「サイッテー」
「ママー!」
とてとてとてと、覚束ない足取りで少女はベッドで本を読む母の元に駆け寄った。
「どうしたの、エーテル?」
「あのね、まよえりもっとすごいことできるようになったんだよ! みてて!」
そう言ってエーテルは覚え立ての魔法力で、水に覆われてゆらゆらと具現化させた小さな龍を母に見せた。
「……ン……ヴァ……ヴァ……」
「むぐぐぐ……ぐ……!!」
龍は発現主であるエーテルに噛みつくように身体をぐねっと回転させた。
「ン……ヴァ……!」
「きゃぁっ!?」
小さな龍の小さな尻尾がエーテルの腕をピッと小さく切り裂いた。
魔法力のバランスが崩れ、海龍はその場からふっと消え去った。
「むうぅぅぅ……いつか、ぜったいにみとめさせてやるんだから……! ねー、ママホントにみてた?」
母の目線はエーテルの手の遙か先を見据えていた。
まるでエーテルの魔法など目に入っていないかのように。
それでも母は平静と笑みを保っていた。
「えぇちゃんと見てたわ。こっち来て、怪我してるじゃない」
言われたとおりにエーテルが母の床へと向かうと、母は優しそうな顔を崩さずにエーテルの腕を取った。
「いたいのいたいの、とんでけ~」
ほわぁっと。
緑色の温かい光がエーテルの腕を覆う。
「あったかーい。ママ、『ひ』ぞくせいだけじゃないの?」
母の魔法属性が『火』であることはエーテルも知っている。
「……ふふ。なーいしょ」
みるみるうちに擦り傷は治っていった。
「私が奪っちゃったのよ。あの人から」
微かに寂しそうに呟くも、すぐに笑顔を取り戻した母。
エーテルの記憶にはっきりと刻まれた母の緑色の光は、いつまでも忘れることはなかった。
●●●
「アイシャが、多重属性魔法使用者……だと?」
それが出来ないからこそ、こうしてオートルもフーロイドも様々な研究に打ち込んでいるのだから。
にわかには信じがたいエーテルからの告白だ。
「ぼくが風の魔法を失なったのは16年前……。そう、エーテルが生まれる前か後だ……」
娘が、エーテルが生まれた。
これから働き家族を養わねばと、そう決意した矢先のことだった。
「私が産まれてから、ママも病気がちになることが多くなった。それは私が海属性魔法の使い手だからかもしれないってみんな言ってたもんね。実際パパもそう思ってたでしょ?」
アランやエーテルの生まれ世代は異例尽くしの世代である。
同年代に天属性、海属性、地属性の3属性が揃うことなど史上でもなく、唯一にして希有すぎるその魔法属性に関する記述はこれまでもほとんどがない。
かたや『悪魔の子』、かたや『神の子』と呼ばれ世間からの評価も真っ二つになることさえある。
「そんなことは……」
と、目を背けつつも否定しきれないオートル。
何せ自らの魔法術がなくなる前後に、明らかな『海属性』が目の前に現れたのだから。
「パパは必死になって否定してくれてたけど、案外……人から人への属性渡しが出来ちゃうくらい、この『海属性』の魔法術はワケ分かんないものかもしれな――」
自嘲気味に言うエーテルの言葉をかきけすように、オートルは声を上げる。
「もし、この実験が成功すれば……ぼくはかつての魔法を取り戻せると思っていた。それに――お前の持つ海属性の魔法も制御出来るようになればと、少しだけ期待をしていたんだ」
「どういう意味よ?」
「もともと神の子だの、神童だのと民衆はお前を持て囃す。だがアラン君のように制御出来ない時が来てしまうかもしれない」
じっと睨み付けるエーテルに、「返す言葉もございません」とばかりに項垂れるのはアランだ。
「その時、民は平気でお前を裏切るだろう。異常が恩恵をあやかっているうちは口を開けてただただ享受し、異常が牙を剥けば全員揃って迫害し、徹底的に追い詰める。その時ぼくの研究が成就していれば、好きなだけ属性変更が出来るかもと。エーテルへの評価もある程度消せるかもと、そういう思惑もあったんだ……」
時には神をも凌駕すると言われる属性持ちの周りには、常々何かしらの『異質』が混じるとされていて、何が起ころうとも不思議ではないという。
「……ンヴァ?」
主の方を見て、小さく首を傾げる海龍。
4歳の頃から具現化することが出来る海属性の具現獣は、やはりこれも『異質』の一種だ。
普通の魔法力で――ましてやたかだか10代半ばの魔法士が意のままに操ることなど、本来出来るわけがない。
「案外……人から人への属性渡しが出来ちゃうくらい、この『海属性』の魔法術はワケ分かんないものかもしれないね。だからといって」
カツ、カツとエーテルはオートルに近付いていった。
ぐっと唇を噛みしめた彼女の口端には血が滲む。
色々な感情がない交ぜになって、目からぽたりと涙が落ちた。
パァンッ。
――と。
魔法力も何もない、純粋なビンタだった。
「サイッテー。だいっっっっっっきらい」
後ろで聞いていたアランやウィスでさえも、「うわぁ……」と思わず苦虫を噛みつぶした顔になるほどに、それはあまりに淡泊で他人行儀な一撃だった。
「……ぁ……」
茫然自失とした様子で、オートルは縋るようにエーテルを見ようとするも。
「アラン、行くわよ」
「……お、おぉ……。行くって、どこに……?」
「……それは、分からないけど」
オートルの方などもはや振り向くこともなく、娘と父との関係はここに完全なる決別の道を辿り始めた。
次回更新は3/15です。
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