第2厨房のできごと
天板に昨日焼いておいた底生地を敷き、ベリーのジャムを塗る。そこまでしたら今度はチェリーを埋め込む生地を作る。卵やレモン、バターにふわふわのメレンゲ、粉をねりこんだ生地には刻んだチョコレートを入れるのを忘れずに。
「ケーキにチョコレートをいれるなんて贅沢ですね、アンジー様」
「そうね、貴重な食材を使う許可を与えてくれたクロード様には感謝しないと。うんと美味しいものを作りましょう」
すると周囲の人たちがちょっとざわつき、なぜか期待に満ちた目で私を見る。どうしたのかと思ってメルバを見ると、やれやれという感じで肩をすくめているし。
私、そんなに変なこと言ったかしら…ま、いいわ。今はお菓子作りに集中しないと!
「はい、生地を天板にひろげてチェリーを埋め込みましょう!」
私がジャムを塗った底生地に生地を広げて、さきほど皆でせっせと種抜きした規格外のチェリーを埋め込んでいくのを見て、メルバを始め他の皆さんもあわてて作業に戻った。
チェリーを埋め込んだケーキは、現在オーブンで焼かれている。出来上がるまではひと休みの時間なので、ここで皆でお茶を飲んでおしゃべりをしたりする。
私たちの作業場として与えられた第2厨房は、第2とは思えないほど広いし設備も充分だ。料理長によれば、かつてこの屋敷では大規模なパーティーが何度も開かれたことがあったらしくそのための料理をこちらでも作っていた名残らしい。クロード様のおじい様の代になってからはパーティーよりも果実の品質改良に熱中し始めたので使われなくなったそうだ。
「そんなに古くから使われていないのに、設備は最新よね」
「そ、それは伯爵様が新規事業に使うからと改装したからです。お嬢様」
屋敷内の厨房で働く見習の女の子が教えてくれる。なるほど、クロード様の意気込みがたっぷりこめられているわけだ。
「それはクロード様が私たちの事業におおいに期待しているってことね。頑張りましょうね」
「は、はいっ。あの、お嬢様はいつから伯爵さ…」
女の子が何か言いかけたとたん、周囲にいた農家の奥さんや商店の娘さんが彼女の口を手でふさぐ。そしてはじっこに連れて行くとなにやら言い聞かせている。“変な質問をして意識したらどうするの”とか“余計なことをすると伯爵様に怒られるわよ”とか…おそらく小さい声で話しているつもりなんだどうけど、意外と聞こえるものだわ……意味が分からないけど。
「アンジー様。あそこは気にしないで、お茶をお飲みください」
メルバがいい香りのお茶を持ってきてくれる。ふと側室様たちと開いたお茶会を思い出す。お茶会をするのはもっぱら台所のある私の部屋かグロリア様の部屋だった。メイドやおつきの者たちを誰もいれずに心おきなくいろんな話をした。
あのベルナデット様も結構楽しそうに参加していた…今はどうしているだろう。ヴィンシェンツ様に恋をしなければ、今頃彼女だって自分の道を歩いていたはずだ。恋は怖いものだわ。
「ねえメルバ。恋って怖いわね」
「はいっ?!いきなりどうされました、アンジー様?!私の心臓を止める気ですか。あああもしかして体調でも悪いのですか?」
「いやメルバ、額に手なんてあてなくても熱なんてないわよ」
「……平熱ですわね。でもお菓子しか頭にないアンジー様から恋って怖いなんて言葉が……何か悪いものでも食べたのかと」
「ちょっとひどいわよ……あら、香りがしてきたわ、そろそろ出来上がりも近いわね」
私の言動に動揺していたメルバもお菓子の具合のほうが大事だと判断したようだった。
焼きあがった生地が冷めたら、串を使って焼き加減を確かめて天板と生地の間にナイフを入れる。さくらんぼが生地のなかで半分ジャムみたいになってていい感じ。上にジャムをぬってつやを出せば完成だ。
「冷めてもおいしいけど、ほんのり温かくてもおいしいわよ。さっそく切り分けて食べましょうか」
“おいしい!家でも作ってみようかな”と言って食べる菓子作りの皆様。うんうん、さっそく家でやってみてほしい。何度も作ることで慣れてくるから。
さて、私もクロード様のところに試作品を持っていかなくては。私は皿にケーキをいくつか乗せるとふたをした。
「今日の作業はこれで終わりです。そろそろ片づけを…」
「お嬢様、私たちでやっておきますから大丈夫です。伯爵様のところが最優先です」
「そう?別に冷めても美味しいし片付けくらいしてからでも」
「いけません。アンジー様が片づけを始めると皆、のんびりできません」
「そうです。私たちもう少しのんびりしたいな~、なんて」
「そうなの?それじゃ申し訳ないけど、私は執務室に行ってきます」
メルバをはじめ皆、やけにクロード様のところに行くのを急かすのよね。私は不思議に思いつつ、ケーキのお皿を持って厨房を出た。
厨房ではメルバと他のメンバーが目をあわせてうふふふと笑みをうかべていたなんて知りもせずに。




