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Where Or When  作者: 春隣 豆吉
チョコレート色の誘惑
12/32

朝の散歩

 側室の役目を正式に終えて実家に戻った私を出迎えたのは “シャテニエ伯爵領なんてここから遠いじゃないか”と渋い顔のお父様だった。とはいえ陛下が乗り気で伯爵様自ら迎えに来たということで断れるわけもなく、渋々送り出してくれた。ただし“嫌になったらいつでも戻ってきなさい”とこっそり私に言ってきたけれど。

 シャテニエ伯爵領に滞在して3ヶ月になろうとしている。伯爵様が作り手に選んだ人たちは皆素直で物覚えがよく手際もいい。お菓子作りの指導は順調に進んでおり、ジャムやクッキーはもちろん今日からはケーキを作る予定だ。基本を教えてしまえば、あとはどんなお菓子を販売するかは伯爵領の皆さんが決めること。私の出番ももうすぐ終わりかもしれない。


「アンジー様、今日は爽やかな風がふいていますね」

「そうね。深呼吸すると気持ちがいいわ」

 私はメルバを連れて朝の庭園を散歩するのがすっかり習慣になっていた。もともと散歩するのが好きで実家にいた頃はメルバの付き添いが絶対だった。側室時代は王宮内のヴィンシェンツ様の結界が強固だったため一人でのんびり散歩することができたんだけど、ここでは誰にも言われてないのにメルバがついてくる。

 一度出し抜こうとしたんだけど、気配を察したらしく私がドアを開けたらそこに立っていて驚いた。

「それにしてもこんなに誰もいないと私一人でも散歩ができそうね」

「まあアンジー様。何をおっしゃるかと思ったら」

 メルバがくすくす笑う……これは要注意だ。

「だって、実家にいたときだって、側室だった頃だって別に誰かに狙われたこともないし」

「ご実家のときは私のほかに影に護衛がおりましたし、王宮にはヴィンシェンツ様の結界が張られていたからです」

「え。メルバの他に護衛までいたの?!やだお父様ったら過保護」

「……そこに驚きますか。旦那様ならそれくらいやるに決まってるじゃないですか。こちらに来るのも渋い顔して乗り気ではありませんでしたし」

「んー、確かにお父様、シャテニエ伯爵様が私の下賜を希望したのを聞いてがっかりしてたわね」

「ま、旦那様のことはともかく。私はアンジー様のおともで散歩するのが好きなんですよ。お菓子作りには体力がいるし、何より甘いものを食べたいけど太りたくはないので運動は必要です」

「確かにそうね。歩くのはいい運動だし、メルバがつきあってくれるなら私も楽しいし」

 なんかメルバの力説に押された感じがするけど、まあ本人が嫌がってないならいいか。

「ところで、今日は伯爵様まだ見えませんね」

「忙しい方だから毎日なんてそうそう来ないわよ」

「え。だってアンジー様の散歩の習慣を知ってからずっといらっしゃっていますし」

「偶然でしょ。もしくはよっぽどの散歩好きなのよ」

「アンジー様……多分、それはちょっと違うと思います…ほら、いらっしゃいました」

 伯爵様がこちらに気づいて歩いてくるのが見えた。


「おはよう、アンジー」

「おはようございます、伯爵様。気持ちのいい天気ですわね」

「アンジー、昨日約束したでしょう?私のことはクロードと呼んでくださいと」

「そ、そうでしたわね。おはようございます、はくしゃ…クロード様」

「次からは“様”もいりませんよ」

 そうなのだ。なぜか昨日試作品のマーマレードを練りこんだクッキーをお持ちしたら、いきなり“これからは互いに名前を呼び合うことにしましょう”と宣言されてしまったのだ。なんか下の名前で呼び合う男女ってすごく親しげよね…私たち、親しいのかしら。

 その顛末をメルバに話していなかったせいか“いったいどうしたんです”と言いたげな視線がくるけど、今はさすがに答えるのは無理だ。

 クロード様が私の横に並ぶとメルバは心得たようにちょっと離れて後ろからついてくる。どうして近くにいないのかと聞いたら“伯爵様がおそばにいらっしゃるなら安心ですから”と言われてしまった。まあ、確かにこの方のそばにいると安心する。

「仕事の進捗具合はどうですか」

「皆さん素晴らしいですわ。私の教えることなんてもうなくなりそうです」

「そんな事はない。昨日のクッキーは美味しかった」

「その言葉、皆が喜びます。今日はチェリーを使った焼きっぱなしのケーキを作りますの。そうそう、今度また収穫があるそうなので私も行ってみたいのです」

「えっ、収穫に?」

「皆様と一緒に昼の時間を過ごすと、果物や野菜の出来が話題になることがありますの。もぎたての果物はとても美味しいそうですね。私も食べてみたくって」

「アンジーには無理ですよ。特に旬のものは収穫が最盛期でものすごく忙しく初心者の面倒を見ている暇は皆にありません。申し訳ありませんが、お遊び気分には誰もつきあえません」

 伯爵様の言葉はぐさっとくるけど正しい。確かに私はお遊び気分で収穫してみたいって思っていたのだ。

「確かにそのとおりですね」

 しょんぼりした私を見たクロード様がくすっと笑う。彼のくすっと笑いはメルバとは違う。

「それにアンジーはお茶の時間に私と試作品を一緒に食べるという約束を破るつもりですか?」

 もともとお菓子作りは朝の収穫を終えてから昼3の時までと決まっていた。ちょうどお茶の時間で、試食ついでに進捗状況を聞きたいと彼は思いついたらしい。

 指導役の私と執務室で一緒に試作品を食べることは、いつの間にか毎日の習慣になっていた。

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