第150話 世界を覆う闇ー4
ハデスは単独で白の国へと乗り込んだ。
星しか見えない真夜中のことだった。
一国の長が忍び込むなど異常だが、相手が国交を拒絶するならば仕方ない。
正式な手続きなど全て省き、潜入する。
バレれば戦争になる恐れすらあり、さらにいえば兄ハデスが今もまだ自分を恨んでいるならば殺されても文句はいえない。
かつては追放ということで、決着がついたが兄は納得していたかわからない。
しかし、今はそれを押して神の眼が必要だとハデスは海を渡り、そして母国に到着した。
「…………変わらないな」
追放されたあの日から何も変わっていなかった。
国柄と言えばそれまでだが、海で囲まれたこの国は、この国だけで完結している。
外の国を受け入れる必要はなく、それは争いの元でもあるので国交を断絶すること自体は否定はしない。
しかし、今は世界の危機だ。
ハデスは、兄の居城へと向かった。
やはり何も変わらない居城、裏口だって知っている。
警備もほぼいない。
外的のいない完全に統治された国。
そして、そもそも最強である兄ゼウスを襲うものなどいないからだ。
城に忍び込むと、見慣れない部屋があり、気になったので静かに扉を開けた。
そこには、10歳ほどの子供が寝ていた。
ここは神の城、そこで寝ているということはどうやらゼウスの子供のようだ。
「そうか……兄さんはちゃんと愛する人を見つけたのか」
ヘラを取り合い、喧嘩別れしてしまった。
だが、どうやら兄は愛する人を見つけて、結婚し、子供が出来ている。
それを知ったハデスは少し希望を見出した。
同じ子供がいるのなら、同じ痛みを理解してくれるはず。
かつては仲が良かった。喧嘩別れしてしまっても、誠心誠意願えばきっと通じる。
そう思った。
そして兄の部屋の前に立つ。
大きく息を吸って、深呼吸。心臓の音をたてながら扉をあける。
そこには。
「久しぶりだな……ハデス」
車いすに座り、こちらをまっすぐと見る兄がいた。
「兄さん…………なんで」
「見えてたさ。お前がくることぐらい……この眼で」
「…………そっか」
ハデスは兄に近づいた。
なぜ兄が車いすに座っている? 神の体と神の眼を持ち、世界最強の兄がなぜ?
そんな疑問を思いながらも近づき、月明りが窓から兄を照らし、全身がよく見えた時だった。
「――!?」
そこには、最強を誇り、憧れ、そして畏怖すら覚えた兄の姿はどこにもなかった。
いたのは、今にも死にそうなほど、衰えていて骨ばかりの老人のような兄だった。
ハデスは思わず駆け寄った。
「どうしたの!? 兄さん! その体!!」
「いいんだ、ハデス。それよりも……すまなかった」
「え?」
「ずっと…………後悔していたんだ。ずっと……謝りたかった。お前と喧嘩別れしてしまったこと…………ずっと。すまなかった」
ゼウスは頭を下げた。
ハデスは驚く。
自分はまだ恨まれているかもしれないと思っていたからだ。
するとゼウスは自分を追放してからのことをゆっくりと話し始めた。
ハデスはただそれを聞いていた。
一時の衝動だったこと、すぐに連れ戻そうとしたが、部下達が騒乱の下だと反対したこと。
そして何より、ハデスが仲間たちと楽しそうに国造りをしていたこと。
「すまなかった」
「…………いいんだ。兄さん……俺はそのおかげで大切な国ができた。大切な家族ができた」
そしてひとしきり話した後、ハデスは元々の目的を告げた。
「兄さん。……神の眼で、魔力欠乏症の治療方法を見つけて欲しい。ヘラが! それとヘラと俺の子が魔力欠乏症で死にそうなんだ!!」
だが帰ってきた言葉は、何度も使者を通して帰ってきた言葉と同じだった。
「ダメだ」
「な、なぜ!!」
「魔力欠乏症は……完治しないからだ」
帰ってきた言葉は拒絶ではなかった。
代わりにより絶望的な答えだった。
「治ら……な……い?」
「そうだ。魔力欠乏症は……なおらない」
「ちがう!! あるはずだ! 治らない病なんて存在しない!! 神の眼なら……すべてを見通すその眼なら! きっと! お願いだ! 僕の娘も……兄さんだって子供がいるならわかるだろ!!」
「ハデス……私の息子も魔力欠乏症なんだよ」
「――!?」
「そしてな……私自身、魔力欠乏症だ。神の体のおかげで、なんとか生きてはいるがすでに限界を迎えている。あと数年の命だろう。息子も私自身も助けていない。それが……答えなんだ、ハデス」
「そんな……」
「さっきも言ったが……完治はしない。だからハデス、これは運命だと諦めて受け入れるしかないんだ。世界の終わりの日が近づいているんだ」
「世界の終わり? ……どういうこと。兄さんは……何を隠してるの!! 何を知ってるの!!」
「………………」
兄ゼウスはそれ以上何も口にしなかった。
だがハデスは気づいた。
兄は何かを隠している。昔からそうだ。兄は嘘をつくとき、目を伏せる。
それは自分だけが知っている癖だ。
だからハデスは、こうなったら力でも。
そう思った時だった。
「我が弟よ……血を分けた……たった一人の兄弟よ。愛する……我が家族よ。残された時間を、最愛の人と健やかに過ごせ。静かに……終わりのその時まで。もう逢うことはないだろう」
そのとき、ゼウスはゆっくりと立ち上がった。
そしてハデスのほうへと歩いてくる。
ゆっくりと手を上げて、そしてハデスの胸に手を当てた。
「――すまない。愛している」
直後、衝撃。
