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無敵声優  作者: 千路文也
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003  仕事には私情を持ち出さない


 土井垣一郎の怒りは収まる事を知らなかった。WEBラジオとは声優の本質をベラベラと喋る名目の元、放送されているのだと勘違いしている輩が多過ぎるからだ。しかも勘違い野郎の多くは志を同じとした同業者ばかりなのだから土井垣の怒りが収まらないのも納得である。声優によるWEBラジオとは、たんなる情報発信の場に過ぎない。声優の本質を明らかにするのは、あくまでもアニメだけで構わない。視聴者の皆さんはアニメを見る事によって声優の奥深さや表現力の高さに圧倒される。アニメの放送だけで素人に圧倒的な感情を芽生えさせるのが声優万物に与えられた信条だと土井垣は感じていた。ところが、最近のアニメ声優の多くは意識だけが高くて視野が狭まっていると完じざる終えない。CMでも有名な某意識高い系の飲料水を飲みながら喉を潤すのは結構だが、時と場合を考えて欲しい。本番中に水を飲む事によって安心感を得て、本当にアフレコが成功すると思っているのだろうか。断じて否なのは言うまでもない。本番とはすなわち、戦場に近い緊張感を持たないと当たり前のようにNGを連発する可能性が出てくる。人は年齢を重ねる度に安心感を求める生き物だと言われがちだが、土井垣はそうだと思っていない。安心を求める内に人間として大切な危機察知能力を失って、腑抜けになってしまうと考えていた。だから土井垣は本番中に水は飲まないようにしている。水を飲むと「ふう」と安心した溜め息を吐いて日常的な自分が仕事上に顔を出してしまうと知っているからだ。日常の土井垣は孫にデレデレの優しいご老人である。孫に可愛い顔で「おもちゃ買ってよ!」と言われた日にはもう、頬を赤らめて鼻筋を伸ばしながら「よーし分かった、おじいちゃん奮発しちゃうぞー」と玩具の大量買いをしてしまう。それぐらい、日常ではのほほんとした性格なのだ。故に、緊迫とした仕事上において、本来の優しい性格が出てしまうのを恐れている。これは声優という職業に収まらず全ての職業に精通している考え方だと土井垣は確信していた。社会に出るとニコニコと笑顔を耐えさずに近づいてくる詐欺師のような先輩が大勢いる。少しでも安心感を得ると寝首をかかれてしまうのだ。社会とはすなわち、肉食動物の巣食うジャングルに他ならない。そんな場所でゆっくり水を飲んで安心するなど命を差し出しているのと同じだ。水を飲む場合は、危険の少ない場所で視野を広げる必要がある。なのに、隣に座っている神田亜矢子なる女性声優は平然とした態度で休憩中に水を飲んでいるのだ。しかも、WEBラジオを収録しているブース内でだ。土井垣は心の中で「なんて危険な行為をしているんだ!」と腸が煮えくり返っていた。休憩中に仕事場で水を飲むなど言語道断であるという考え方があるからこそ、しかめっ面になっていた。土井垣自身は水を飲む時には仕事部屋から出て、更衣室の中で水を飲むよう心掛けている。収録現場で水を飲むなど万死に値するのだと言い聞かせたい所だが、神田亜矢子にはほどほど愛想が尽きていたのでアドバイスをする気にもなれなかった。この声優を一言で言うと、悪女に過ぎない。表面では良い人を演じているかもしれないが裏では同じ女性声優の悪口を言ったり、人の彼氏を寝取ったり、平気で嘘をついたりと人間として最低の輩なのだ。先程、自分には友達がいませんと言っていたが当然嘘八百だ。休憩中の今も友達と思しき人物と楽し気に電話をしている瞬間を目の前で目撃中である。仕事中に携帯電話を取り出してピコピコするだけでも憤慨なのに、さっき「私も友達はいません」と言っておきながら親しい友人と電話するのだから、何処までも図太い女である。図太いからこそ声優として成功を収めているかもしれないが、人間の大事な感性を失ってでも成功したいとは到底考えられない。土井垣は怒りのままに神田から携帯電話を取り上げると、そのまま右手でぐしゃりと握り潰して粉々にしてやった。神田は終始、引いた顔で此方を見ているが引いているのは此方の方である。土井垣は粉々になった携帯電話の破片を神田に投げつけて憤慨のままに言葉を出した。


「貴様、仕事場で電話するなど恥ずかしくないのか! この戯け者が、そこになおれ、ワシ自身が成敗してくれるわ!」


 相手が女性声優だろうが同じ声優として怒りの鉄拳制裁を行うのが土井垣の流儀である。土井垣は神田の美しい顔にグーパンチをしたと思うと、パイプ椅子を両手で持ち上げて、そのまま神田の身体をパイプ椅子で殴り続けた。これぞまさに、声優プロレスである。決して表沙汰にはされない正義と悪の闘いが、休憩中には繰り広げられているのだ。正義感溢れる声優が、男をたぶらかす悪女に鉄拳制裁を加えるのはありがちだと予想されるが、そのありがちな設定が好評を得ているのもまた然りだ。しかし、神田というヒールレスラーを倒して正義の座に君臨し続けるには歳を重ねすぎた。殴り続けようとしても体力が消え去って「ハアハア」と肩で息をしてしまった。パイプ椅子を握る握力も無くなってパイプ椅子を床に落としてしまう。


「おいぼれ、もらったわ!」


 その隙を神田に突かれ、腹に飛び膝蹴りを喰らった。日々の腹式呼吸で鍛えていると言えども直接腹を蹴られるのは痛みが生じる。結局、勝敗はつかずに休憩時間も終わって本番が再開した。その間、二人は何事も無かったかのように爽やかなイケメンボイスと美少女ボイスを絡めながら、視聴者からのお便りを読むのだった。



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