チョコレート色の誘惑
出来上がったチェリーのケーキを持っていくと、クロード様は書類の山から顔をあげて私を焦らせる笑顔を見せた。
「試作品が出来上がったのですか?」
「はい。本日はチェリーのケーキですわ。旬のチェリーを使った素朴な焼き菓子ですの」
「それは美味しそうです。さっそくお茶の準備をさせましょう」
そう言ってクロード様は書類を傍らにまとめると、秘書の方に合図をして下がらせた。
クロード様は味の批評をきっちりしてくれるしアイデアも出してくれるので助かるんだけど、メルバをはじめ第三者がいない状況で男性とお茶を飲んでいるからかいつもちょっと緊張してしまう。でも陛下とお茶を飲んだときとはちょっと違う。どうしてだろう?
まあ、それはともかく今日焼いたケーキは大成功だ。生地のなかで半分ジャム状態になったチェリーの酸味がほどよい甘さで飽きの来ない味になっている。
ただチェリーの香りを苦手と感じる人もいるかもしれないから、チェリーに変えてベリー類とかりんごでもいいわね。そうだわ、チェリーとベリーをそれぞれ焼いて販売してみたらどうかしら。具を埋め込むときだけ分ければいいから簡単なのでは?こうなるといろいろ試してみたいわね…厨房で少し試作してみよう。
「アンジー?」
クロード様から声をかけられて、はっと顔をあげる。うわーすごい私。考え事しながらもケーキはしっかり食べ終わってる。
「は、はい。なんでしょう?」
「いや、なんだかケーキをじっとみながら黙々と食べているからどうしたのかと思って。いつもなら私と談笑しながら食べているのになと。ちょっと寂しかったなあ」
「ももも申し訳ありません。実はちょっと考え事をしていたのです」
「それはどんなこと?」
あ、またそうやって笑う。そういえばメルバに“クロード様の笑顔ってなんだかミルクと砂糖たっぷりのチョコレートみたいだと思わない?”と言ったらメルバに“伯爵様が笑うんですか。普段お見かけするときは穏やかですが笑うほどじゃないですよ”と言われてしまった。じゃあ、この笑顔を見るのは私だけってこと?いつかその理由をお伺いしてみたいものだ。
「ええと、このチェリーのケーキですけど…」
私は先ほど頭のなかにうかんだことをクロード様に話した。
「なるほど。確かにチェリーを始めいろんな果実でもこの生地ならケーキにできそうだ。りんごでも美味しそうだね」
「ええ、美味しそうです。まずはジャムや果実入りのクッキーを数種類、それからケーキはこのチェリーケーキを応用してみるというのはいかがでしょう。それと販売場所は王都ですか?」
「いや、王都ではなくてここで売ろうと思っています。ここは国の貿易をしてる拠点のひとつですから王都に行く前にここで一休みしていく商人も多い。アンジーも街道を来たときに異国の人がたくさんいたのをみたでしょう?」
実家のサントノーレ領とは違った風景に私は何度も馬車から降りて歩きまわってみたくなったものだ。いつか絶対出歩くんだから。
「確かにこれだけ人が多ければ王都で売らなくてもいいですね」
「そうそう、最近こういうものも取引しているんですよ」
そう言ってクロード様が見せてくれたのは、細長くてごつごつした外見の茶色い実のようなもの。
「なにかの実、でしょうか」
「正解です。これはカカオの実といいまして、アンジー様のお好きなチョコレートの原料なのです。この実のなかにある豆を乾燥させて砕くなどさまざまな加工を経てチョコレートになります」
「そうなんですか。これがチョコレートの」
「実は以前に祖父が気まぐれに借金のかたにもらった南の土地でバナナと一緒に作っているんですよ。あと半年もすれば最初の収穫が始まります。どうです、伯爵領産のチョコレートを使ってお菓子を作ってみませんか」
「まあ……素敵な申し出ですね。でも以前にも話しましたけれど、ここでの私の役割は間もなく終わりかなと思っているのです」
「私はそんなことはない、と言いましたよね。現にカカオの実を収穫しても、領民たちにはまだチョコレートをどうやってお菓子にするのかなどは未知の領域。あなたなら多少は知っているでしょう?」
「それは…王宮の料理人に聞いたり本で読みましたから」
「だったら、ここでそれを生かしてください。それにあなたはまだ領内で生産される果実や野菜を全部見てはいないでしょう?だったら全てみてほしい、私のとなりで」
「クロード様のとなりで?」
「はい、私のとなりで」
すっと手を取られ甲にキスを落とされる。挨拶のはずなのに、やたら指先が熱く感じてしまう。
「えっ?!ク、クロード様?!い、今までこんなことしませんでしたよね?!」
「…すいません。あなたにふれたら止まらなくなりそうだったので、ちょっと抑えてました」
そこに浮かんだのはいつもの穏やかな笑顔ではなくて、ちょっと茶目っ気のある笑顔。そう、グロリア様と一緒にいるときの陛下の笑顔みたいだわ。
「お、抑えてってなにを」
「それはいろいろです。でも半年の時間ができましたから私も頑張りますよ」
「私はまだカカオの収穫を待つなんて言ってません」
「でも、チョコレートがお好きでしょう?王国産のチョコレートを使ってお菓子作りって楽しそうですよね」
う…なんて魅力的な。
「だから私のとなりにいてください」
そう言ってクロード様はまた私の指先にキスをする。挨拶のはずなのに、どうしてこんなにどきどきしてしまうのだろう。あの別の笑顔をみたせい?それを確認してみないことにはここを立ち去れないかもしれない。
「わ、わかりました。チョコレートのお菓子を作るまで、ですわね?」
半年もあればきっと確認できるだろう。ただ、そのとき自分がどうなっているかはちょっと想像がつかないけれど。