ハデスは気づけば吹き飛ばされていた。
城を突き破り、音速を超えて遠くまで飛ばされている。
突然のことで、思考が回らなかったが、これが兄の力だった。
世界最強、全知全能。神の体と神の眼を持つ無敵の存在。
そして、着水。
海だった。
ずぶ濡れになりながら、海に浮かんでハデスは月を見上げた。
ダメージを回復しながら、そして兄の言葉を反芻しながら、空を見る。
「なんでだよ……兄さん」
一体どうすればいいんだと、最愛の娘の顔と妻の顔を思い出しながらしばらく海に浮いていた。
そしてハデスは、重い足取りで自分の国に帰った。
帰りながらずっと考えていた。
しかし、兄の様子からどんな説得をしても意味のないことは伝わった。
何か確実に隠していることがある。
あれはすべてを理解したうえで、必ず拒絶するということを決めた顔だった。
力でどうにかする? 無敵の兄に? それは不可能だ。
何か方法を見つけなければならない。そしてそれはやはり神の眼が鍵を握っている。
兄は間違いなく何かを隠しているのだから。
そんな足取りで国に帰った時だった。
「ハデス様!!」
アーサーとガラハッドが走ってくる。
「一体どこにいかれていたのですか!!」
「あぁすまない。少し……な」
「いえ、今はそれはいいです! それよりもはやく!! 昨日の夜からヘラが危険な状態です!!」
「――!?」
走るハデス達、そして病室についた。
そこにはヘラが眠っている。
しかし、今日は違っていた。ヘラの顔には、白い布がかけられていた。
それは死を意味していた。
ハデスはその光景を見て言葉を失いながら、ゆっくりと近づく。
横には医師と魔術局長のマーリンが申し訳なさそうに立っている。
ゆっくり、そしてヘラの手を握る。
冷たかった。まるで氷のような体温で、そして脈もなかった。
するりと零れ落ちて、何も反応を示さない最愛の人。
「あ……あ……」
脳裏に駆け巡るヘラとの記憶、天真爛漫な笑顔。
幼馴染として過ごした何年もの宝石のような思い出が。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
泡となって、世界から消えていく。
ハデスはずっと叫んだ。何度も何度も頭を床にこすりつけながら。
その悲痛の叫びを聞いていられないとみんな眼を閉じる。
ハデスは、丸一日泣き続けた。
「ハデス様。アナスタシア様が目を覚まされました」
「…………」
項垂れるようにヘラの遺体の隣で座るハデスに、アーサーが言った。
フェーズ1のアナスタシアは、できる限り多くを寝て過ごしている。
魔力欠乏症は、活動を抑えることで進行を遅らせることができるためだ。
だからアナスタシアは特別に、スキルを使って眠ってもらっていたが、効果が切れたようで目を覚ました。
ハデスはふらふらと自分の娘の病室に向かう。
そこには、少しだけやつれて、しかし自分を見て満面の笑みを浮かべる娘がいた。
「パパだぁ」
「アーちゃん」
心から嬉しそうに手を伸ばす娘。
ハデスはその手を掴んだ。
たくさん寝たら治る病気だよと嘘をついて、寝てもらっている。
その手は冷たい。
ハデスはアナスタシアの隣に座った。
ヘラのことを言うべきだろうか……そう思っているときだった。
「パパ……ママ……は……どこぉ?」
「ママは…………ママは寝てるよ」
「ママ、寝坊助だねぇ」
「…………そうだね」
言えなかった。
母にこんなに会いたがっている娘に、母は死んだなんて言えなかった。
ゆっくりとその髪を撫でると嬉しそうに眼を細めるアナスタシア。
「パパ、アーちゃんね……夢を見たの」
「そっか、どんな夢だったの?」
「パパと……ママと…………アーちゃんで、お外で追いかけっこして遊ぶの。すごく……楽しかったの」
「……そっか」
夢は、願望ともいわれる。
3歳の娘が、ただ外で遊ぶだけを夢見るということ。
その意味がハデスの心臓をぎゅっと握り、痛くなった。思わず涙が溜まっていく。
「パパ……アーちゃんの病気。いつ治るかな……」
「え?」
「アーちゃんね。たくさん寝んね頑張るから……はやく元気になってね。それでね」
そしてアナスタシアは、本当に心から嬉しそうに言った。
「…………パパとママとお外で遊びたい……なぁ」
普通の家族が普通に享受するはずの幸せな願いを。
その冷たい手を握った時、ハデスの中で何かが変わった。
――覚悟ができた。
例え、何を犠牲にしようとも、仮に己の命を犠牲にしようとも。
この最愛の娘を救いたい。そのためならばなんだってできる。
俯いていた顔は、まっすぐと上を向いた。
「アーちゃん……」
「なぁに? パパ」
「絶対に、一緒に遊ぼう。約束だ」
「…………うん!」
嬉しそうにアナスタシアは頷いた。
ハデスはずっとその手を握り、アナスタシアが眠るまでたくさん話した。
アナスタシアは嬉しそうに、そしてまた深い眠りについた。
それを見届けて、ハデスはまっすぐと立ち上がった。
「アーサー!! ガラハッド!!」
「「ここに!」」
後ろで跪く二人。
「…………神の眼を手に入れる」
「――!? そ、それは兄君ゼウス様と……白の国と戦うということでしょうか」
「あぁ、兄上は絶対に譲らないだろう。少し作戦を立てる。だが……必ず手に入れるぞ」
ハデスの眼には涙が零れていた。
そして、黒く――。
「たとえ、戦争になろうとも」
――深い覚悟が宿っていた。




