表裏の狭間④
フレーリア・エリーシュは天才である。
王国内政を担う大臣の一角を任されたエリーシュ公爵家の長女として生まれた彼女は、物心つく以前から頭角を現していた。
一才になる前から言語を理解し、物事の理解を始めていた。
勉学は努力ではなく、空気のようにあって当然。
彼女はあらゆる分野の知識、技術をあっという間に身につけてしまう。
学園に通う生徒たちの頂点。
月下会の会長になることは必然だった。
本来ならば会長を支える役員数名が存在し、彼らがあってこそ運営は成立する。
しかし彼女には不要だった。
不必要、足手まといでしかなかったのだ。
なんでも完璧に熟す彼女にとって、他人の助けなど邪魔でしかなかった。
故に彼女は孤高の存在としてあり続ける。
そんな彼女に欠点あるとすれば、他人を信用していないこと。
他者は自身よりも劣っている。
故に関わる必要も、仲良くする価値などない。
だから彼女には、およそ友人と呼べる存在はいなかった。
それを悲しいとは思わない。
交友関係などなくとも、貴族として振る舞い、理想とする令嬢を演じることで、多くの人が彼女を支持するのだから。
そう、彼女は根本的に、他者を見下していた。
そんな彼女を変えるきっかけとなったのは、とあるパーティーだった。
珍しく彼女は体調を崩していた。
それを表は出さず、最後まで乗り切るつもりでいた。
しかし、肉体の限界には抗えない。
誰も彼女が苦しんでいることなど気づかない中で、たった一人、手を差し伸べてくれた人がいた。
「大丈夫かい? 顔色が優れないようだけど」
「――! レント殿下」
それこそが、アルザード王国第二王子、レント・アルザードだった。
彼女は初めて、他人の優しさに触れた。
握った手は温かく、凍っていた心に沁み込むようだった。
瞬間、彼女の中で何かが弾けた。
(決めたわ! 私は、この人のために生きよう)
自身が持つ能力の全てを、捧げるべき相手だと確信した。
他人など無能の集団だと思っていた彼女にとって、レントとの出会いは奇跡だった。
そう、彼女を変えてしまったのは……。
レントへの恋心の爆誕である。
その日以来、彼女はレントのことを想い続けた。
レントの前で理想の女性を演じ続けた。
いつか彼が、自分の気持ちに気づいてくれる日を信じて……。
彼の一番になれる日を夢想して。
それなのに――
「リベル……リベルリベルリベル!」
許せない。
私の大切な王子様に女の色香を用いた不届きもの。
彼女の心は怒りに燃えていた。
リベルがレントを紹介し、レントは彼女に手を回しながら、一番信頼している女性だと口にした。
信頼している、女性だ。
その一言が、フレーリアの自尊心を傷つけた。
「ありえない! ありえないわ! 私のほうがずっと優れているのよ! あんな女よりもずっと……レント殿下ならきっとわかってくるはず」
月下会の部屋は、実質的に彼女専用の空間だ。
許可なく誰も入っては来ない。
夜分遅い時間であっても、誰も文句を言わない。
彼女にとって理想の城である。
彼女は学園では優れた生徒を演じている。
皆が彼女に期待し、信頼している。
故に誰も、思いもしないだろう。
この部屋で、彼女が何をしているのか。
「ふふ、ふふふっ……リベル……いいえ、悪い魔女さん。私の王子様を奪おうなんて許さないわ」
彼女の手元には、リベルについての報告書が作成されつつあった。
すでに彼女は知っているのだ。
リベルが魔女であることを。
そう、彼女こそが、セミラミスと手を組んだ売国者である。
「やっぱりあなただったのね」
「――!」
そこへ現れた人物に、フレーリアは驚愕する。
「リベル……さん?」
「こんばんは。今夜は月が綺麗ね」
◇◇◇
私は見逃さなかった。
レントが私のことを褒めた時、彼女の表情がわずかに歪んだことを。
レントの眼も見逃さなかった。
揺れることのない彼女の魂が、一瞬だけ揺らいだことを。
かまかけは成功したらしい。
お陰で、バッチリな現場を押さえることができた。
「セミラミスと繋がっているのはあなたね」
「どうしてあなたがここに?」
「見張っていたのよ。あなたが彼女と通じている証拠を取り出す瞬間を」
フレーリアは視線を下げる。
手元に握るのは、完成手前のリベルに関する資料。
だが、それはありえない。
なぜなら彼女の情報など、知っているのはごく一部の人間だけだからだ。
「ずっと疑問ではあったのよ。会長だからって、生徒全員分の資料を作る必要があるのか。簡単なものならさておき、そこまで細かな資料なんて学園生活に不必要よ」
「疑っていたのですね……最初から」
「ええ、私に接触してきた時から」
「あれはうかつでした。つい声をかけてしまったのですよ」
「私がレントと仲良くしていたから?」
「――!」
そう、彼女は最初から知っていたのだ。
おそらくセミラミスから受け取った情報に、私がレントの指示で動いていることも記載されていた。
どうやら厳密な正体までは、知られていないようだけど。
彼女が私を魔女だと言った瞬間に、疑問は確信へと変わった。
「ふふっ、さすがは人外の魔女さんですね。私の考えなんてお見通しですか」
「ええ、わかりやすかったわよ。あなたはレントのことになると、途端に人間らしくなったから」
「不愉快ですね。先ほどから呼び捨てで、まるで親しいような」
「親しいのよ。事実ね」
「ふざけないで!」
彼女は声を荒げる。
およそ普段は見せない激昂に、思わず圧倒されかける。
「あの方は誰にでも優しいの! 勘違いさせてしまうほど! あなたが特別なんかじゃないわ。特別になるのはこの私! 私しかいないのよ!」
「……それが、セミラミスに協力した理由かしら?」
「……ふふっ、ええ」
二人の出会いは、彼女がレントに恋をした翌日だった。




