狽えた。
(え!? 反撃……反撃って、殴るってこと!?)
外遊びは好きだが、誰かを殴ったり蹴ったりした経験なんて、もちろんない。
だがジークヴァルトの目は期待で輝いており、ラーラマリーが反撃しなければ、この試験は終わらないらしい。
それを察したラーラマリーは、ジークヴァルトの蹴り出した足が地面に降りた瞬間を狙って、思い切って距離を詰める。
(あー、もうどうにでもなれ!)
そう思いながら、できる限り、力一杯拳を突き出した。
──ぽす。
腹に当たった──と言うより、当てさせてやったラーラマリーの拳を見て、ジークヴァルトは目を見開いて固まった。
ラーラマリーの放った拳は、突きと呼ぶにはあまりにも軽く、弱く、じゃれ合いとも呼べないもので、ジークヴァルトはそこでやっと理解したのだ。
自分が勘違いしていた事に。
肩で息をする目の前の彼女は、本当にただのか弱い女性でしかない、という事に。
(完全に、俺の早とちりだ)
じっと腹に触れたままの小さな拳を見下ろしていたジークヴァルトは、気付いてすぐラーラマリーに謝ろうとした。
戦い方も何も知らない彼女に、当てる気がなかったにせよ、いきなり攻撃を向けてしまったのだ。
驚かせ、もしかしたら怖がらせてしまったかもしれない。
そう思い、焦って顔をラーラマリーに向けると、ジークヴァルトは思わず笑ってしまった。
「ふ……」
目の前のラーラマリーは、まるで子猫が無意識に主人に爪を立ててしまった瞬間のように、当てた拳に自分自身で驚き、こぼれ落ちそうな程に目を丸くしていたのだ。
石になったように動かないラーラマリーの顔が、そのままじわじわと赤くなっていくのを、ジークヴァルトはそのまま見守った。
(あ……これはあれだ。思ったより威力が無さすぎて、驚きの次は恥ずかしくなってきているな)
手に取るように彼女の心境がわかり、もう駄目だった。
ジークヴァルトは、あまりにも愛らしいラーラマリーの様子に笑いを堪えることができず、盛大に吹き出してしまったのだ。
ラーラマリーはより一層、眉間の皺を深くした。
「馬鹿にするだけなら、もういいです! 一人で何とかするから、手を離して!」
「馬鹿になんてしていない。ただ……あんまりにも可愛らしくてな。悪かった。もう笑わないから、機嫌を直してくれ」
感情がぐちゃぐちゃになって混乱しているラーラマリーは、むくれながら涙を滲ませ始めている。
言葉では彼女の機嫌を取ろうとしているが、ラーラマリーが怯えもせず真っ直ぐに自分に怒りを見せる事に、ジークヴァルトは喜びを感じていた。
自分を恐れず、目の前で笑い、怒り、戸惑うラーラマリーの事が、可愛くて仕方がなかったのだ。
ジークヴァルトはひょいと彼女の膝を掬い抱き上げると、自分より目線が高くなったラーラマリーに笑いかけた。
「本当に悪かった。次からはちゃんと教えるから、な? お詫びに、俺のとっておきの場所に連れて行くから」
「……とっておきの場所?」
顔を赤くしたままジトリと睨みながらも、気になるのかラーラマリーはそのまま聞き返してくる。
「ああ。──本当に可愛いな」
ジークヴァルトは頷きながらそう呟き、破顔した。




