蘇芳色のひねくれもの
タイラー部長に書類を提出して、部長特製のハーブティーを勧められて仕事のことなどをしばらく話して研究室に戻ると、甘い花の香りはだいぶ薄れはじめていた。
「ただいま戻りました。だいぶ香りがうすまってますね…あれ、どうしたんですか」
「戻るのが遅い。これはちょっとした事故だ」
ロッソさんの顔の右の頬が赤くなっている。元貴族の愛人様はどうやら手紙一通で別れを切り出した彼氏に一発くらわせたようだ。
「冷やすとかしたほうがいいですよ。タオルぬらしてきますね」
「……」
返事はないが、見苦しくなる前にどうにかしてほしいので私はさっさとタオルをぬらし少しだけミントのオイルをたらした。
「はい、頬にあててください」
「……ミントの香りがする」
「ひんやりして気持ちいいかと思いまして。彼女、帰ったんですね」
「ああ。ちゃんと納得して円満に別れた」
「それはよかったですね」
私が仕事に戻ろうとすると、腕をぐいっとひっぱられた。
「なんですか?」
「ちょっと座れ」
そのまま私はロッソさんの隣に座らされた。
「お前、あのくそったれ吝嗇魔法使いに俺がつきあってる女性を教えられたって本当か?」
「ヴィンシェンツ様にですか?ええ、私がロッソさんのところで働くことが決められたときに陛下から頼まれたとおっしゃっていましたし」
「なんで、お前はそういうのを教えられるという状況を受け入れたんだよ」
「私はもう帰る場所もないし、植物園で仕事を究めて安定した老後を送るのが人生の目標だからです。それに突然の異動を言われたあとに、リードさんやタイラー部長からあらかじめロッソさんについては聞いてましたからね。ヴィンシェンツ様に教えてもらってもやっぱりなと思いました。生活態度がだらしない人はたいてい異性関係もそんなものです」
「……お前、俺より若いのになんでそんなに悟ってんだ」
「ロッソさんが分かってないだけです。だいたい、3人同時につきあってる時点で人としてどうかと思いますけど」
「俺はそれぞれに誠意をもって別れの手紙を書いたんだがな。他の2人はあっさりと納得してくれたのに」
「それは人によるというものです。私が側室をやめるとき、陛下は私を慰労するために部屋を訪れてくれましたよ」
“今までありがとう。これからノエリアは自分の好きなように人生を生きていいんだよ。植物園の仕事を頑張りなさい”そう言って陛下は私を励ましてくれたのだ。
それに比べたらロッソさんの対応は…ないわ、ないない。
「それに、やっぱり上司は部下に尊敬されたほうがいい」
「まあ、それはそうでしょうね。私はロッソさんのこと仕事面では尊敬してます」
「ところでお前はさっき彼女が来たときの俺の態度をどう思った。正直に言え」
「別人かと思いました」
「ほんとに正直に言うか。じつはああいうのはけっこう疲れる」
そりゃそうだろうな~。研究室での言動があれだもんな~。外面の分厚さにびっくりだ。
「そうなんですか」
「前に秘書兼助手が来たとき、普段の態度で接していたらすぐ辞めていった。でもお前は違ったな」
「事前に聞いてましたから」
私がそういうとロッソさんが笑った。それはいたって普通の笑顔で植物を見るときしか出ないものだった。人間相手にも普通に笑えるのか。
「俺だって人間相手に普通に笑うこともある。まあいい、俺の普段の態度を見ても仕事を続けているお前は貴重な存在で、一緒にいても気楽だ。そういう相手は大事にしなくてはいけない。これからは俺、生活態度もちゃんとするから…だから、これからもお前は俺のそばにいればいいんだ。これで話は終わり!!仕事するぞ!!」
そういうとロッソさんはソファから立ち上がって自分の机に戻っていった。なぜか真っ赤な顔をして。
「ロッソさん、まだタオルをあてたほうがいいです」
私は彼に近づいて顔にそっとタオルをあてた。もう甘い香りで頭痛がしそうになることはなさそうだ。




